人生は邂逅なり

新たな出会いを求めて

★2018年8月「きらら風呂の会」

2018年08月29日 | 日記

石焼きいも器「高木金属 ホーロー焼き芋器 24cm」をネットで今月購入しました。購入額は2,280円と高いのか安いのか微妙な値段ですが、使ってみて驚いたことに焼き芋は絶品の味で、義娘が「売っているものと遜色なく大変美味しい。」と言っています。当然のこと作り方が機能的には一緒のためでしょうが、焼き芋も焼きトウモロコシも孫たちには大好評です。

 

育った鹿児島という土地柄、昔はこの時期どこの畑も芋でいっぱいでした。このカライモは澱粉を取るためで、たしか「農林2号」という品種ではなかったかと思います。収穫したサツマイモはダンブクロ(麻袋)にいれ、生産者の名前の荷札(後日農協から対価の代金が支払われます。)を付け、道路沿いに置くと荷馬車がそれをでんぷん工場に運んでいきます。工場ではすりつぶした芋を、今では信じられないのですが露天でデンプンを沈殿させ、水洗いして脱水乾燥して、水飴やぶどう糖などの糖化原料となります。

焼酎の原料と食べる芋の品種はたしか「黄金千貫(こがねせんがん)」で、ほとんどがこの2種類の芋だったと記憶していますが、今では市場に出回っているサツマイモの品種は三十数種類だそうです。子供のころ芋の食べ過ぎで、今でもあまり好きではありませんが、このホーロー焼き芋器で焼いた芋は絶品です。焼き芋好きな方はお試しあれ。

写真は遥か昔の芋畑で母ちゃんと兄ちゃんと3人で・・・・

 

27日は定例の風呂の会でした。風呂好きが集まって会は成立していますが、この酷暑の時期1/3の人は風呂に入らず自分の家でシャワーを浴びての飲み会参加です。

 

 

恒例の秋の旅行が決定しました。長崎稲佐山のホテルだそうですが、なんとここ二丈迄送迎込みで11,500円と大格安です。

 

日にちも決まり、いつもの口喧嘩を楽しんでいます。ここの人たちは相手と自分のことよく理解していて、心の底から許しているからと思いますが、漫才のように1対1ではなく、ボケとツッコミ(指摘や合いの手を挟む)がたくさん存在しています。それがあるから賑やかで楽しい飲み会でもあります。


 

今日の料理はもつ鍋で締めはソーメンをいただきます。

 

今日までは酷暑らしいのですが、愛犬「なつちゃん」とふたりごろごろして過ごしています。

 

愚妻はこの暑い中、朝早くから畑へ出かけ、草取りの真っ最中です。

ぬつかひ やっどん よかんべ うごっ うっかたやらい

暑い日 ですが よく 働く 嫁です。


★「人生を変えてくれた人」

2018年08月26日 | 日記

災害があった方へは大変失礼ではありますが、ここ福岡を台風19号・20号は見事にさけていきました。長期予報では雨の予報があったにもかかわらず、風はもちろん雨も降らず、相変わらずカラカラ酷暑の毎日です。

6月から7月の慌ただしさとその後の夏バテから、7-8月は1回だけの釣りで、これだけ釣りに行かなかったのは、東京と大阪時代の6年を除き、子供時代から初めての出来事と思います。友達からは毎週釣りのお誘いのメールが届き、漁師英ちゃんからの漁の手伝いの電話もありますが、夏バテと酷暑のせいにしてお断りしています。このまま釣りもしない日が増えると、「老人性うつ」になってしまいます。意識してもとの生活スタイルに戻さないと・・・・

写真は現在の二丈の田んぼです。田舎ではとっくに稲刈りを終え、悟くんの田んぼには蕎麦を植えるそうです。

 

今年の24時間テレビのテーマは「人生を変えてくれた人」で、わたしのブログの亀井勝一郎先生のタイトル「人生は邂逅なり」につながるテーマなのか、粋がる拙い文章のブログへの訪問者が心做しか増えているように感じます。

