25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

夏休みとセミ

2016年08月02日 | 日記

    夏には夏の放物線があって今やその頂点の真っ盛りである。熊蝉が桜の木の高い梢で人に見られないように、鳴きまくる。小学生の頃は、夏休みの朝はセミとりが日課であった。目もよく見えた。そして執念深く高いところまで木登りし、セミとり袋に入れたものである。寺町からまず念仏寺の裏に行き、そこで一匹か二匹採り、次に境内のに庭に入る。ここには杉の木があって、油蝉がいる。ここを終えると、中村山に向かうのだが、途中にも自分だけが知る穴場のようなところがある。中村山ではくまなくセミを探す。もっとも危険なのは「ハゼの木」である。なんどかかぶれたことがある。

   なぜセミとりが楽しかったのか。虫籠にいれて、死んでしまうだけなのに。食べるものでもないのに、セミにとってみれば、天敵だったかもしれない。

 尾鷲では、セミの種類は、にいにいゼミ、クマゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシの5種である。東北の方でハルゼミというのをみたことがある。からだの上部が緑っぽかった。広島ではマツゼミというのを見た。それも春のセミだった。

 セミの声は情緒をかきたてる。夏のどんな音楽にも負けないことだろう。 セミは晴れた日に鳴く。どういうわけか雨の日には鳴かない。雨の日のセミを観察しておけばよかった。

   あの頃、時間は遠く、遠く、いっぱいあった。