25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

1度ではわからない

2014年11月12日 | 文学 思想
 人間、一度にすべてわかるということはないものだ。その時の興味の範囲や方向性によって、理解を遮断してしまうことがある。
 小説を読んでもそうである。二度目を読む本というのはそうめったにあるものではないが、2回目になると新しいことに気づくことが多い。前はどんなふうに読んでいたのだろうと、不思議に思う。漱石の小説は2回読んでいる。「三四郎」と「それから」と「門」は3回読んだ。3回以上読んだ本は吉本隆明のいくつかの本、それに三島由紀夫の「豊饒の海」である。村上春樹の本は読んでいないのもあれば1回だけ読んだのもあり、「1Q84」と「ノルウェーの森」が再読している。この頃は見事なセリフにマーカーをしている。

 僕は限られた時間内で教える仕事をしている。結構若い人が対象である。大人だからわかるまで教えるということはしない。僕の話の受け取り手は、試験があるから試験にでる内容だけは覚えようとする人もいるし、全部を聞きもらさないぞ、という人もいる。もちろん、眠そうな顔をしている人もいる。そのそれぞれにその時では実感として理解できないことも多々あるようだ。あとになってわかる。もう1回聞いて、よりよくわかるという場合もある。

 物事を理解していく場合、原理原則というか、幹の太いところを理解しておくと、それから伸びる枝葉にまでつながっていき、大きな理解を得ることになる。それが枝葉ばかりに気をとられていると、原理原則がわからなくなってしまうこともある。

 例えば、筋肉というのは息を吐くと緩む。吸うと緊張状態になる。神経で言えば、息を吸うのは交感神経を高める。息を吐くと副交感神経を高める。こういうのは原則的なことだ。筋肉に痛いところがあって、それをなんとかしたいときに「痛いところからその反対の方向に息を吐いていく」という動作を数回行うと、痛みがとれる。コリや筋肉のつっぱりは筋肉が不均衡になっているからだ。筋肉は一方が縮まれば一方は伸びるという拮抗性をもっている。この時に使うのは呼吸であり、もっと言えば自律神経なのである。筋肉が痛いからと言って、湿布をする。揉む、などというのは原理原則ではない枝葉のことなのだ。

 女性の顔や首について言えば、顔の筋肉も深いところから硬直し、さらに短縮してくる。深い筋肉がそうなると上の筋肉が短縮下分下に下がることになる。シワやたるみというのはその結果である。硬直し、短縮してくるのはコラーゲンやカルシウムの量も関係してくる。したがって深層筋、中層筋と柔らかい筋肉を維持させることができたら、アンチエイジング的なケアをすることができる。

 1回や2回では見落としがあるので、特に気をつけなければいけないが、多くの人は試験さえ通ればよいということになる。大学受験などもその典型であった。僕は歴史は世界史をとったのだが、受験後1ケ月のうちにほとんど忘れてしまっている。そしてヨーロッパの過酷な戦争の歴史のことなどはわすれ、ヨーロッパは先進国が多く、EUなどを作って仲良くやっていると思っている。どうしてEUを作らなければならなかったのか。それは国境のある小さな国同士が戦争ばかりしていたからだ。戦争をすれば国土は荒廃する。もういやだ、と、コリゴリだとなったのだ。あまりにも各国が緊張状態に長い年月続いていたのだ。そんな世界の現代史を高校の授業では教える時間はないから、僕らは自分で知っていかなければならない。

 全く違った観点から見てむると、また違ったことが見えてくるという場合もある。リードヴィッヒ2世から見れば、とかワーグナーから見れば、とかである。最近 「1Q84」から、ヤナーチェクへ。それからワーグナー、ワーグナーからリードヴィヒ2世、ドイツのお城、祝祭劇場のあるバイロイトとつながっていき、オーストリアとつながり、さらにショスタコビッチやストラビンスキーやフォーレ、シベリウスと知っていった。ようやくヨーロッパをもっと知りたいと思うようになった。旅行もしたいと思うようになった。

まっさん ウイスキー  余市

2014年11月12日 | 映画
昔、菅原文太と加藤剛、亡くなった大原麗子などが演じた大河ドラマ「獅子の時代」は会津の下級武士が主人公だった。鶴ヶ城決戦のあと会津藩の武士たちはは青森に追いやられ、さらに北海道の余市に移住することになった。過酷な土地で彼らはりんご園を開拓していった。


 その余市ではいつの間にかウイスキーを作るようになり、シングルモルト「余市」は10年・12年・15年・20年とあり、1987年製造分が2008年「ワールド・ウイスキー・アワード」で世界最優秀賞を受賞した。ブレンドモルトの竹鶴は17年、21年、25年とあり、2007年、2009年、2010年と最優秀賞をとっている。30年ものもあるらしいが限定販売だそうだ。



 原野を開拓し、りんご農場を作っていった人々の暮らしぶりもドラマで描かれていた。明治の45年、大正の15年。昭和の63年そして平成時代で世界で最優秀賞のウイスキーが生まれた。

 「まっさん」はニッカウイスキーの創始者である。いずれ余市に移り住むのだろうが、りんごジュースから始めるという話をどこからともなく聞いた。どんな物語なのか知らないが、これから昭和の恐慌があり、戦争への道を進んでいくことになるから、まだまだウイスキーは作れないのだろう。ウイスキーが大衆のあいだに広がっていったのは戦後になって昭和の経済成長期であった。昭和30年代にはサントリーのトリスとかレッドがでてきて、40年代になって角とかダルマが大流行りとなったのをおぼえている。ニッカは主流から外れていた。

 「余市」を飲むたびに、「獅子の時代」の平沼銑次(せんじ)を思い出す。菅原文太が銑次役で、物語の最後は明治に入ってからの秩父事件で農民たちの助っ人をして、忽然と消えたのだった。自分のできる範囲で権力に対して戦う男だった。僕は大河ドラマでは、「獅子の時代」と「炎立つ」が好きだ。

 DVDで「獅子の時代」を見てから、偶然レンタルビデオのコーナーを見ていると、「愛しのグランパ」という映画があって、石原さとみと菅原文太が出ていた。映画は刑務所から菅原文太が出てくるところから始まった。「おいおい、銑次がでてるぞ」と感動したのだった。

 まるで反権力の銑次であった。その映画でおじいちゃんの銑次が孫の石原さとみと一緒にホテルのバーでウイスキーを飲む場面がある。そして素敵なジャズソングを銑次が歌うのである。このシーンは忘れ難く、僕にとっては「余市」とともにいつもあるのだ。
 この映画では銑次は溺れて死んだと記憶する。それとともに菅原文太は映画界、テレビ界から姿を消してしまった。

 「まっさん」も「獅子の時代」も「炎立つ」もやり抜く男たちの話だ。ウイスキー作りをやり抜いた男竹鶴政孝。絶対に弱者に味方して助っ人をした平沼銑次。滅亡をかけても義経を守ろうとした藤原氏。

 氷をいれたウイスキーの1杯目、2杯目は美味しい。余市はややスモーキーな味がある。ややである。やがて氷がとけていくので、水割りのような味になる。シングルで飲むのは一番美味しい飲み方かもしれない。

 博多の中洲にでもいったら、「田島」に行き、20年ものでも飲みたいものだと思う。田島恵美子さんが相手してくれたら申し分はないが。