今日は晴れ。今朝はやや肌寒い陽気だが、今日は1日晴れとの予報。気温も20℃を上回るとのことで、暖かい1日になりそうだ。
明日の月曜日は平日だが、明後日は祝日ということもあり、明日休む人も多いのではないか。かく言う自分も、先週の月曜日の週休日を工事の立ち会いの関係で明日に振り替えたので、今日から3連休となる。この休みを利用して、妻と1泊2日の箱根旅行に行くことにした。
朝、8時30分新宿発の小田急ロマンスカーで箱根湯本に向かう。このロマンスカーで行けば、箱根湯本には10時前に到着する予定である。
( ロマンスカーMSE(6000形)(箱根旅行1日目) )
箱根湯本には若干の遅れをもって到着した。箱根湯本駅で乗り換えて、隣の塔ノ沢駅に向かう。
塔ノ沢駅で下車すると、最初の目的地である阿弥陀寺に行くことにした。
阿弥陀寺は塔ノ沢駅から徒歩20分ということで、お昼までの腹ごなしにはちょうどいいと思っていたのだが、駅改札を出て、案内板の通りに跨線橋を登ると、矢印の先は山道である。
急な山道を登っていくと、いくつかの岐れ道があり、矢印や表示の通り進んでいく。やがて山門が現れた。
山門を抜けて、更に階段を上がっていくと、途中で舗装された道路に出た。道路といってもかなり急な道路である。頑張って歩いていくと、汗が額からぽたぽたと落ちた。山の上ということで、空気はひんやりとしているのだが、かなり暑い。もうヘトヘトである。そろそろ休もうかと思ったところで、寺の本堂が見えてきた。
阿弥陀寺は浄土宗の寺で箱根のあじさい寺と呼ばれているとのこと。江戸時代に創建された寺には皇女和宮のお位牌を安置している。
皇女和宮は明治になって脚気を患い、箱根塔ノ沢に療養に来られたとのことで、この地に建てられた阿弥陀寺は芝増上寺の永久別院とされ、和宮の御念持仏である黒本尊阿弥陀仏を贈られた。本堂にはこの黒本尊阿弥陀仏が本尊の阿弥陀三尊の隣の厨子に入って祀られているほか、本堂脇には和宮のお位牌が納められた御堂がある。
本堂に入り、御朱印をいただく。その間に、ご本尊と黒本尊を参拝した。参拝の後は、別途料金を支払って、お抹茶もいただいた。
抹茶に添えられた和菓子は中に漉し餡がたっぷりと詰められた草餅のようである。これを口に入れ、その甘みが舌の上に残っている内に、お抹茶を口に含んだ。抹茶の濃い風味が鼻腔を抜けて、抹茶の苦みが漉し餡の甘さと混ざり合って、喉を通っていった。
朱印帳を受け取り、本堂を後にする。やがて、本堂の中から琵琶の音が風にのって聞こえてきた。琵琶の音以外は聞こえてこない。静かである。
境内を後にすると、今度は急な坂道を下って、箱根湯本に向かった。
( 貞女そば@はつはな本店(箱根旅行1日目) に続く )
( 貞女そば@はつはな本店(箱根旅行1日目) から続く )
お昼を済ませると、近くの干物屋で、試食の干物を食べながら、やはり試食の昆布茶を飲んでくつろいだ。しかし、あまりゆっくりもしていられない。今日の宿は芦ノ湖畔にある。これから箱根登山鉄道、箱根登山ケーブルカー、箱根ロープウェイ、箱根海賊船と乗り継いで行かなくてはいけないので、時間には余裕があるように見えて、あまり無いのである。
適当なところで、腰を上げると、箱根湯本駅に向かった。
箱根湯本駅から箱根登山鉄道に乗って強羅を目指す。強羅までは約40分の乗車時間である。
途中、大平台駅を含めて3カ所のスイッチバックを経て、強羅駅に到着した。
ここで箱根登山ケーブルカーに乗り換え。早雲山駅までは約10分の行程である。日曜日の午後にしては結構混んでいた。
箱根登山ケーブルカーは関東では最も古いケーブルカーの路線である。車両は1995年に導入されたスイスのガングロフ社製である。もう20年近く経つのにまだまだ新しい車両のように見えるのは大事に使われているからか。