どうもこの手のお涙頂戴のテレビは好きではなく、昨日からほとんど見ていませんが、わたしも「人生を変えてくれた人」を振り返ってみようと思います。このブログにお立ち寄りくださった皆さんには全く興味のないこととは思いますが、皆様自身の人生の振り返りのきっかけになればと思っています。テレビは先ほどの24時間テレビですが、いまから裏番組のアジア大会女子マラソンが楽しみです。

 

「寺園先生」はこのブログタイトルとなったひとで、残念ながら今年逝去してしまいました。高校卒業時の進路決定で大きく影響を与えてくれたのは先生です。この後も東京からの再就職時は企業選択や願書提出・試験などの度に、親身の相談はもちろんのこと、飛行場からの送迎までやってくれました。その後も存命中は幾度となく救われた恩人です。

写真は2005年私の家族とのスナップです。

 

かっこつけた言い方ですが、「生きる」と言うことを考えさせてくれたのは、19-20歳の東京時代ボロアパート隣の部屋の「Sさん」です。W大学の文学部で当時は学園闘争の真っただ中で、左派論者かどうかわかりませんが刑事の影がつきまとっていました。たくさんの蔵書の中からドイツのショーペンハウエルや亀井勝一郎さんなどの本を選んでくれました。勿論わたしには本質的な理解が得られるわけではありませんが、あの多感な時期幾度となく眠れぬ夜がありました。

写真はその時代のボロアパートでのスナップです。

 

この中国古諺(こげん)は釣りに関する最も有名な言葉ですが、

「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。」

「三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。」

「八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。」

「永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」"

小さいころから釣りは大好きだったのですが、この釣りの世界を拡げてくれたのは釣りの師匠「ナベさん」です。8月初めのブログでも紹介していますので詳しくはそちらをご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/enohachan/e/0cee4b38df0d532c7540242d3390e443

写真は2005年「浦島太郎釣りクラブ」20周年記念釣り大会の時のナベさんです。

 

あの美しいヤマメの渓流釣りの扉を開いてくれたのは、今でも可愛がってくれる「宮崎のアンちゃん」たちですが、渓流の高みに導いてくれたのは「九州ヤマメを守る会」の発起人「中村の爺様」です。宮崎勤務時代3月から9月までは荒天(こうてん)以外、毎週渓流に居たように思います。爺様には釣りの楽しみだけでなく、生物の輪廻転生は自然の法則だが、ヤマメに関しては人手というものを入れないとこれを維持できないと教えられました。たぶん日本で初めての渓流釣りガイドで今は亡き爺様ですが、高名(こうめい)な方ともお友達だった爺様です。さまざまな九州山地の渓流に連れて行ってくれ、ヤマメの放流や釣りを指南してくれました。

写真は18年前の「中村の爺様」と現「九州ヤマメを守る会」の相談役の石原さんです。

その下は「宮崎のアンちゃん」たちと右側釣り弟子「石やん」

 

その他釣りに関しての「人生を変えてくれた人」はたくさんいますが、これらをすべて記述すると小冊子位になりますので割愛しますが、いまでは感謝の気持ちでいっぱいです。

あいがともさげもした。」ありがとうございます。

写真は16年前の後輩ではありますが、バス釣り師匠「尼ちゃん」との五島磯でのスナップです。

 

さまざまな人生の基点には、「家族」はもちろん、これまで身近なところですれ違った「あまたの人々」がいて、今日のわたしが存在しています。視点を変えて、私自身がどれだけ他人の人生にかかわってきて、よき隣人だったのか考えた時、我儘な私にはまだまだ、出逢った人が幸せと感じる出会いとなっていないように思います・・・・

19歳の多感な時、失恋した彼女のショッキングな言葉も、私を強くしてくれました。お笑いください・・・・今回の末文は薩摩言葉はお休みです。

もっと 大人の 恋がしたい。


★夏まつり

2018年08月18日 | 日記

今日18日は朝方21度と寒い朝となりました。秋がもうすぐやってくると思いきや、昼間は34度といつもの夏が続くことをテレビがお知らせしています。台風19号も2-3日後にやってくるそうですが、15日の台風15号は宮崎上陸後に福岡の方へやってきました。当日は所用で出かけなければならなかったため、前日から台風に備え万全の準備で出かけてきましたが、写真は福岡ドームの近くで午前9時、まさに台風が通過しようとしている時間でしたが、微風雨なしで根性のない奴でした。

