25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

メンチカツブルース

2016年12月02日 | 音楽 ポップス

 福島から転校してきた生徒に担任の先生が

菌」と名前につけて呼んでいたというニュースをみた。公務員のこずるいのは、当の担任がでてきて、会見するのではなく、教育長だのだのが出てきて報告をし、謝罪することだ。権力に庇護される大人の教師。これでは子供ではないか。ぼくは一家心中をした父親に同情したり、部下をかばって責任を回避させる日本の慣行に辟易する。

 さて、桑田佳祐が落語やりながら、下ネタを当然出しつつ、最近作った歌を「songs」で四曲歌った。すでにぼくは「悪戲されて」と「君への手紙」は知っていた。ところが、「ヒレカツブルース」は知らなかった。なんでも「さんま」「たけし」「タモリ」がが歌詞に出てくるという噂は知っていたが、聞いたのは初めてだった。これだけ気持ちよく遊べたら、なんと音楽は楽しいものだろうと思う。昭和歌謡に特別な思い入れがありそうで、ぼくらなんかは、それがわかるので、よけい面白い。桑田佳祐バンドのギターを担当するギターリストが「関ジャニ」の番組にでてきた。すると、桑田佳祐はレコーディングするときの音作りには、ギターでの表現の仕方に、こうしろ、と弾いてみせるのだそうだ。そして一度きめたら、もう変更はしないのだそうだ。

 話を元にもどせば、もしも桑田佳祐が、矢沢永吉が失敗を起こせば、みずから責任をとると思う。民間はみなそうだ。

 庇護されて、大人ぶったことをいくらいったって、子供は全部お見通しだと思う。子供というのは、先生の人格などはちゃんとわかっているものだと思う。ただ言葉にできないだけだ。意識して権力に対抗できないだけだ。

 テレビも小池百合子と朴大統領のことだけをやっているようにみえるが、稲田の政治資金のことや、小渕優子のコンピュータを壊してまで隠したことをなぜ暴こうとしないのか。彼女ら、または政治家はなぜ責任を追及されないのか。うんざりすることだらけであるが、小池百合子は潔さそうな気がする。不満たらたらである。