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J@Dの備忘録

おっさんの備忘録
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関西旅行1日目(大阪・四天王寺)

2014年08月18日 | おでかけ


今日は曇り時々晴れ。今朝は上空を厚い灰色の雲が覆っていて、薄暗い朝である。気温は低いようだが、湿度が高めで、ちょっとムシムシとした陽気である。
今日から2泊3日の予定で妻と関西に旅行に行く。いつもと同じ時間に家を出たのだが、向かう先はいつもと異なる反対方向で、新横浜駅から新幹線に乗った。

新大阪には10時前に到着する。


新大阪から京都線と大阪環状線、桜島線を乗り継いで、ユニバーサルシティ駅に到着した。


今回の旅行では駅前にあるホテルに2泊することになっている。
ホテルでチェックインの手続きを済ませた後、荷物を預けて再び電車に乗った。目指すは天王寺駅である。最初の目的地、四天王寺に行こうというわけである。

( 今日のランチ(串カツ定食@串カツ まる) に続く)

お昼を食べた後は、地下街「あべちか」から地上に出て四天王寺を目指す。昼間の大阪は灼熱のように照りつける日射しが厳しかった。

四天王寺
は今から1400年前の推古元年(593年)に聖徳太子が建立した寺と伝えられ、日本で一番古い寺院である。その伽藍配置様式は南から北に向かって中門、五重の塔、金堂、講堂といった一直線上に並び、それを回廊が囲むという形態を取っていて、日本でもっとも古い様式とのことである。寺院は度重なる戦火や災害に見舞われ、堂宇の多くが消失しているが、境内の建物は創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現している。
境内には西大門から入った。西大門に連なる石畳の参道の入口には石の鳥居が設けられている。寺に鳥居というのはちょっと変な気がしたが、この鳥居は国の重要文化財で創建当時は木造の鳥居を鎌倉時代に石造に改めたとのこと。


鳥居をくぐり、西大門をくぐる。この西大門は別名極楽門と名前が付けられているが、創建当時の門は焼失し、昭和になってPanasonic創業者の松下幸之助が寄進し、再建された。門をくぐると、暑さ対策でミストが噴霧されていて、少し、涼しげな気がする。
西大門を通過すると、西重門が見える。


西重門から中にはいるには拝観料を払う必要があるが、その前に左手に納経所があったので、ここに立ち寄って本尊の御朱印をもらう。ちなみに本尊以外にも多くの御朱印があり、四天王寺にはおそらくもう来ないだろうと思いつつも、全部もらうのは気が引けた。また機会があったらもらうこともあるだろう。


御朱印をもらった後、あらためて、西重門で拝観料を支払い、伽藍の中に入る。目の前には右側に五重塔、左側に金堂が見渡せた。昭和に再建された金堂は四天王寺の本尊である救世観世音菩薩が安置され、その周囲に四天王像を祀る。金堂内壁には日本画家中村岳陵の手による釈迦の誕生から涅槃までの図が配されている。


金堂の北側には講堂が設けられている。講堂の中は夏堂と冬堂に分かれ、冬堂には十一面観世音菩薩、夏堂には阿弥陀如来坐像を祀っている。堂内の内壁には日本画家郷倉千靱の手による玄奘三蔵の事績が描かれている。


金堂と対に建てられている五重塔も昭和に再建された建物で、見た目は木造建築物のように見えるが、実際は鉄骨鉄筋コンクリート造である。1階には日本画家山下摩起により中心壁画に釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像が描かれ、外壁には釈迦十六弟子説法図、弥勒兜率竜華浄土二十五菩薩来迎図が描かれている。五重塔の中心には螺旋階段が設けられていて、頂上部まで登ることが出来る。最上部には舎利等を配置している。


西重門を出て、南大門方面に向かう。五重塔の南側に配されている中門は脇の間に仁王尊像を祀っていることから俗に仁王門と呼ばれている。


この仁王像は向かって右側が那羅延金金剛力士。


左側が密迹金剛力士で、大きさでは東大寺の仁王像に次いで2番目の大きさとされている。


仁王門を行き過ぎて、太子殿に向かう。


太子殿は昭和に再建された建物で、聖徳太子十六歳孝養像を安置している。奥殿には本尊として聖徳太子四十九才摂政像が安置されている。


太子殿の北側には本坊があり、その東側には「極楽浄土の庭」があって、有料で公開されている。入口で拝観料を支払って、中に入る。


庭の手前には重要文化財の五智光院がある。この五智光院は後白河天皇が四天王寺において灌頂を受ける際に灌頂堂として建設されたものだが、現在の建物は徳川秀忠が再建したもの。本尊は五智如来で、堂内には徳川幕府により祀られた将軍の位牌を安置している。