 

14日は前年度地域の役員をやっているときに、夏祭りの実施について言い出しっぺの一人として、夏祭りの実行委員に参加して準備を進めてきました。当日は台風の影響も心配されましたが、午後3時から肌も焦がすような熱い炎天下、汗だくで準備にかかります。

 


380世帯1,200人程の小さな地域ですが、地元の方は少なくお盆の帰省でどれだけ参加してくれるのか心配ですが、午後5時子供たちが集まりだしました。

 

 

夜店はヨーヨー掬いや型抜きなど子供会が企画してくれます。わたしは大人のビール等の飲料水交換所でお手伝いです。3個のクーラーに角氷り24個用意しました。農家からお借りした大きな桶に冷たい氷水で飲み物を冷やします。

 


事前に参加の意思表示を確認したところ、30数名の子供参加と60数名の大人の参加予定でしたが、すでにたくさんの子供達で嬉しい悲鳴です。受付での飲み物券と唐揚げ引換券も足りるのか心配です。

 


わたしの孫たちもやってきました。

 


狭いグランドに沢山の人出で小さな集落の祭りは大賑わいです。

 


午後7時今年初盆の方たちの慰霊祭の後、盆踊りの始まりです。地域独特の昔からの二丈音頭はメロディも独特で子供たちの笛や太鼓は7月から練習してきました。

 


午後8時過ぎフィナーレとなりました。参加者は大人の参加者が160名、子供たちの参加が100名とたくさんの方が参加してくれて大盛況となりました。

 

ぬっかひ やったどん わっぜか しが きてくいやって たのひっか にぎゃっかな まついにないもした おやっとさぁごわした

暑い日 でしたが たくさんの 人が 来てくれて 楽しい 賑やかな 祭りになりました お疲れさまでした。


★時化の中のイカ釣り

2018年08月12日 | 釣り

忙しいお盆を前に、鹿児島の鹿屋から高校時代の友人正喜君が我が家にやってきました。お土産に新物の孫達が大好きなサツマイモと、わたしも息子たちも大好きな鹿屋産の落花生をいただきました。

 

お芋は孫たちにもおすそ分けして残り少なくなりましたが、前から欲しかった石焼きいも器をネットで購入しました。我が家の落花生もあと2-3週間ほどで収穫できますが、もらった落花生は天日で干し、このナベで殻付きのピーナツとして美味しくいただきましょう。

 

わが家へやってきた正喜君を加え、先月からの予定のイカ釣りに行ってきました。自宅からは15分程度のところにある芥屋港ホームの英ちゃん操るいつもの三祥丸です。写真は2016年6月に、山師匠の百田さんと釣り師匠のナベさん3人で登った、立石山から眼下の芥屋港を写したものです。

 

台風の14号の影響も心配されましたが、風は北西・波は1mの予報でいつもの期待一杯で午後5時30分出港です。

 

メンバーはいつものメンバーと正喜君の9名です。

 

出港したもののウネリがあるようです。余裕の正喜君ですが、この後ウネリの飛沫でびしょ濡れとなってしまいます。

 

ここ玄界灘のケンサキイカは5月ごろから釣れだし、群れはどんどん北上してしまいます。したがって本日は壱岐沖の小呂島沖まで約2時間近くかけてやってきました。早速イカスッテを付け釣り開始の正喜君へイカが釣れました。正喜君も簡単に釣れてきたイカにびっくりしています。

 

田舎の先輩の大作兄ぃにもいい型のイカが釣れていますが、到着して1時間もするとウネリも風も心成しか強くなって来たようです。

 

今日は大潮で風と波の影響で隣通しの仕掛けが絡んでくるので、おもりを50号から一回り大きな80号、さらに100号に交換します。とたんに初挑戦の正喜君は経験もなく当然でしょうが、イカのあたり(重み)を捕えることはできません。

 

