研究方法としてライフストーリーの手法を使った移民関係の本を読んでいる。『写真婚の妻たち―カナダ移民の女性史―』(多分もう絶版)は1900年代初頭に日本からカナダへ移民した女性にインタビューし、聞き取ったことを記述した本。1983年に出版されていて、ライフストーリーというより、オーラルヒストリーに分類される手法と言えよう。移民としてカナダへ移った女性たちの語りからは、その時代とその境遇をたくましく生きる女性が浮かび上がる。
17年ほど前、カナダに1年滞在したが、その時、男性の60~70歳代の日系2世の方数名と知りあいになった。彼らとよく話す時間があり、たわいもないことをよくしゃべったものだったが、物を持たず、欲がなく、しかしバンクーバーのどこへ行けばどんなものが手に入るのかという情報をつぶさに知っていた。そこには生活に密着した裏情報的なものも含まれており、彼らの人生のやはりたくましさのようなものを感じた。英語はあまり話さない人達で、日本人としての誇りを持っている人達だったが、子どもや孫への距離の置き方に特殊な雰囲気を感じた。『写真婚の妻たち』を読んで、彼らのことを鮮明に思い出した。私があのときに感じた特殊な雰囲気は移民のアイデンティティによるものかもしれない。カナダで新たに形成されていく子ども世代の「家族」に自分が入り込むことで崩れてしまうものがあるのではないかという遠慮だったのではないだろうか。迷うことなく“自分は○○人だ”と言える環境を新たな世代の子どもや孫たちには作ってやりたいという親心ゆえの、あの特殊な距離の置き方だったのではないだろうか。
「移民を生きる」ということは、移住するときには思いもつかず、まだ世に存在すらしない子孫を巻き込み、揺るがす、数代にわたっての大事業なのだろう。
17年ほど前、カナダに1年滞在したが、その時、男性の60~70歳代の日系2世の方数名と知りあいになった。彼らとよく話す時間があり、たわいもないことをよくしゃべったものだったが、物を持たず、欲がなく、しかしバンクーバーのどこへ行けばどんなものが手に入るのかという情報をつぶさに知っていた。そこには生活に密着した裏情報的なものも含まれており、彼らの人生のやはりたくましさのようなものを感じた。英語はあまり話さない人達で、日本人としての誇りを持っている人達だったが、子どもや孫への距離の置き方に特殊な雰囲気を感じた。『写真婚の妻たち』を読んで、彼らのことを鮮明に思い出した。私があのときに感じた特殊な雰囲気は移民のアイデンティティによるものかもしれない。カナダで新たに形成されていく子ども世代の「家族」に自分が入り込むことで崩れてしまうものがあるのではないかという遠慮だったのではないだろうか。迷うことなく“自分は○○人だ”と言える環境を新たな世代の子どもや孫たちには作ってやりたいという親心ゆえの、あの特殊な距離の置き方だったのではないだろうか。
「移民を生きる」ということは、移住するときには思いもつかず、まだ世に存在すらしない子孫を巻き込み、揺るがす、数代にわたっての大事業なのだろう。
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