五智光院を通り過ぎて、小さな入口をくぐると、庭園が広がっている。庭園はやはり重要文化財の湯屋方丈を中心に極楽の池と瑠璃光の池という2つの池を配置していて、その池の間に小川が流れ、青龍亭、臨池亭、和松庵という3棟の建物を配している。ちなみに、和松庵では別途料金で御抹茶をいただけるようである。方丈は徳川秀忠によって再建され、江戸初期に天海大僧正が在住されたとのことであるが、もともと五智光院の前に立っていた建物を明治三十三年に移築したとのことである。


奥の極楽の池には蓮が大きな葉を広げていて、その真ん中に赤と白の蓮の花のつぼみがあった。庭には自分たちだけしかいないようで、とても静かだった。


庭を一巡してから庭の外に出た。
他にも見所があるように思うのだが、もう暑くてヨレヨレといった感じである。休憩所の和労堂でしばしの休息をとると、あとは天王寺駅に向けて歩き出した。

( 今日のスイーツ(宇治金時@心斎橋ミツヤ アベノ店) に続く )

天王寺駅から大阪環状線に乗って大阪駅に出た。

( お好み焼き@きじ 本店 に続く )

夕食を済ませたところで、ホテルに向かった。

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「法隆寺」展@東京芸術大学美術館

2014年05月17日 | おでかけ


今日は晴れときどき曇り。朝から気持ちのいいくらいの青空が上空に広がっている。今日も都心では25℃を超えて夏日を観測した。しかし夜になって北風が吹いて、気温もやや下がってきたようだ。
昨日は日頃の寝不足に加えて、夜更かしをしてしまったこともあり、なかなか起きれなかったが、10時くらいには目を覚ました。外は陽光が燦々と降り注いでいるのに、このまま寝ているわけにはいかない。

妻と遅めの朝食を食べると、2人で外出することにした。上野の東京藝術大学美術館「法隆寺」展が4月26日~6月22日の会期で開催されている。これを見に行くことにした。


久しぶりの美術館である。おそらくこういう感じの企画展に行くのは昨年の5月に東京国立博物館で開催された「大神社展」以来ではなかろうか。今は東京国立博物館特別展「栄西と建仁寺」特別展「キトラ古墳壁画」が開催されているほか、東京都美術館で「バルテュス」展を開催しているなど、結構、見応えのある企画展が上野公園の美術館や博物館で開催されている。そういう意味では、この「法隆寺」展は注目の度合いは少ないのかもしれないが、おかげであまり混雑もしておらず、ゆっくりと見ることが出来た。


今回の「法隆寺」展は金堂の国宝・毘沙門天立像と国宝・吉祥天立像の他、飛鳥時代から鎌倉時代を代表する仏像や書、工芸品が展示されているほか、近代作家による金堂壁画模写や法隆寺を主題とする絵画が展示されている。特に、昭和24年に法隆寺の金堂で火災が発生し、壁画12面が消失したが、その後、東京芸大出身の画家の模写で再現し、金堂に設置された模写壁画に関する壁画が展示されている。なかなか見応えがあって面白かった。
今回の展示会ではやはり国宝の毘沙門天立像と吉祥天立像が見応えがあった。ちなみに毘沙門天と吉祥天は夫婦なのだそうである。そういう関係だとは思わなかった。また、四天王立像や赤童子像などもずっと見ていて、見飽きない。

一方で近代画家の日本美術も見応えがある。高村光雲、前田青邨、安田靫彦などの絵画もあって、1つ1つ見ていると時間がいくらあっても足りない。
ちなみに展示作品数は90点弱。展示の規模としては東京国立博物館の企画展には及ばないが、個々の展示品は見応えがあることに加えて、ゆっくりと見ることが出来、ちょうどいいくらいの規模だ。加えて、入場者もそれほど多くなく、館内は空いていて歩きやすかった。東京国立博物館の企画展もこれくらい空いているといいのだが…。

ひと通り、展示を見た後、美術館2階にあるミュージアムショップでポストカードを2枚買い求めた。
その後、同じく2階にあるカフェで遅めのランチを食べていくことにした。

( 今日のケーキ(青梅とマンゴーの吉祥天ムース@東京藝術大学美術館ミュージアムカフェ) )

ランチを食べた後は上野公園を散策して帰宅した。

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三崎港散歩(海南神社他)

2014年05月05日 | おでかけ


こどもの日の今日は曇りときどき雨。寒いというわけではないのだが、朝から気温は低めで、日中もそれほど気温は上がらなかった。
今朝は地震で目が覚めた。5時過ぎに伊豆大島近海を震源とする地震があり、東京都心で震度5弱を観測したとのことである。早速、職場に電話を入れて状況の確認をして各所に連絡をしているうちに、時間が過ぎてしまった。とりあえず、施設に異常がないことを確認して出かける準備を始めた。