今は元気の左舳先の釣り弟子石やんですが、この頃やっと船に慣れてきたのに、久しぶりの苦しい船酔いに苦しむこととなります。

 

波とウネリで、イカのあたりを捕えることが難しい状況に困惑の尾崎さんです。

 

舳先からパラシュート錨を入れているので船の揺れも大きく、前で釣っている仲間はイカのあたりを捕えることが困難となっています。ついに石やんが船酔いでダウンしました。昨夜ほとんど眠っていない正喜君もこの後船酔いでダウンしてしまいます。まだ釣り始めて2時間弱ほどですが、大作兄ぃが「もう帰ろうか。」。英ちゃんにすれば大した波ではないのですが、これからという時に撤収準備にとりかかります。

 

釣りやすいところに陣取った、私以外のメンバーは釣果は10杯以下と貧果ですが、帰れる嬉しさに皆さんホッとしています。船酔いで嘔吐し元気になった正喜君と大作兄ぃです。

 

船の飛沫を体に受け止め、雨具の準備をしているもののびしょ濡れの近所の尾崎さんです。

 

時化の中、帰りは3時間以上も船に揺られすっかり疲れ切っているメンバーです。釣りは2時間ほど行き帰りの船中は5時間以上と厳しい釣りとなりました。

 

ホームの港に着くと船から荷物の引き上げをみんなで行います。英ちゃんは我々の意向で帰港したにもかかわらず、遊漁の船賃を安くしてくれました。

 

今日の釣果は沖漬けのイカ13杯・・・・沖漬けはこのまま2-3日置いてからいただきます。

 

生イカ13杯・・・・でしたが、2時間程度の釣果ですから、あと4時間ほど釣ると40-50杯ほどは釣れたのですが・・・・当初の目標は欲張りの100杯越え・・・・

 

生イカ1杯だけ今夜の刺身にもらい、残りはせっかくの鹿児島からの参加の正喜君へ持って帰ってもらいます。この暑さイカは弱りやすいので、生イカはすべて内臓を取り出し、ジップロップに数匹づつ入れしっかりバラ氷で冷やしてクーラで持って帰ります。わたしの指導でイカの捌きをしている正喜君です。すくない釣果でよかった?ええっ!

 

期待一杯で参加の正喜君には散々の釣りとなってしまいました。これに懲りずに我が家へまた遊びにおいてください。


はいっみぃ いかついけ きたどん わっぜか なんで あんべも わいかごっなっ いっ かえったどっかいち おもたどん もしとか っついやったど わっぜ あいがともさげもした

はじめて イカ釣りに 来ましたが おおきな 波で 体調も 悪くなり いつ かえるのだろうと 思いましたが 楽しい 釣りでした 大変 ありがとうございました。


★2018年8月の探鳥会

2018年08月06日 | 野鳥

朝早くから囀っていた野鳥も、夜明け前から鳴きだす「ヒグラシ」と、それに続く「クマゼミ」の大合唱に沈黙の毎日ですが、サマータイムで8時からですが本日は酷暑の探鳥会です。

しかし、小さな孫たち二人の面倒を見なければならないので30分から1時間程度の参加となります。

 

クマゼミが最高潮の大合唱の中、探鳥会が始まりました。鳥も少なく酷暑のこの時期、参加者もまばらの12-3名で出発です。

 

先月はたくさんのオオヨシキリが、「ギョシギョシ、ケケチケケチ」と大変賑やかだった荒れ地の萱場には、金属光沢の美しい緑青色の翅を持ったトンボで、飛ぶときにチョウのように翅をヒラヒラさせる「チョウトンボ」が止まっていました。

 

もうすぐ稲穂が出る気配の田んぼには、ヒエがたくさん実って頭を垂れています。探鳥会のリーダが、「こんなヒエには,昔巣立ったばかりのスズメの雛たちが群れていたのだが・・・・」。あれほど身近だったスズメも50年前の10分の1に激減した説もあります。

 

ここ今津の探鳥会の場所はクリークが張り巡らされていて、この時期には様々なトンボが飛び回っています。会員の方もさかんにシャッターを切っています。

 

