25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

無くすものと深まり、広がること

2016年12月12日 | 文学 思想

 物おぼえが悪く、うんざりしている。

 特に、外国の俳優や歌手の名前、本ででてくる外国の重要人物など、とてもじゃないがおぼえられない。関心が薄いのだろうし、結びつきがないといってもいいくらいだから、しかたないかと思って茶を濁してる。

 新しい歌をおぼえるにも時間がかかるようになった。

 高島易断の冊子が朝日新聞の年末プレゼントなのだろうカレンダーと共に入れられていた、不気味なおのである。この占いどんな根拠があるというのだろう。こういういい加減なものを情報の正確さを求められている新聞社が配るというのに違和感を感じる。毎度の伝統のことだからで済むものか。新聞紙上でも、テレビ朝日の情報番組でも取り上げてもらいたいものだが、彼らも占いをエンターテイメントとしてワイドショーの番組内で扱っている。

 ネットでは嘘情報があると言って報じているのがテレビ局、大新聞社である。

 僕は、「五黄土星」そうだ。この年回りの同級生は同じようなことが起き、同じようなことに注意をはらわなければならない。12ずつ、年が離れた人も同様である。十把一絡げである。

 まあ、娯楽のようなものだから、と笑い済ましているが、権力をもつ新聞社が、と思うと、腹立たしくもなる。

 物忘れがちはひどいが、こういうことは理解の問題でり、考え方の問題である。だから、こだわることになるのだ。いっそ、こだわりさえも記憶から消してくれたら、とても楽なことだろうが、成長はないように思う。だって、まだ使かっていない脳はいっぱいあるのだから。

 今日もスキンミルクの入ったコーヒーを飲みながら、昨日読んだ本の内容をどんどん忘れていくのである。しかし今のところ、理解し、それをべつの場面で役立てるというような能力は深まり、広がっているようには思えるのである。