今日は妻の要望もあり、神奈川県三浦半島の先にある三崎港にマグロを食べにいくついでに買い物をしてこようという予定を組んだ。品川駅に出た後、一旦下車。京急品川駅で「三浦半島1DAYきっぷ」を購入して、京浜急行の快速特急に乗り込んだ。品川駅から三崎口までは1時間余の行程である。
三崎口に到着すると、外はしっとりと路面が濡れていて、小雨がパラパラと降っている。あまり天気が良さそうにない。


とりあえず、駅改札を抜けるとすぐにバス停に向かった。バス料金は「三浦半島1DAYきっぷ」のフリー区間に含まれているので、降車時に運転手に見せればバスに乗れる。道路が空いていれば乗車時間15分のところ、今日はかなり混んでいて、三崎港に到着するまでに1時間弱を要した。
おそらく、このゴールデンウィークを安近短な旅行で済ませようとする行楽客で混んでいるのではなかろうか。三浦半島は横横道路を使えば、首都圏から短時間でアクセスすることが出来る。今日は道路も混んでいて、相当の人出がありそうだ。

三崎港に着いたのは午後1時を過ぎていた。雨は降っていなかったが、上空は灰色の雲で覆われていて、やや肌寒い。とりあえず、お昼を食べようと路地裏に入った。

( 今日のランチ(ネギトロ丼大@祭) に続く )

お昼を食べた後は、地元の神社である海南神社に足を向けた。


海南神社は三崎港バス停から徒歩3分くらいのところにある神社で三浦半島の鎮守である。御祭神は藤原資盈である。藤原資盈は平安時代に皇位継承争い絡みで追討されて、筑紫の配所に航する途中に暴風に遭遇してこの地に辿り着いたとのことである。その後、この地で土地の長に推戴され、房総の海賊を平定し、三浦の地を治めたこととのこと。その功により、藤原資盈の没後、土地の者によって祀られた神社が海南神社ということである。

その後、この地を勢力圏に治めていた鎌倉時代の有力御家人である三浦氏が三浦家の祈願所として発展させている。境内には源頼朝手植えとされている公孫樹が2株、神木として植わっている。


鳥居の前の右手に社務所があり、こちらで御朱印をもらう。その後、本殿を参拝した。


本殿右手の階段を上がったところにある筌龍弁財天も参拝した。この弁財天は三浦七福神の一神である。先述の三浦氏が源頼朝に呼応して平氏と戦った際、負け戦となり、久里浜から房州に海路を行こうとして、暴風に遭ったとのこと。その時、海上で漂流中に兵糧が尽きかけて、龍神に祈ったところ、漁具である筌が流れてきたので、これを用いて魚を採り、飢えをしのいだということである。その後、この筌が龍と化した夢を見て弁財天として祀ったのが、この筌龍弁財天の縁起とされている。

海南神社を参拝し、境内を出たところで、港のそばにある産直センター「うらり」に向かう。この施設に行く途中から雨がパラパラと降り始めていたのだが、だんだんと雨脚が強くなってきた。
本当はマグロのカマでも食べたかったのだが、この天候でこの混みようでは選択肢も限られる。結局、カマを食べるのはあきらめて、買物をして帰ることにした。売り場を何回か、回って買い物を済ませると、早々に帰宅の途につく。「うらり」を出ると、かなりの雨が降っていた。


三崎港から三崎口にバスで向かう。城ヶ島から来たバスは、三崎港に着く頃にはかなり混んでいたが、そこに荷物を持って、自分の身を押し込めるようにしてバスに乗り込んだ。朝のラッシュ以上に混み合うバスはやがて発車したが、道路が相当混んでいて、なかなか前に進まない。途中、油壺入口付近まで1時間を要し、相当疲れが溜まったあたりで、こらえきれなくなった乗客が次々に、バスを降りて歩き始めた。自分と妻は、そのままバスに乗っていくことにして、目の前の座席が空いたので、座ることにした。
バスは、しばらくすると、少しずつ前に進むようになった。結局、三崎口駅に到着したのは三崎港を出てから1時間半は経っていた。

( 京浜急行2100形快速特急 に続く )

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箱根旅行2日目(箱根神社)

2014年04月28日 | おでかけ


今日は晴れときどき曇り。今朝はホテルで目が覚めると、二度寝をしてしまった。予定では朝風呂を楽しむつもりでいたのだが、大丈夫かと時計を見れば、朝食の時間までにまだ余裕がある。急いで大浴場に向かい、朝風呂を楽しんだ。
朝風呂の後、妻とホテルのレストランで朝食を食べると、チェックアウト前に外出することにした。ホテルに荷物を置いて、向かった先は箱根神社。ホテルから歩いて10分足らずの所にあるこの神社の御祭神は箱根大神とされている。この箱根大神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)の総称とのこと。

