25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

自殺希少の町

2016年08月05日 | 社会・経済・政治

 自殺者がいない、またはほとんどいないという村や町が日本にいくつかあるようだ。フィールドワークで取材した精神科医がいくつかの町を紹介している。すると共通した事実がわかってくる。

 1.あいさつをすること

 2.人間にはいろいろとトラブルが起るものだという前提の意識があること。これ  

   は予防意識ではない。起こったら助けるという意識のことだ。

 3.立ち話程度の関係。緊密過ぎないこと。

 4.グループを作る場合は、出入り自由。規律なしであること。

 尾鷲市は思いの他自殺者が多いように思える。尾鷲市の憲章は何であったか調べてみる。市民憲章はこうある。

 尾鷲市は、熊野灘に面し、紺碧の海、緑深い山々に囲まれ、海の幸、山の幸にめぐまれた伝統ある産業と文化の都市です。
 わたくしたちはこのふるさとに誇りをもち、みんなの力で、豊かな未来を築くため、ここに市民憲章を定めます。

 1.郷土を愛し、清潔でみどり豊かなまちをつくりましょう。

 1.人と人とのつながりを大切にし、思いやりのある住みよいまちをつくりましょ 

   う。

 1.未来を担う子らを健やかに育て、夢を希望あふれるまちをつくりましょう。

 1.伝統を生かし、文化の香り高いまちをつくりましょう。

 1.産業を育て、活気あふれるまちをつくりましょう。

 ある町ではこのような市民憲章がいたるところに貼られている。よく読んでいると、どこかの市の憲章を真似たかのように思えてくる。なぜなら抽象的すぎるからなのだと思う。「郷土を愛し」というのは押し付けのように思える。市民憲章の結果、そうなるということのはずだ。「緑豊かな」というのも「花や樹木」と具体的な方がいいのではないかと思う。「人と人とのつながりを大切にし」というのも漠然としている。人というのは多彩であり、考え方もそれぞれである。しかし人はひとりで生きていけない。だから助け合う。「伝統を生かし」というのも漠然としていて、これもおしつけがましい。伝統には変えるべき伝統もあれば、空っぽの伝統もあり、いろいろである。

 「自殺希少者の町」という視点で尾鷲市を見てみるのもいいのかもしれない。尾鷲市をどうするかという場合、すぐに経済は、地場産業は、このままの人口減衰では?となるが、どういったことが幸福に近いものなのか、一考することになるのかもしれない。