25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

芍薬、牡丹を植える

2016年12月03日 | 日記

 時期がちょっと遅いかもしれないが、牡丹2つと芍薬ひとつを植えた。この前木瓜を植えてもらったのをもの真似して、化学肥料の粒と堆肥をまぜ、土を掘って、植えるのである。立てば芍薬座れば牡丹、というから、どちらもよく似た大きな花が咲く。昨日、コメリで、日本芍薬と西洋芍薬があって、戸惑っていたところ、お年寄りの女性がいたので訊いてみたところ、「

うちのがよく知っとるから、ちょっと待ってい」

といって連れ合いを連れてきてくれた。このご夫婦、旦那さんのほうが花好きらしい。

「日本芍薬は弱いでなあ。外国の報告が強いで」

といって、猟にいくときに芍薬もとってくるが、なかなか何年咲かせるのが難しいらしい。

 僕は西洋芍薬にすることにし、どこに植えるかを考え、実行したのである。これで、山茶花、ハナミズキ、

紫陽花、木蓮、百日紅、金木犀、木瓜、牡丹、芍薬の花を愛でることがでいるかと思うと嬉しい。日がいくあたる場所にどこかから種が飛んできたのか百日草が咲くようになった。そういうところに芝桜で植えてしまおうかと思ったりする。

 コメリで買い物をしたとき、知り合いの女性に会った。「尾鷲に帰ってきて何年になるん」

ときいたら、「もう8年なのよ。もう退屈でねえ。前のところに戻りたいわ」

  そうなのか、そんなに退屈なのか。この人は都会で育った人だった。花でも愛でれば、と思ったが、口にはださず、都会は動くにもかねがかかり、遊ぶにも金がかかるが、釣りはただだし、貝採りも、山菜とりもただである。僕は退屈と思ったことがこれだけ時間があっても思ったことがない。頭の中原は僕なりにいろいろ思いを巡らせているのだから。

 最後に水をたっぷりやって、植え込みを終わりにしたら、びっしょり汗をかいていたので、冷えたらいけないと思い、下着を急いで替えた。それなりによい日曜日であった。夜はウィスキーちょっと嗜む。