ホテルから箱根神社に行くと、第三鳥居とは反対側から神社にアクセスすることになる。右手に平和の鳥居を見つつ、左手に進むと正面に第四鳥居が見え、その右手に手水場、左手にお札所がある。


お札所で朱印帳を預け、第四鳥居をくぐった。階段を上がると、第五鳥居の手前左手に曽我神社がある。
曽我神社は日本三大仇討ちの一つである曾我兄弟の仇討ちの当事者である曽我五郎時致と、十朗祐成の霊を慰めるため祀られた神社で、江戸時代に社殿も改宗されている。弟の曽我五郎は鎌倉時代、箱根権現の稚児であり、兄弟は仇討ちの直前、箱根神社に参拝し、別当から宝刀を授けられたとのことである。


曽我神社を通り過ぎて、階段を上がり、第五鳥居をくぐると、箱根神社の本殿が正面に鎮座している。


まずは本殿で参拝する。


その右手にある九頭龍神社新宮にも参拝した。ちなみに九頭龍神社本宮は芦ノ湖畔にあって、距離が離れていることもあり、参拝は断念した。
九頭龍神社本宮は古くから芦ノ湖で湖水祭が執り行われてきた祭場であるが、平成になって参拝しやすいようにと建立されたとのこと。


参拝を済ませると、曽我神社でも参拝し、宝物殿に行った。宝物殿では特別企画展「武将たちの箱根信仰」を開催しており、源頼朝や北条氏五代、豊臣秀吉、徳川家康といった武将の書状などが展示してあり、なかなか興味深かった。
宝物殿を出た後は、再びお札所で朱印帳を受け取った。自分は箱根神社と九頭龍神社の御朱印を頂戴した。

最後に平和の鳥居に向かう。この鳥居は昭和27年に芦ノ湖の水中に建立された鳥居で、揮毫は吉田茂元首相によるものである。鳥居は芦ノ湖に面して建っていて、その揮毫を見ることは出来なかった。


鳥居を後にして、一旦ホテルに戻る。ホテルの庭園を一巡した後、部屋に戻って、チェックアウトした。

( 今日のケーキセット(チョコレートケーキ@サロン・ド・テ ロザージュ) に続く )

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箱根旅行2日目(彫刻の森美術館その他)

2014年04月28日 | おでかけ



( 今日のケーキセット(チョコレートケーキ@サロン・ド・テ ロザージュ) から続く )

ホテルのロビーからは元箱根港行きの送迎バスが出ていて、これに乗って港に到着した。港から海賊船に乗って桃源台に向かう。


海賊船からは九頭龍神社が見えたのだが、社殿が木々に隠れていたことに加え、陽光が眩しくてよく分からなかった。また別の機会に足を運んでみたいものである。
桃源台からはロープウェイに乗って早雲山に出て、ケーブルカーに乗り継ぐ。


ちなみに箱根に来るときはケーブルカーはかなり混んでいたので、車内の状況を伺うことは難しかったが、今日は比較的空いていたので、強羅駅で最後にケーブルカーを降りて、車内を見渡してみた。ケーブルカーの車内は階段状になっていて、先頭車両の先端部と後尾車両の後尾部との高低差がかなりあることが見て取れた。


強羅駅で箱根登山鉄道と乗り継ぐ。駅構内には作業車が1両停車しているのだが、その脇にイノシシのステッカーが貼ってあるのは何かのマスコットだろうか。


やがて、電車が入線してきた。


これに乗って、本日の第二の目的地である彫刻の森美術館に到着した。


( 今日のランチ(BELLA FORESTA) )

お昼を食べた後は、彫刻の森美術館を一巡する。園内には屋外展示されている彫刻・現代美術作品の他にピカソ館をはじめとする5つの室内展示場や天然温泉の足湯などもあり、いろいろと楽しめる。特にピカソ館は見応えがあって面白かった。


閉園までいることにして、2時間程度と見込んでいたのだが、足湯などに浸かっていると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまった。一応、ひと通りは観ることが出来たが、また来ることもあるだろう。

閉園時間になって、再び、箱根登山鉄道彫刻の森駅に到着。ここから電車で箱根湯本駅を目指す。


今日は平日ということをすっかりと忘れていた。車内は函嶺白百合学園の児童で座席が埋まっていて、座ることが出来なかった。せっかく箱根フリーパスを持っているので、いったん、強羅に引き返しても良かったか…。
箱根湯本に到着した頃には、周囲は夕闇に包まれていた。とりあえず、帰りのロマンスカーの特急券を購入する。帰りは絶対にVSEで帰ろうという妻の主張を聞き入れて、19時発のVSEに乗って帰ることにした。


出発までの間、お土産を買ったり、駅構内のカフェでお茶をしたりして過ごした。

( ロマンスカーVSE(5000形)(箱根旅行2日目) に続く )

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