沖縄は、県知事、県議会議員補欠、那覇市長、市議会補欠選挙が同時に明日行われる。居酒屋では選挙の熱のようなものはなく、そういえば選挙時は出歩き、酒を飲むことも控えられるという話を聞いたことがある。
大阪から来た女性が、自分の息子、娘が通う小学校の話をした。登校時、下校時は名札を取り外すのだそうである。大人から「こんにちわ」と話しかけられたら、「答えない。無視する」というのが学校の教育方針であるらしい。「昔は違ってたのにねえ。近所の人から声をかけられたら挨拶していたのに」とその女性は言う。
池田小学校で乱入殺人事件があってからだと言う。どうして名前を伏せなければならないのか、不思議であるが、それなりに子供の安全を守る方法なのだろう。馬鹿げたことだと思うが。
こんな風景の行く先には、ある層の人々だけが住む地域に壁ができ、それを越えることはできず、監視つきの一つのゲートからしかでは入りできない住宅地域がまもなく日本にも誕生するのかもしれない。
壁の中では家族の安全は保たれる。ただしそこに入るには相当のお金がいる。
わずかな凶悪犯による行為。それに恐れをなして、囲い込むかのように安全地帯を作る。
それはばい菌を忌み嫌い、恐れ、その効力が本当にあるのかないかも知らず、テレビのコマーシャルで感染していく人々がいる。虫を恐ろしいと思い、虫を恐れさせたのは虫ではなく、母の恐怖の叫びが原因だったのではないかと自問することもなく、ばい菌胎児に神経を尖らせる母。乳児期の「舐め回し」の時期に十分なばい菌を取り込み、腸内免疫力を強くしていくことが必要である。腸内細菌は僕らにとってはとても必要なものだ。腸が無菌に近いなどというのは、「死んでしまえ」と言っているようなものだ、と僕は思う。
しかしながら日本人の51%以上が「壁のある住宅地域」を作り、51%以上の人がばい菌はどんなばい菌でも殺してしまうものだ、ということになれば、僕はそれはひどく人間が後退したもののように思える。
一人の悪者のために、どうして普段していたようなことをやめなければならないのか。一人が崖から落ちたためにどうして税金を使って柵を張り巡らさなければならないのか。責任はそこが危ない場所だという自己判断の責任である。
ユーラシア大陸の果にあるロカ岬では遥か向こうのアフリカ大陸を見るのに、世界から多くの観光客が訪れる。落ちれば絶対に死ぬ高くて、危ない崖である。そんな危ないところで、若者たちが座り、楽しんでいる。柵のひとつもない。これは自己責任なのだ。
自己責任は言わず、柵をしなかった行政を責め、殺人犯がでたら責任を免れるように過度なルールにする。
人間がますます過保護になり、こころやからだの病気を遮る壁を低くしていく。現代というのはある面、神経症の時代である。51%が神経症ならばもはやそれは多数派であり、普通である。そんな時代がきつつある。
大阪から来た女性が、自分の息子、娘が通う小学校の話をした。登校時、下校時は名札を取り外すのだそうである。大人から「こんにちわ」と話しかけられたら、「答えない。無視する」というのが学校の教育方針であるらしい。「昔は違ってたのにねえ。近所の人から声をかけられたら挨拶していたのに」とその女性は言う。
池田小学校で乱入殺人事件があってからだと言う。どうして名前を伏せなければならないのか、不思議であるが、それなりに子供の安全を守る方法なのだろう。馬鹿げたことだと思うが。
こんな風景の行く先には、ある層の人々だけが住む地域に壁ができ、それを越えることはできず、監視つきの一つのゲートからしかでは入りできない住宅地域がまもなく日本にも誕生するのかもしれない。
壁の中では家族の安全は保たれる。ただしそこに入るには相当のお金がいる。
わずかな凶悪犯による行為。それに恐れをなして、囲い込むかのように安全地帯を作る。
それはばい菌を忌み嫌い、恐れ、その効力が本当にあるのかないかも知らず、テレビのコマーシャルで感染していく人々がいる。虫を恐ろしいと思い、虫を恐れさせたのは虫ではなく、母の恐怖の叫びが原因だったのではないかと自問することもなく、ばい菌胎児に神経を尖らせる母。乳児期の「舐め回し」の時期に十分なばい菌を取り込み、腸内免疫力を強くしていくことが必要である。腸内細菌は僕らにとってはとても必要なものだ。腸が無菌に近いなどというのは、「死んでしまえ」と言っているようなものだ、と僕は思う。
しかしながら日本人の51%以上が「壁のある住宅地域」を作り、51%以上の人がばい菌はどんなばい菌でも殺してしまうものだ、ということになれば、僕はそれはひどく人間が後退したもののように思える。
一人の悪者のために、どうして普段していたようなことをやめなければならないのか。一人が崖から落ちたためにどうして税金を使って柵を張り巡らさなければならないのか。責任はそこが危ない場所だという自己判断の責任である。
ユーラシア大陸の果にあるロカ岬では遥か向こうのアフリカ大陸を見るのに、世界から多くの観光客が訪れる。落ちれば絶対に死ぬ高くて、危ない崖である。そんな危ないところで、若者たちが座り、楽しんでいる。柵のひとつもない。これは自己責任なのだ。
自己責任は言わず、柵をしなかった行政を責め、殺人犯がでたら責任を免れるように過度なルールにする。
人間がますます過保護になり、こころやからだの病気を遮る壁を低くしていく。現代というのはある面、神経症の時代である。51%が神経症ならばもはやそれは多数派であり、普通である。そんな時代がきつつある。