「シオカラトンボですか。」と聞いたところ、シオカラではないそうです。ネットで調べたところシオカラトンボより一回り小さい「コフキトンボ」ではないかと思います。なお、シオカラに似たトンボは数種類いるとのことですが、ほとんどの会員の皆さんは自然の動植物を愛おしむナチュラリストの方です。鳥だけでなく蝶や植物などの図鑑を一緒に携えている方もたくさんいます。

 

田んぼの畔にカルガモの親子が見え隠れしています。ヒナは2匹しか見えませんが稲に隠れてたくさんの兄弟がいることでしょう。盛んに私たちを気にしている親になるべく急いで立ち去ります。

写真は「日本野鳥の会」バードファンより https://www.birdfan.ne

 

ここで私は近くに住む長男の家に、今日面倒を見る孫を迎えに行きます。あと次男の1歳6か月の孫娘と二人の面倒を妻と見なければなりません。

 

皆さんに挨拶をして今日の探鳥会は終わりです。ちなみにわたしが今日確認した鳥は

ハシブトガラス、セッカ(声だけ)、越夏個体のマガモ、アオサギ、ダイサギ、カルガモ

以上たった6種類ですが、この先の探鳥ルートはメイン会場の干潟が広がります。

 

週末は久しぶりの夜のイカ釣りを計画しています。鹿児島から友人正喜君が一緒に釣行することとなり、再会が大変楽しみです・・・・が、誘った手前、天気と釣果が非常に気になります。

 

よおついけ け ち ゆうたどん てんきやら つるっどかい わっぜ しんぱいやっど つるればよかどん

魚釣りにおいでといったけど 天気や釣れるかどうか 大変心配です。 釣れればいいのですが。


★ナベさん

2018年08月02日 | 日記

徐々に生活のリズムも戻りやっと体力も回復した感じとなりました。火星が15年ぶりの大接近ということで、毎夜火星から土星を眺めています。写真はMAXズームで火星を写してみました。

 

昨日は釣りの師匠でもあり、「人生は邂逅なり」の岐路に立ってくれた恩師のナベさんが、野菜をもって立ち寄ってくれました。退職後逢う機会がめっきり少なくなったのに、わざわざの立ち寄りに感謝です。

 

ナベさんからのゴーヤで「ゴーヤチャンプルー」を作ってみました。また、近くに行ったので西区の「おさかな天国」で、脂ののったイワシを3匹250円で買ってきて煮つけてみました。今夜のおかずはこれで十分です。

 

さて、ナベさんとのそもそもの出会いは三十数年前にさかのぼります。当時釣りのTV番組も持って釣りライターでもあったナベさんのお店、「居酒屋 浦島太郎」の暖簾をくぐりました。30そこそこの若造で、ど素人の釣り人にもかかわらず、同郷ということもあり大変気持ちよく接してくれて、設立したばかりの釣り倶楽部へも誘ってもらいました。

 

そこから一時家庭を顧見ないほどの釣り道楽が始まります。対馬や五島今まで知らなかった釣りの世界が大きく広がって夢中な時代でした。今では私も磯釣りからもっぱらの船釣りです。ナベさんは七十数歳にして荒磯で一人でクエを狙うほど、お頭の方は別としてまだまだ元気です。いつまでもあこがれのナベさんであってほしいものです。なお、昨日わたしは床屋で夏仕様の髪切りに行ってきましたが、ナベさん曰く「わたしだって床屋に行って髪切り行きたいよ。そうね・・・・髪切り代は何万円でも払ってもいいかな・・・・」ウフ。

 

※写真は16年前のナベさんです。いまでも頭も全部ほとんど変わっていません。

ナベさんの言伝のメモ用紙から、少し都会の風が感じられますので少し長くなりますが、心情も加えて正調?のかごっまぺんで・・・・

うとどんへ おいげでとった ゴーヤとかもってきもした しったいだるっぬっかひに ひさっかぶいのはないをすっため わざわざもってきたたっど おらんかったでおいていっもんで くてくいゃんせ

宇都さんへ 私の家でとれたゴーヤなどを 酷暑の中なのに あなたとひさしぶり話ししたかったので訪問しました 留守だったので 置いていきます どうぞ食べてください。