それにしても2両編成だというのに、先頭と後尾でこんなにホームの高低差があるのは、いつもながらに驚きである。
早雲山駅でケーブルカーを降りると、今度はロープウェイに乗り換える。
ロープウェイは途中の大湧谷が海抜最高駅で、早雲山からは大湧谷までひたすら登り、大湧谷駅からは芦ノ湖畔の桃源台駅までひたすら下るという行程である。早雲山~大湧谷区間と大湧谷~桃源台区間は別々のロープウェイとなっていて、通しで乗ることはできない。必ず、大湧谷で乗り換えが必要になる。
早雲山からロープウェイに乗り換えると、大湧谷を目指す。
早雲山を出発するとすぐに山肌を伝って、急勾配の斜面を登っていく。進行方向と反対側には強羅や明神平の町並みが見える。
8分の行程を経て大湧谷に到着すると、すぐに乗り換えずに、大湧谷観光をしていくことにした。
まずは大湧谷の噴煙地に向かう。
噴煙地の脇には玉子茶屋があって、ここで大湧谷名物黒たまごを買い求めた。1袋に5個の黒たまごと塩が入っている。
出来たてと見えて熱い。手で持てないくらいに熱いので、ハンカチにくるんで、玉子の殻を割って食べる。黒たまごは1個食べると寿命が7年延びるという。無駄に長生きしたくはないが、玉子は好きなのでついつい食べてしまう。黒たまごは黄身が濃いような感じがして美味しい。
噴煙地を一巡すると、駅に戻ってきて、土産物屋を物色。その後、再びロープウェイに乗って、今度は芦ノ湖畔の桃源台駅を目指した。
大湧谷駅を出るとすぐに、眼下に芦ノ湖と遠くに富士山が一望できる雄大な景色が目の前に広がっている。
途中の姥子駅は大湧谷と桃源台の中継地点である。乗り換えは必要ないが、この駅でロープウェイの進行角度が45度変えられる。ちょっと遊園地の乗り物みたいで面白い。
大湧谷~桃源台まで約16分。桃源台駅に到着すると、今度は箱根海賊船に乗り換えである。乗り換えまでの時間が中途半端なので、乗り場から遠くに行くことも出来ず、近くの公園から、乗船予定の船を眺めたり、土産物屋をのぞいたりして過ごす。それにしても、今日は乗り物ばかりに乗っているような気がする。
やがて、乗船時間になって、改札が始まった。船に乗り込むと、海賊船は元箱根港を目指して出航した。ちなみに、元箱根に行く船はこれが最終便。これを逃すと別の方法で元箱根に行かなくてはいけない。今日はちゃんとしたタイムスケジュールを組まずに、行き当たりばったりでここまで来たのだが、なんとかホテルに辿り着けそうだ。
船のデッキで湖の風景を楽しんでいたのだが、風が強く、寒かった。陽も傾いて湖面がオレンジ色に染まっていた。
元箱根港からはホテルまでホテルの送迎バスに乗っていった。
3連休の中日の今日は晴れ。上空は朝から雲ひとつ無く、青空が広がっている。快晴である。しかし、気温は昨日よりはいくぶん低めで、少し肌寒い感じがする。
昨日は疲れてすぐに寝てしまったこともあって、今朝起きたのは8時過ぎでいつもよりも早めの時刻だが、よく寝ることができた。
今日はどこかに行こうと妻が提案してきた。2人でいろいろと検討した結果、藤沢に行くことにした。遊行寺、白旗神社を回り、ショッピングモール「湘南モールフィル」に行くというプランである。
昼前に自宅を出ると、中央線、横浜線、小田急江ノ島線を乗り継いで藤沢駅に出た。藤沢駅からゆるゆると歩いて遊行寺に到着した。
遊行寺は正式には鎌倉仏教の時宗の総本山で正式な名称は清浄光寺であるが、遊行上人の寺ということから遊行寺と呼ばれている。今日は土曜日ではあるが、お彼岸に加えて、学校は授業をしていることもあって、境内にある藤嶺藤沢学園の学生やお墓参りの参拝客で境内は混んでいた。加えて、境内ではフリーマーケットを実施しており、人が行き交っている。
