
2月末にそば打ちの際、いつもは使わない筋力を使ったためでしょうか、以来右腕の軽い筋肉痛が続いていました。5月1日竹林管理のためのタケノコ掘りの最終日、とうとう両手とも筋肉痛が本格化してきました。5月2日の釣りでも、大先輩の坂本さんに荷物の積み下ろしをお願いしたり、大変な迷惑をおかけしてしまいました。4月27日の風呂の会で連休中の登山が決まりましたが、筋肉痛のためお断りしていたのですが、「腕を使うルートは使わないので大丈夫だよ。」とリーダ河上さんが言うので、それではと未踏の雷山登山に出かけてきました。
いったん行くことが決まると、鳥や草花観察のための双眼鏡や図鑑など、いつしかリュックも重たくなっています。午前8時、雷山千如寺大悲王院下の登山者用駐車場を出発します。同行者は、「山遊会」の古賀さん、「風呂の会」メンバーの谷口さん、の3人です。ほかのリーダ「風呂の会」河上さんと、「会社のOB」佐藤さんはすでに出発していて、井原山への縦走ルートでミツバツツジを愛でて頂上で合流予定です。
ここから登山道が始まります。
遊歩道との分岐点に差し掛かります。雷山頂上へのルートはたくさんあるのですが、この正規ルート?にうろ覚えの古賀さんもマップを取り出します。
途中の小川沿いにはアヤメ科のシャガが満開です。
午前9時前、お二人はすこぶる元気ですが、わたしはすでに息も切れ切れ状態で、清賀の滝に到着します。子育て中のメジロの声を聴きながら10分ほど休憩です。
ここからすこしキツイ斜面になりそうです。杉林の中にぽつぽつと松の木が生えています。凛とした空気に松脂の匂いが漂ってきます。
ここには仏院の雷山千如寺のほかに、雷山(標高955m)の中腹に鎮座する神殿の雷神社(いかづちじんじゃ)があります。中宮と雷山山頂の手前に上宮がありますが、上宮まであと811mとなりました。
ここらではオオルリはじめたくさんの野鳥が囀っていますが、立ち止まって観察する気力も薄らいでいましたが、やさしいお二人は立ち止まってくれ一緒に気配を消します。
せっかく上ってきたのに下り坂です。往々にして大小の嶺がある山にはこれはつきものかもしれません。いつしか首に下げていた双眼鏡は谷口さんが持ってくれています。
今度は急激な上り坂です。両腕は押すには問題ないのですが、引くときにはズズンと筋肉が悲鳴を上げます。この上り坂は神経痛が少し心配です。
やっと雷神社の上宮に到着です。ここの神社の御祭神は、天照大神の孫のニニギノミコト(瓊々杵尊)、ホオリノミコト(火折尊:山幸彦)など五神を祀ります。
いままさに令和元年です。少し長くなりますが、天皇の成り立ちのウンチクを・・・・いろいろなところでの説もあるため「あれ、おかしい」と言う部分も多々あるやにしれませんがお許しください。ニニギノミコトは天照大御神から授かった三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)をたずさえ、神々をお供にサルタヒコノカミ(猿田毘古神)の案内で高天原から高千穂に降り立ちます。しかし、あまりにも貧しい土地だったこともあり、肥沃な土地を目指して海に出ます。行きついたところが鹿児島県南さつま市黒瀬海岸です。土地の翁に歓待され庵を建て滞在します。その滞在の折、私の生家近くの越路浜海岸の「ケシマ」で、阿多郷(金峰地区周辺)の姫、コノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)と会って夫婦となります。そしてホオリノミコトとホデリノミコト(火照命:海幸彦)が生まれ、ホオリノミコトは宮崎の鵜戸の地でトヨタマヒメ(豊玉姫)と夫婦となり、ヒコナギサタケウガヤフキアエズ(彦波瀲武鸕鶿草葺不合)が生まれます。このヒコナギサタケウガヤフキアエズはタマヨリビメ(玉依姫)と結婚して、授かった第四子が初代天皇である神武天皇です。神武天皇は宮崎を北上して、日向市美々津の港から東を目指してお舟出をします。これが鹿児島と宮崎での初代神武天皇の起こりです。なお、トヨタマヒメの姉弟に宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)という方がおられ、以前国語学者の先生に宇都は宮崎の鵜戸から来ているといわれたので、ひょっとするとこれがわたしの宇都の祖先の始まりかもしれません。5月1日、即位後最初の儀式として「剣璽等承継の儀」で「三種の神器」を引き継ぐテレビ放映がありましたが、この三種の神器の鏡・勾玉・剣はニニギノミコトからのお宝だそうですが・・・実物を見てみたいものです。写真はニニギノミコトが庵を構えた野間岳から、「古事記」の天孫降臨の段に登場する「笠沙之御前」(笠沙の岬)です。左の小さな港がニニギノミコトの上陸地黒瀬の港です。
