25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

紀の川 有吉佐和子

2016年08月26日 | 文学 思想

 二、三日前から蜩が鳴き始めた。盆が過ぎて、そろそろ子供には夏休みももうあと二週間ほど。夏が逝ってしまい、秋がひんやりとやってきそうな気配も感じるようになった。スーパーでは「秋味」という名のビールも店頭に並ぶようになった。

 今年の夏は尾鷲も暑かった。涼しい土地柄であり、他の地域よりはやや気温は下がるが、それでも38度という日もあった。これは酷暑の日である。エアコン無しではいらられない温度である。

 このところ、ゆっくりとちょっとずつ小説を読んでいる。もっぱらこの頃、有吉佐和子を読んでいる。高校生の頃読んだ「紀の川」は雰囲気だけ憶えていて、内容は全く思いだせないので、読んでみることにした。今度は読む態度、視点が違う。紀の川をどう表現するのだろう、と関心を寄せる。ところどころに人間が作った「紀の川」にまつわる迷信事のような言い伝えが出てくる。

 「紀ノ川沿いの嫁入りはのう、流れに逆らうてはならんのやえ。みんな流れにそうてきたんや。自然に逆らうのはなによりもいかんこっちゃ」という花の祖母・豊乃の言葉には、陋習であろがなんだか重みがある

物語は女三代にわたる記である。花ー文緒ー華子。時代としては明治の日露戦争前から昭和の戦争後までである。それらしい筋立てはないのだが、美しく、しっかりものの花。女は逞しい男がいてこそ、女が輝くと思っている。花の夫は村長から衆議院議員にまで昇る。66歳であっけなく死ぬ。弟に分家の折り、出畑の除いて、山林を全部あげ、大きな家まで建ててあげる。人助け、村に役立つことをするのが大好きな磊落な性格をしている。花の娘文緒はこの田舎の先祖から続く陋習を嫌っている。母親の保守性に反抗ばかりする。東京の大学に行き、銀行員に惚れて、結婚をし、上海、バタビア、ニューヨーク、またバタビアと転勤する。

 父の敬策が娘の文緒にむかって
「お前はんのお母さんはそれやな。云うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する気や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れ込む気魄がある。昔、紀ノ川は今の河口よりずっと北にある木ノ本あたりへ流れとったんやで。それが南へ流れる勢いのいい川があって、紀ノ川はそこへ全力を注いだんで、流れそのものが方向を変えてしもうたんや」
と述懐するが、そのときの自分の立場で誠実に、ひたむきに生きてきた花と、まさに日本の理想的な女性像が浮かび重なり合ってくる。

有吉佐和子と思われる華子は花と文緒が掛け合わせたようなところがある。今の歳になって読むと味わいが深い。二十八歳で書いた文とは思えない作品である。

 夜の寝る前の少しの間、文学世界に浸っているのである。秋の夜長が待ち遠しくなってくる。