25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

九州場所の女、高倉健

2014年11月23日 | 映画
 今日は大相撲の千秋楽です。九州場所の女性は審判席の真後ろではなく斜め後ろに座っていましたね。にくいですね。ちゃんと映るんでですね。毎日来ていたと思うのですが、この席は確か3回目だと思います。今日は関取連中も打ち上げでしょうからきっと「たじま」にはお相撲さんが多くくるのではないと思うと楽しいものです。
 さて、

 DVDレンタルコーナーでは高倉健の作品を特別に並べていました。その中に1958年の作品で、なんと武田泰淳が原作とある「森と湖の祭り」というDVDがあったのです。総天然色です。初めて知る作品でした。高倉健、香川京子、有馬稲子、三國連太郎、宇野重吉、加藤嘉らが出ています。差別されるアイヌの人々とシャモ(たぶん内地からきた開拓民のことだと思う)の話です。
 アイヌの踊りや歌ががあったり、口琴を奏でたり、シャモのよく働く鮭漁のシーンもでてきます。北海道の1958年の町や自然風景がでてきます。網走からオホーツク、知床半島が見えます。

 その映画で、「昔はよかった。鮭がいっぱいとれてよ」というセリフがあります。アイヌの人々は川に遡上する鮭をとっていたのですが、シャモは舟をかりだして、網で漁をします。高倉健は自分は純粋のアイヌ人だと思っています。シャモのことが気に入りません。嫌がらせをします。本当は混血です。高倉健も、三國連太郎もほっそりした筋肉質で若いのです。一太郎(高倉健)は馬に乗って画家である女(香川京子)を救いだすシーンがあります。高倉健は馬が似合うのはこの頃なのかと思いました。
 最後は兄弟とも知らず三國連太郎と決闘するのです。アイヌの苦悩も、シャモの苦悩も描かれていました。

 近代文化を嫌う男と野蛮や原始を嫌う女。しかしながら女は男の野生に惹かれ、男は女のインテリさに惹かれます。アイヌの女性と結婚せず(理由がバカバカしいのですが、当時はそんなものだったのかもしれません。インテリの思いそうな苦悩です。家のものが反対する。のけもの扱いされる、という風な理由です。)苦しみ抜く元教師(加藤嘉)の男も描かれています。教職の仕事も捨て放浪を続けることになってしまいます。

 その元教師はかつて愛したアイヌの女性が療養している病室をたずねます。そこに大人になっている一太郎がやってきます。元教師は「北海道を放浪した。アイヌは滅んでいく。北海道で人々は一生懸命に生きている。純潔などといわず、混じり合って生きていくのだ」と一太郎にいいます。アイヌの純潔などを守るというような無駄なことはやめろ、と言い残して去っていきます。最後には一太郎も実は混血であることを知ります。

 高倉健の若い時の顔や体つきや1958年の風景を見るほどのもので、ストリーや映画そのものはよくとも、おもしくともない映画でしたが、予告編ではたいへんな入れ込みようでした。その後、僕もよくおぼえているのはサラリーマンの「万年太郎」や「旋風太郎」で活躍します。
 それから7年目で、1965年に「網走番外地」が制作されます。たいへんな時の流れを感じるとともに日本の戦後の時代変化がわかります。一人の男性俳優から時代の移り変わりがはっきりわかります。
 「君よ憤怒の河を渉れ」は中国で8億人が見たということです。僕は2回見ているのですが、追悼番組でやってくれないかなあ、と思っています。これは勝気なお嬢さんも出てきて高倉健のヤクザとは違う格好よかった映画でした。