25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

さらに淡々とした日常に戻る

2016年08月22日 | 日記

  オリンピックも高校野球も終わって、さらに通常の淡々したと日々に戻った。オリンピックでは卓球もおもしろかったし、バドミントンでも応援をした。馬術や近代五種など、テレビで放映されないものもあり、それな残念だったが、レスリングは一体何の競技なのか、あまりわからず、釈然としないままだった。新体操は僕らのような素人では、点数の違いがわからないままだった。

 リレーと100m競争や400m競争は違う分野のものであることも今回はっきりと認識できた。バトン渡しが有力な技術のものだと知ったのだった。NHKへの投稿では第一位に福原愛へのメッセージが多かったと聞いて、それも納得できる。日本の卓球界を牽引し、道筋をつけたのは福原愛である。福原愛には卓球人口が増やし、選手層も厚くなったという功績がある。おそらく男性の卓球選手をも牽引したであろう。

 リオのロゴマークも良かった。似たようなものがあるが、三人の人間がつなぎあって、躍動感があった。三人はうまく働けば力を出すし、そうでない場合は分裂も起こす。人間の三人以上は一人を殺してしまうほど恐ろしい関係なのであることは夏目漱石が徹底してこだわったことだ。これと関連して「多様性を認める社会」もこのオリンピックのテーマでもあった。人類はいつの日にこの多様性を認め、争わず生きることができるのだろうか。閉会式を見ていてそんなことを思った。