昔、自分はこの近くの住宅地に住んでいたと言うこともあって、遊行寺はとても懐かしく思える寺だ。ただ、今の実家があるところに引っ越したのはもう30年以上も前の話だから、その頃の記憶と比べるとやはり子供と大人の目線は違うというか、違った観点から寺院を回ることが出来た。
まずは本堂に参拝し、続いて寺務所に向かう。自分は遊行寺の御朱印を過去にいただいたことがあるので、妻だけ御朱印をもらう。その間、自分は境内で写真などを撮っていた。遊行寺は桜、藤、花菖蒲の名所で観光百選の1つにもなっている。
寺務所の前には放生の池があり、その前に大きな木蓮の木が立っていて、白い花をいっぱいつけている。池に木蓮の木が映っていて、その中を大きな鯉が泳いでいる。なかなか見事である。
寺務所から本堂の脇を通って境内の塔頭の1つである長生院に足を向けた。この長生寺の境内には小栗堂というお堂があって、その裏手に小栗判官と照手姫の墓がある。
母の記憶によると、自分はここの寺でおむつを変えてさせてもらったとのことで、そういったこともあって、遊行寺の中でも自分にとってはいささか因縁を感じる場所となっている。
この寺で御朱印をもらう。もらえないことを覚悟で、お願いすると書いてもらえることになった。書いて頂いている間に、小栗堂に参拝する。この長生院の本尊は平安時代後期の作とされる木造の阿弥陀如来坐像である。参拝の後、御朱印を頂き、寺を後にした。
この後、宝物館に行ってみたい気がしたのだが、残りの時間を勘案すると、かなりいい時間である。実は宝物館は一度も入ったことが無く、是非、行ってみたい気もしていたのだが、次の機会までお預けとなった。
遊行寺の境内を出て、西の方角に歩く。15分ほど歩いたところに白旗神社という神社がある。と、そこでお昼を食べることにして、白旗神社の鳥居の前にあるショッピングセンターでお昼を食べ、あらためて、神社に参拝する。
白旗神社の御祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)と源義経公となっている。由緒によれば、この神社は寒川神社の分霊を祀っていた神社とのこと。その後、1189年に奥州平泉で自害した源義経の首が鎌倉に送られ、首実検が行われたのだが、その首は夜の間にこの神社に飛んできたという。このことを聞いた源頼朝はこの神社に白旗明神として祀るように命令したとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社と呼ばれるようになったとのこと。
別の伝説ではその首は首実検のあと、片瀬の浜に捨てられているところをこのあたりまで境川を潮に乗って遡り、この辺りに漂着したのを里人が見つけて洗い清めたと伝えられる源義経首洗井戸が白旗神社から少し離れた住宅地の中にある。
白旗神社で参拝し、御朱印をもらう。この神社では過去2回参拝して、御朱印をもらいに来たが、2度とも神主さんがいなくて敗退していたので、3度目の正直となった。
御朱印をもらった後は、ショッピングモール「湘南モールフィル」に行くことにした。
( 今日のケーキセット(アップルパイ@ラ・サール) に続く )
今日は晴れ。昨日に引き続き、寒い1日となった。空はよく晴れていて、澄み切った青空が上空に広がっている。外の空気は冷たいが、部屋の中にいるとポカポカと暖かい。
今朝は8時くらいまでのらりくらりと寝ていた。二日酔いではないのだが、昨日、久しぶりに飲んで帰ってきて、いい感じで布団に入ったことも影響している。
今日は昼前から妻が外出して夜まで帰らないということもあり、さて、どう1日過ごしたものかと思案していた。で、ちょっと鎌倉に御朱印収集を兼ねて散歩に行ってみようかと思いついた。しかし、そんなこんなで家を出るのが遅くなってしまった。まあ、仕方ない。行き当たりばったりでもいいじゃない。
