25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

便所とトイレ 村上春樹

2014年11月26日 | 文学 思想
 渋谷の僕の事務所のとなりがドトールコーヒーの本店である。ここはゆったりとしたスペースがあり、面談すときでも、なにかを考える時でも、便利である。
 朝はここでコーヒーのLと卵と野菜の入ったサンドイッチを食べる。
 すぐそばにタワーレコードがあるので、今日もみっちりとクラシック音楽でいいのを探しあてたい。それをしてから名古屋で打ち合わせがあるので出かけ、尾鷲には22時ごろ到着のJRで戻る。
 僕は仕事旅はよくするが、旅先でも、居住地でも出不精である。尾鷲の町でも多く地理を知らない。東京に住んでいたときも、住処の100メートルを越えると行ったこともなかった。ロンドンでも同じであった。連れがいるとホイホイでかけるのではある。シアトルでは妻や子どもたちがいたからでかけたものだ。
 車の有る無しではないと思う。なんとなく面倒なのだ。
 東京に住むことを考えてみる。こんな調子では部屋に引きこもり、音楽や本読みで過ぎてしまいそうだ。酒を一人で飲みにいくことはたぶんできない。すると、なにか興味をひくサークルのようなものを探すか、自分でサークルをつくるしかない。サークルを作るというのはたぶん得意分野だ。

 一人はいい。永遠に一人は寂しいが、今日のような独りきりは来し方行く末を考える。僕はどうなっていくのかということも考える。
 なぜ村上春樹は「トイレ」という言葉を使わず「便所」と必ずつかうのか、についても考える。日本の流行歌は絶対でてこないのはなぜか、ということも考える。その辺で、たまたま村上春樹の小説を読んでいる女性がいたら、「ねえ君、どうして村上春樹は便所という言葉を使うのだろう。僕はとてもその言葉は臭いがして違和感があるんだ、どう思う」
「彼の生まれ育った便所は臭いがなかったんじゃないかしら。だって便所って普通の日本語よ。それに日本の便所は世界で一番と言っていいくらい、清潔で無菌状態なのよ。あなたの便所が臭かったのよ」
 「僕は便所というと和式のものをイメージしてしまう。それに学校の便所。君の頃の学校の便所はきれいだったの?」
 
 こんなことを思い浮かべ、またコーヒーをひとくち飲み、スマホとにらめっこしている周りの人たちをみる。トイレに行きたくなったので、とここまで書くとやっぱり便所よりはトイレだと思った。