25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

「ひよっこ」を見ている

2017年07月25日 | 日記

 朝ドラの「ひよっこ」の脚本家岡田惠和のセリフはいつも礼儀正しく、セリフもうまい。「おひさま」でも礼儀正しい家族を描いていた。しかし「おひさま」ではそば庵を作るあたりから物語が破綻したと思ったのだった。僕にはそう思えたのだった。

 それで「ひよっこ」もその点を心配している。現在のところ「みね子」は絶好調である。島谷と二人で話す場面でも、あの時代の人ならわかるセリフで、あそこまで賢く、抑制できて話せるかは別だが、「家族を大事にしない人は嫌いです」と言い切るみね子が今本当に生きていたら70歳ほどである。

 1980年代に入ってきてから家族の崩壊が目に見えて多くなってきた。本当はとっくに崩壊しているのに、世間体から仲が悪い夫婦なのに離婚もできず、我慢していた時代が続いた。それが女性の地位向上と働いて収入を得ることで、様相が変わり、前面に出てきた感がある。地獄の家族なら解体して幸せな母子家庭や父子家庭の方がよいだろう。

 岡田惠和の脚本はまず言葉に礼儀正しさがあり、社会的な人間の最低限のルールを言葉化してセリフにしている。「おはようございます」「こんにちわ」「ありがとうございます」「はい」。こんな挨拶さえしつけられない親もいる。子供を制御できない親もいるのだろう。

 こういうことを考えていて、東京の貸家や賃貸マンションの料金のことを昨日思っていた。家賃が10万円や15万円というのは、必ずや夫婦が共働きをしないと払えない家賃である。将来の年金や健康保険の社会福祉制度が不安定で、見通しがつかないなかで、老後になっても死ねまで10万円や15万円を支払い続けなければならないのだろうか。

 僕は女性は働くのは結構だと思っているが、胎児期から乳児期までは休暇がとれる社会体制が必要だと思っている。女性は妊娠するとオキシトシンホルモンが活発に出て、お腹の子を慈しむ愛情ホルモンがでると言われている。この愛情が出せる人間の自然な期間、十分に子供に愛情を降り注ぐことが必要だと考えている。子供と母親の気持ちは正反対に成り得るのである。子が「お乳がほしい」と思えば、母は「忙しくってイライラしながら哺乳瓶で飲ませる」 子が「目を覚めて泣く」、母は「うるさい、なんとか黙ってくれよ」と思う。このような子と母の物語は背反する場合があるのである。それは経済的に苦しければ、夫への不安、将来への不安があれば、なおさらのことであろうと思う。家賃の異常な高さは政治問題にならなければいけない。

 みね子は想像するに胎児期、乳児期は愛情ホルモンをたっぷり浴びて健全に育った。途中、田畑の不況や借金などで貧乏になったが、それを乗り越えていけるのもみね子が愛情を持って育てられているからだ。つまり、みね子の心の壁が高いのである。

 都会では家賃が高すぎるために女性も仕事をせざるを得ず、地方の田舎町では空き家がいっぱいあっても仕事がないという日本である。この国が先進国であるはずがない。