八王子から横浜線に乗り換えた。横浜線は線路内に人が立ち入ったとかで、電車が遅れていた。おかげで昼前に鎌倉に到着する予定がずれ込んでしまい、結局、鎌倉に到着したのは12時過ぎとなってしまったのは正直イタイ。
とりあえず、先日、朱印がもらえなかったリベンジで佐助稲荷に参拝することにした。鎌倉駅西口から佐助稲荷まで約1.4km歩いて20分といったところだ。御朱印は佐助稲荷神社の下社でもらえるはずだ。
下社の窓口にはカーテンが閉まっていたので、おそるおそるインターホンを押してみる。神職の方が出たので御朱印をいただきたい旨、申し出ると書いている神職の奥様がお休みとのこと。今日もダメだった。
失意もあって、鎌倉駅まで戻る。ここまで来て、御朱印をもらえずに東京に帰るのは残念すぎる。そこで、浄明寺まで足を延ばし、まだ御朱印をいただいていない報国寺の御朱印をもらいに行こうと画策した。
ここから報国寺までは4kmくらいある。まあゆるゆる歩いていこう。
報国寺入口まで来たところで、ふと思いつく。この先の十二所には時宗の光触寺がある。塩嘗地蔵尊で知られている寺社である。ここまで来たら、足を延ばしてみよう。ということで更に1km余歩いて光触寺まで来た。
光触寺は三方を山に囲まれた鎌倉に入るための7つの切り通しの一つである朝比奈切り通しの入り口に当たる場所にある。光触寺は時宗の開祖である一遍上人が開基と伝えられる。運慶作と伝えられる本尊の阿弥陀如来には盗みの疑いをかけられた法師の罰の身代わりとなり、頬に焼き印が残ったという伝説がある。
更に、境内にある「塩嘗地蔵」は朝比奈の切り通しの先にある横浜・金沢六浦の塩売りが鎌倉に来るたびにお地蔵様に塩をお供えしたといい、いつも帰りにはなくなっていたところからその名の由来がある。
この寺は鎌倉三十三観音霊場の第7と鎌倉二十四地蔵の第5を兼ねていることからここではご本尊の「阿弥陀如来」と「聖観世音」、「塩嘗地蔵尊」の3つの御朱印をもらった。光触寺の境内を出た後は更に横浜方面に進んで、十二所神社にお参り。ここは社務所も無い小さな神社で、このあたりの地名の由来ともなった神社である。
十二所神社から引き返して報国寺に向かう。報国寺に着いたときには午後2時を回っていた。報国寺は竹の庭で有名な臨済宗・建長寺派の禅宗寺院である。開基は足利家時(足利尊氏の祖父)で室町時代末期に四代鎌倉公方の嫡子足利義久が自害した地でもある。境内には岩肌にくり抜かれた足利一族のやぐら(横穴式墳墓)がある。
本堂を参拝し、その脇の窓口で御朱印をもらう。ここは鎌倉三十三観音霊場の第10ということで、「聖大悲殿」「聖観世音」の2つの御朱印をちょうだいすることが出来た。
本堂の裏手にはかつて、この地にあった塔頭「休耕庵」の御堂跡に竹の庭が広がっている。鬱蒼と猛宗竹が生い茂る庭は薄暗いが風が吹く度に笹の葉のさわさわとした音が竹の間から聞こえてきて、静かな雰囲気である。
ただ、今日は鎌倉全体が紅葉がピークということもあって、かなり混んでいる。この報国寺も例外ではなく、相当な人出である。ちょっと静寂を楽しむような状況ではなかった。
奥に設けられた茶席で抹茶を楽しむ。竹の庭に面した簡単な造りの木の卓に座り、抹茶をいただく。抹茶はセルフサービスとなっており、受付のところでいただいた抹茶と干菓子の載った盆を受け取って席に座った。
鎌倉彫の盆の上には紙が敷いてあって、その上に大きな茶碗と干菓子が2つ載せてある。茶碗に入っている抹茶と竹林の2種類の濃い緑が重なって気持ちが落ち着くようである。西側から南側にかけて山に囲まれているので、まだ日が高いはずなのだが、既に竹林は薄暗く、竹の間を抜けてくる風は寒い。
