講義要項
けふよりは詩編百五十 日に一編読みつつゆけば平和来なむか
(南原繁歌集『形相』所収)
80年前、無教会キリスト者の内村鑑三の平和主義から大きな影響を受けた南原繁の読んだこの短歌
は、東京大空襲の戦禍のさなかに詠まれたものですが、それはまた、敗戦後の日本が、平和な国として
再出発するには何をなすべきか、その理念と祈りを聖書の詩編にもとめたものでもありました。内村鑑
三と南原繁の平和への願いを想起しつつ、『詩編に聴く―聖書と典礼」という連続講義を行う予定です。
この講義は内村鑑三の連続講義『聖書の研究』を手本としていますが、私は、内村があまり問題としな
かった「(ユダヤ教・東方キリスト教・西方キリスト教の)典礼のなかの聖書」という視点をあらたに付
け加えました。
カトリックの「教会の祈り(新しい聖務日課)」では、詩編が中心的な位置を占めています。主日の典
礼、毎日の聖務日課(時課)に参加する者は、詩編150編のすべてを、様々な形態で、朗唱することに
なるでしょう。キリスト者の祈りは、ユダヤ教の典礼を母体としていますが、排他的な民族主義を克服
して、すべての民と被造物の救済を目指すカトリック信仰に基づいています。
聖グレゴリオの家で歌われるグレゴリオ聖歌のラテン語テキストは、初代のキリスト者の世界の共通
語であったギリシャ語聖書(七〇人訳聖書)に基づいています。新約聖書のなかの旧約聖書の引用は、
基本的には詩編も含めて、この七〇人訳ギリシャ語聖書によりますので、新約時代のキリスト者の信仰
を理解するためには、ユダヤ教正典のヘブライ語テキストだけでなく、ギリシャ語テキストに基づくキ
リスト者の詩編解釈の伝統を知ることも必要となってきます。
私の連続講義は2025年の復活祭の後から開始し、全部で十回を予定しています。
詩編の構成・作者・表題・内容の分類・キリスト者の詩編解釈の伝統・近代語訳(英語欽定訳など)日
本語訳の比較など、詩編釈義に伴う様々な諸問題を論じる予定です。カトリック教会の典礼ではグレゴ
リオ聖歌が中心的な位置を占めますが、この講義では、復活祭に関連する詩編、とくに「詩編51に聴
く―灰の水曜日の懺悔と賛美」「詩編118に聴く―ペテロの証し―受難の民の希望」「詩編148に聴くー
アッシジの聖フランシスコの祈り・ラウダート・シに寄せて」「詩編150に聴く―復活祭のアレルヤ
唱」など、カトリックの典礼と聖務日課に関連の深い詩編を幾つか選んで詳しく解説します。また、七
〇人ギリシャ語訳聖書の伝統を継承する正教会の典礼で詩篇がどのように歌われているかを知るため
に、日本でもよく知られているラフマニノフの「晚禱(徹夜禱)」を手引きとして、その背景にある正教
会の典礼で歌われる詩篇と新約聖書の賛歌を解説します。
福音歳時記 3月8日 聖ヨハネ病院修道会創設者記念日


福音歳時記 3月7日 聖ペルペトゥア 聖フェリチタス殉教者の日
獄中の夢は信實ペルペトゥア竜も剣(つるぎ)もおそれぬ自由
西暦203年3月7日にローマ皇帝セプティミウス・セウェルス下の迫害により殉教した二人の女性ペルペトゥアとフェリチタスについては、殉教者自身の筆録も含め、「ペルペトゥアとフェリチタスの殉教」と呼ばれる詳細な文書が残されている。ローマ皇帝によるキリスト教迫害と豊臣秀吉の伴天連追放という時代背景の違いはあっても、「勇敢な女性」の「殉教=信仰の証し」と言う点では、ペルペトゥアと細川ガラシャには共通点がある。それは、彼女たち自身の言葉が遺されており、またその殉教時の状況がさまざまな人によって記録されているからである。
ペルペトゥアの殉教録のなかには、棄教を促す父親と彼女との対話が含まれている。老境に入った父親は、家族や親戚、彼女の赤子への配慮を引き合いに出し、棄教を促す。ペルペトゥアはそのたびごとに大きく心を揺り動かされるが、「被告の席の上でも、神の思し召し通りのことが起こるでしょう。私たちが自分の力の中にではなく、神の力の中にいることを知って下さい(scito enim nos non in nostra esse potestate constitutos, sed in Dei) 」と父親に答え、信仰を捨てないことを告げる。
ローマ帝国の時代の殉教録に特徴的なのは、コロッセウムでの野獣刑である。これはおそらく異教の神々への人身御供という意味があったと思われるが、ペルペトゥアもまた、入場門のところで、サトゥルヌス神とケレス神の神官の祭服を着用するように言われるが、彼女は断固としてそれを拒否して次のように言う。
「私たちが自らこのようなことに進み来ているのは、自分の自由が奪われないためでした。私たちが自分の生命を献げるのも、こんなことをしたくなかったからでした。その点についてはあなた方も私たちと意見が一致して居るはずです」
結局、彼女の主張が認められ、異教の祭服の着用が免除されたので、彼女は詩編を歌い、行進して総督ヒラリアヌスの前に来ると、
「あなたは私たちを(裁くが)、しかし神があなたを(裁くでしょう)」と堂々と述べたために鞭打たれ、牝牛の角に突かれたあとで、剣闘士の剣によって最期を迎えたと書かれている。
ペルペトゥアの殉教録には、彼女の弟が、殉教が神意にかなうものであるのかどうか夢にて尋ねるように懇願したことも書かれている。当時は、夢の中で神意が告げられるという考えがあった。ペルペトゥアが獄中で見た夢は、梯子の乗り天上に赴くと、梯子の周りには刃の突いた武器、麓には竜がいたので、この夢によって彼女は自分がコロッセウムで殉教することが摂理なのだと知ったのであろう。