25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

何のためにそれをしたか 高倉健

2016年08月31日 | 文学 思想

  スナックなどに行くと、僕を知る人がいて、「あの頃、あんたはすごかった。尾鷲にもこんな人がおるんやと思ったでなあ」と言われることがある。案外多いので、その度に恥部に振れられるようで、面はやくなる。どんな顔をしてよいかわからなくなる。僕は20年前に挫折したのである。

 週刊現代だったか週刊ポストだったか、週刊誌に高倉健の言葉が紹介されていて、ふと安心したのは次の言葉であった。僕は救われた気持ちがした。

  何をしたかではなく、

  何をなそうとしたか

  何をしたかではなく、

  何のためにそれをしたか

 これには救われた。思わず写真に撮ってしまった。岡田さんにもそれを見せた。彼は「そうだ」とすぐさまこの言葉の意味を理解し、すぐさま反応してくれた。

 僕には失敗はしたけど、「何のためにそれをしたか」という自負が心の内に潜んでいたこともはっきりわかった。おそらくそれが次の段階への原動力にもなっていたはずだ。

 今日は真っ青な空である。この空がだんだんと高くなり始める。うだるような暑さが終わったのかもしれない。すると元気が出てくる。人間十年も一所懸命取り組めばプロにまでなれる。身体ではもうそれは叶わないが、手先のことや精神や脳ではまだまだなれる。そう思って生きている。