干菓子を1つ口に入れ、それが溶けて舌の上に甘さが残っているあたりでお抹茶をずずっと半分くらい飲んだ。抹茶の苦みが心地よい。茶碗を下ろすと同時に竹林の手前にある猛宗竹が目に入ってきた。和の精神というか、心静かになれるひとときである。目の前をサーッと何かが通り過ぎていくかのような気がした。頭の奥で痛くなるくらいの静けさがおそってくる。周囲の観光客の話し声は全く聞こえてこない。自分だけの世界。無我の境地に入った気がする。
ふと我に返って、もう1つの干菓子を口に入れ、茶碗に残った抹茶を飲み干した。再び視界に入る竹林。しかし、今度は目の前の竹林の濃い緑が視界の中に入ってくる。「目の前のものに囚われるな、もっと全体を見回せ。」そう聞こえてきた気がした。
抹茶は美味しかった。できれば、もう少し人が少ないときに来たい。初夏くらいがいいかもしれない。
盆と茶碗を返却して、建物を出た。竹林を歩いて行くと、目の前が開けて、足利一族のやぐらが見えてきた。今は落石のために近くに寄ることが出来なくなっている。更に進むと、本堂裏手の石庭に出た。
竹庭を一巡し、境内の外に出た。もう1カ所くらいは回れそうだ。
ということで、更に八幡宮方面に歩き出した。鶴ヶ岡八幡宮の三の鳥居を南東方向に進んだところの突き当たりに宝戒寺という天台宗の寺がある。
このあたりは鎌倉時代の北条執権屋敷の跡地で、当時は小町の亭といった。この寺は足利尊氏が北条氏一族の菩提を弔うためにかつて宝戒寺の裏にあった東勝寺をここに移したもので、萩の寺として知られている。
ちなみに東勝寺は鎌倉幕府第一五代執権の北条高時以下一族が自刃し、北条氏が滅亡した時に舞台となった寺で、その時に殿上伽藍は燃え上がり、炎上した。今は北条一門の腹切りやぐらといわれる墳墓が山腹に残るのみである。
さて、宝戒寺の境内に入る。宝戒寺の本堂内に入ると、今日は内陣の中で参拝することが出来るとあって、本堂にあがる観光客が何組かあった。その脇の窓口で御朱印をいただく。宝戒寺は鎌倉二十四地蔵の第1と鎌倉三十三観音霊場の第2となっていて、いただいた御朱印は本尊でもある「子育経読地蔵尊」と「佛母准胝尊」の2つ。
御朱印をもらって、境内を散策する。境内はそれほど広くなく、秘仏である大聖歓喜天を祀った大聖歓喜天堂など5つのお堂や梵鐘を回り、境内を後にした。
もう、まもなく午後4時。多くの寺院は拝観の時間を終えて、閉門する頃である。自分もそろそろお茶でもしたいと思って、報国寺から宝戒寺に来る途中、岐れ道の交差点付近で見かけた洋菓子店「Kamakura New Geraman」に行くことにした。ここからは自分の足で歩いて10分くらいである。
( 今日のケーキ(キルシュトルテ@Kamakura New Geraman) に続く )
店を出た後は、まっすぐ鎌倉駅を目指す。
ホームに入ると、ちょうど電車が入線してくるところだった。しかも席も空いていて、余裕で座れた。足がかなり疲れていたので、ぐっすりと寝ることが出来た。横浜駅で乗り換えるつもりが乗り越してしまったので、武蔵小杉駅で南武線に乗り換える。今日はよく歩いた。
今日は晴れ。朝から上空は青空が広がっていて、秋晴れの良い天気である。今朝は涼しい朝で、空気もひんやりとしているが、昼間は暑くなりそうだ。
今日は有休を1日とって、鎌倉に出かけることにした。仕事が無いと思うと、気が楽で却って目覚めが良かったりする(笑)。妻の出勤を見送ると自分も外出の準備をして家を出た。
横浜駅までは横浜線で出て、横須賀線で鎌倉に向かう。横浜線は通勤客で八王子から横浜までの間はずっと混んでいたが、さすがに横浜から横須賀線に乗り換えると、車内は空いていた。電車は途中の混雑の影響で若干遅れて鎌倉に到着した。