杉林の中をひたすら上ります。
ヘルプと叫ぶ私に、「ゆっくりでいいよ。」優しい言葉をかけて待ってくれます。お二人とも私の先輩なのですが・・・・
夢中で登りながら・・・・あれ、足を取られる急激な上り坂です。
われわれの後をついてこられた別の登山者から、「ルートが違いますねぇ」その方が、正しいルートに導いてくれます。足元を確保して慎重に移動します。
やっと3人とも正しいルートに戻れました。あのまま進めば足場のない急激な箇所で、下へ滑り落ちて怪我をしていたかもしれません。ありがとうございました。
時間は午前11時登り始めて何やら上の方が明るくなって、頂上も近いことを教えてくれます。汗びっしょりで息も絶え絶え、「もうすこしだ。」・・・・「二度とこのルートでは来ないぞ。」・・・・
午前11時15分やっと頂上に着きました、クタクタになりながらも最後まで登りきった達成感をかみしめます。登山時間は一般の方の倍近く3時間15分でした。急いで登山靴と靴下を脱ぎ、厳しかった体の解放感にひたります。電話の連絡でリーダ河上さん達ももうすぐ縦走した井原山から到着のようです。
呼吸も体も整い頂上での記念撮影です。
頂上にはたくさんの方たちが登ってきています。
リーダ河上さんとOB先輩佐藤さんも合流しました。
お昼ご飯にします。
澄み切った空気に若葉の香り、青葉とスカイブルー、ところどころに咲き誇る草花と鳥の声、体の解放感とまどろむ睡魔にゆったりとした時間が流れていきます。
ミツバツツジが咲いています。遠方の山は天山です。さらにその奥に雲仙岳が霞んでいます。
こちらは北西には糸島市が広がります。
全員で記念撮影します。
12時15分下山開始です。
急坂の下山は、るときより慎重にならないと滑り落ちそうです。
今までの登山ではなかったことですが、左側の足の筋肉が悲鳴を上げています。足が上がらないのです。皆さんには先に降りてもらい足を激励しつつゆっくりと降ります。12時40分に雷神社の上宮到着です。登りは1時間かかりましたが半分の30分で到着です。
靴と靴下を脱いで足をいたわります。20分後、登山はベテランで熊本の通信局時代は登山部に所属していた先輩OB佐藤さんはここで解散となります。ど素人私の登山にお付き合いくださりありがとうございました。わたしたちも下山を開始します。
途中では足の痛みを和らげるために休み休みの下山です。おかげで鳥の声もたくさん聞こえてきます。びっくりしたのは美しいコマドリとバチッと目が遭いました。ほかにはオオルリ、メジロ、ウグイス、ホオジロ、シジュウカラ類の囀りが木々にこだまします。よくわからなかった鳥の囀りはスマホのボイス機能で録音して、昨日、野鳥の会今津の探鳥会で森さんと日高さんに聞いたところ、ツツドリとオオアカゲラだそうです。清賀の滝に到着します。
滝の水で火照った足を冷やします。
雷山千如寺の近くの小川には誰が放流したのか小さなヤマメが走り回っていました。
14時15分登山者の駐車場へ到着しました。
河上さんともここで解散します。長い下山のお付き合い大変ありがとうございました。「きらら温泉」で反省会をしようと誘ってくれますが、もはや疲労困憊です。
最初から最初までお付き合いいただいた、谷口さんと古賀さん大変感謝します。自宅まで送ってもらい、汗びっしょりなのに、そのままの格好で小一時間眠る私でした。本日現在まだまともに歩けない状態ですが、先ほど山の師匠百田さんから11日雲仙普賢岳のミヤマキリシマを見ようと山歩きのお誘いがありました。あと5日もすれば足の方は回復するでしょうが、右腕の神経痛は自信がありません。丁寧にお断りしました。残念です。
「さるっとは ちっとやっとに いっき だるっち やっせんぼやらい まだ わっけたっで きばっやんせ」
歩くのは 少しなのに すぐに 疲れるとは 弱い体ですね まだ 若いのだから 頑張ってください。
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