25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

愛情ホルモン

2016年08月12日 | 日記

   息子家族が返り、娘家族がしばらく滞在するが、孫中心の毎日なので、なかなかにそうぞうしい。第一子の孫娘は4歳半で、言葉を多くおぼえ、「しりとり」をやろうと言う。一歳半の第二子の孫息子は、その辺にあるものを触り、ボールペンだったら分解してしまい、ちょっとした隙に電器類のスイッチなどを押してしまう。なめ廻しの時期である。この時期になめ廻しておかないと、腸の菌が養成できないので、その辺は神経質になるなよ、汚いとか、そんな風にあまり言うなよ、と言ってしまう。

 孫娘は軒下遊びの時期が終わりつつある。幼稚園に通い始めたから、母親がいなくなっても、母のイメージがブローカー言語野に大きくイメージされて、安心感を得るからこそ、母親の目が届く範囲での行動が、目の届かない幼稚園にまでいけるのである。

 僕はもう忘れてしまったことだが、この二人の孫を見ていると母親というのは絶対的な存在なのだな、と思う。何かあれば母親にすがる。母親が見えなければ、不安に襲われる。

 人生においてはいろいろなことが起こるものであるが、それを乗り切っていけるのは、この時期に構築された高い心の壁である。この心の壁が低いと「異常」の世界に移行しやすかったり、こころにトラブルを起こしやすくなる。妊娠をすると女性はオキシトシン細胞が活発となり、オキシトシンホルモンが女性ホルモンなどを活性化する。これは愛情のホルモンであり、この時期、母親は子供がとてもかわいく、愛しく思うようになる。これが正常な姿である。

 そんなことを思いつつ、娘や孫たちを見ている。