鎌倉駅の改札を出ると、行動開始だ。今日の第一の目的は「ぼたもち」。今日9月12日は日蓮宗の開祖である日蓮上人の龍の口法難の日なのだが、言い伝えによると龍の口刑場に日蓮が護送されるときに老婆(桟敷の尼)が鍋蓋にのせた「黒ゴマのぼたもち」を捧げたという。この故事に因み、この日は手作りの黒胡麻ぼた餅を宝前に供えるとのこと。
鎌倉の常栄寺では9月12日にその故事に因み、「ぼたもち供養」(龍口法難会)が行われている。境内には本堂正面に木の供養塔を建て、その供養塔と本堂内に安置された日蓮像の手を木綿布の綱で結んである。これに触れると、日蓮と縁を結ぶことができるらしい。ということで、自分は日蓮宗の信徒ではないが、縁を結んできた。本堂で参拝し、寺務所前に張られた2張りのテントの前を通りかかると、テントの中から「ぼた餅をどうぞ」と言われる。
実はこれが最大の目的だったりする。テントの中に置かれた長テーブルの上にはお盆が載せられている。そのお盆には一口大の黒胡麻のぼた餅が数個載せられて、楊枝が添えられている。さすがに何個ももらうわけにはいかないので、ぼた餅を一つもらう。お茶も一杯いただいた。その隣にはぼた餅の折りが売られていたので、これを1つ買って行く。自宅で妻とゆっくりと賞味することにしよう。
ぼた餅をいただいた後、常栄寺の境内を出る。最大の目的を達した後は、材木座地区の寺院を回ってみたい。
まず最初に向かった先は教恩寺。この寺は時宗の寺で本尊は阿弥陀如来だが、鎌倉三十三観音霊場の第12の寺でいただいた御朱印は「聖観世音」となっていた。
源平合戦の時に捕らえられた平清盛の第五子である平重衡が鎌倉に護送されてきたときに源頼朝が重衡に与えた阿弥陀如来が本尊だという。山門の上に掲げられた十六羅漢が彫られていて、一見の価値がある。
次に向かったのは延命寺である。延命寺は浄土宗の寺で本尊は阿弥陀如来である。延命寺は鎌倉三十三観音霊場の第11の寺で、御朱印は「聖観世音」。
しかし鎌倉二十四地蔵尊霊場第23の寺でもある。鎌倉時代の執権北条時頼夫人の念持仏と伝えられる地蔵菩薩立像(身代り地蔵尊)は全裸の女性像ということで有名であるので、その御朱印もいただいた。ちなみに御朱印は「身代り地蔵尊」である。
このあたりは小さな境内の寺が多い。次に向かったのは別願寺である。別願寺は時宗の寺で鎌倉三十三観音霊場の第13の寺で御朱印は「魚籃観音」。一見すると、通り過ぎてしまうような寺には山門も無く、普通の家のようにも見えるが、境内には室町時代の鎌倉公方足利持氏の供養塔と言われる石造宝塔がある。
別願寺を出て、1~2分ほど歩いたところに東に安養院田代寺がある。安養院田代寺は浄土宗の寺で、板東三十三観音霊場の第3の寺である。境内には北条政子の墓という宝筐印塔がある。境内にはいるのに100円かかる。ちなみに御朱印は「千手観音」。
今度は、南に歩いていく。横須賀線の踏切を越えて材木座海岸をめがけて歩いていくと、鎌倉三十三観音霊場の第15の寺である向福寺が見えてくる。向福寺は時宗の寺で本尊は阿弥陀如来だが御朱印は「聖観世音」。ここで、鎌倉三十三観音霊場巡りの3人の女性と会って、悟った。自分は本尊の御朱印をもらうつもりで寺を巡っていたのだが、どうやら、寺院の方はこの巡礼者と同じ扱いをしていたようなのだ。御朱印をもらうときに、ちゃんと確認をしなくてはいけない。
3人連れの女性の巡礼者と別れて、更に南に下る。次に向かったのは補陀落寺。ここは鎌倉三十三観音霊場の第17の寺で真言宗の寺である。いただいた御朱印は「十一面観世音」。このあたりは路地が入り組んでいて、ちょっと道が分かりづらい。
