25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

未来の年表から

2017年07月31日 | 社会・経済・政治

「未来の年表」を読んでいると、縄文時代から弥生時代にかけて第一次人種混合時代があり、まさに2017年、人口のピークが転じて減少となった今年から第二次人種混合時代がある、と考えてしまう。でなあいと、西暦3000年で日本の人口が2000人などとあり得ないからだ。人類は長い年月をかけて混じっていく。アマゾンの奥地に住むヤノマミやピダハンさえもカメラや書物に露わにされ、政府が保護管理下し、やがては別の人種とまじっていくのだろう。

 問題は大きな人口減少による結果ではない。長い流れの中で起こる不幸ともいうべき困難さである。ヨーロッパは多くの移民を受け入れている。アメリカも同様でアメリカのトランプ政権を生んだのは白人の危機感でもある。

 日本は高齢者がさらに高齢化し、女性の内の半分が高齢者になる時期はすぐそこまできている。女性の方が平均寿命が長いから、一人住まいの女性が増える。しかしながら健康寿命については女性は長いことはない。病む年数も男性より二倍ほど多い。日本人の姿勢が悪いことも関係しているだろう。ロコモティブシンドロームは歩き方の問題でもある。膝が悪くて寝たきりになるとか、そんなことだ。

 一億総活躍などというのはあり得ない。今日の新聞を見ると、年金は75歳からになるかもしれない、という。働かされるのである。働きたい人はそれでよい。もう休みたいという人は休めないのだ。それは活躍ではない。

 地方から銀行が消える。銀行の仕事など、担保と保証人だけで融資を行うのであれば、AIで上等となる。事務職はAIにとって代わり得る。

 しかし漱石が扱うような主題はいつまでも消えることはない。個人幻想、対幻想、共同幻想という三つの観念の領域との確執である。漱石は「三角関係」として描いている。未来の年表にこの主題はない。精神の未来年表でもあれば興味津々だ。嫉妬はなくなるのだろうか。思いやりはどうなるのだろう。自殺は解決されているだろうか。