更に南に下ると光明寺があるが、ここは以前に御朱印をもらったことがあるので、横目に通り過ぎて材木座海岸に出た。目の前には国史跡「和賀江島」が見える。和賀江島はかつての鎌倉の港であるが、港といっても、堤防みたいなもので、満潮時にはほとんどその姿を消してしまう。
今日も、わずかに海面から顔をのぞかせている。和賀江島の向こうには稲村ヶ崎、そして江ノ島が見える。海は凪いでいて穏やかである。いい天気だ。
この南を更に行くと逗子になる。ここでガイドブックに載っていた寺院に向かうも御朱印が望めなさそうだったので、参拝してから元来た道を戻り、補陀落寺の北側に位置する来迎寺に向かった。
来迎寺は鎌倉三十三観音霊場の第14の寺で時宗の寺である。本尊は阿弥陀如来。源頼朝、三浦義明の菩提を弔うため建立したというが、寺はかなり新しい建物である。裏手に三浦氏家来衆の墓がある。
来迎寺という名の寺は鎌倉にもう1カ所あって、それは鶴ヶ丘八幡宮の北東にある。その寺も時宗の寺である。ちょっと紛らわしい。
ここまで来て時計を見ると昼を回っていた。歩き詰めでかなり疲れた。どこかで休みを取りたいところだが、このあたりにはあまり店も無いので、一度、鎌倉駅に戻ることにしようと、鎌倉駅に向かった。
鎌倉駅に到着したところで、妻に御霊神社の近くにある力餅屋の力餅が食べたいと言われていたことを思い出した。喉は渇いているので、コンビニでアイスと飲み物を買って水分は補給したが、まだ、お腹はそれほど空いていない。ということで、御霊神社に向かうことにした。御霊神社の最寄りは江ノ電長谷駅になるが、鎌倉駅からそんなに距離があるわけでもなし、歩いて行くことにした。
御霊神社の祭神は源義家に従い、後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景政(景正とも)である。平安末期に鎌倉を拠点にして湘南地方一帯を開拓した開発の鎮守とされる。来週には毎年九月に行われる「面掛行列」という祭事が行われる。ここには書かないが、鎌倉時代の出来事が由来となって200年以上の歴史がある神奈川県指定無形文化財。今後は、こちらの方を是非、見に行きたいものだ。
御霊神社で参拝し、こちらでも御朱印をもらう。御朱印をもらった後は、鳥居を出て江ノ電の踏切を渡り、極楽寺切り通しの方面に出る。すると右手に和菓子店「力餅屋」が見えた。ここで、お土産に「力餅」を購入。ちなみに自分が買ったのは一番小さい10個入り。賞味期限は当日中となっている。
お土産を買った後はとりあえず、休憩することにして、御霊神社と力餅屋の間の路地にあるカフェでお茶をすることにした。
( 今日のケーキセット(酒粕レモンケーキ@てぬぐいカフェ 一花屋) )
お茶をした後は佐助稲荷に向かうことにした。先日、佐助稲荷を訪れた際には御朱印はいただけなかった。今度こそと思って、歩いて行く。御霊神社から佐助稲荷までは歩いて30分強といったところか。
佐助稲荷の鳥居の連なる階段を上がって上社の社務所に行くと、宮司に「御朱印のスタンプならある。帳面に書いて欲しいのであれば、毎週土日に朱印を下社の社務所に行くと良い」と言われて、もらうことが出来なかった。仕方ないので、参拝をして階段を下った。
時計を見るともう午後4時を回っている。そろそろ寺院の拝観も終わる頃である。今日はよく歩いた。そろそろ帰ろうと、鎌倉駅に出た。
鎌倉駅東口の小町通りで、再度カフェでお茶をしつつ、休むことにした。小町通りをぶらぶら歩いて見つけたカフェでお茶をすることにする。
( 今日のケーキセット(モンブラン@Maison de 雪の下) )
お茶をした後は、暗くなった小町通りを鎌倉駅方面に歩き始めた。
自宅に着いてから、買ってきたお土産を確認する。
ぼたもち供養のぼた餅と力餅屋の力餅。どちらも美味しそうである。
( ぼた餅&力餅 )
夜はゆっくりと汗を流して、床に就いた。