詩編51(ダビデ王の懺悔/賛美)が、エルサレム第二神殿でどのように伴奏付きの合唱隊によって歌われていたのかはよく分からないが、現代のユダヤ教徒が、この詩に曲を付けてヘブライ語で朗詠する事例はたくさんある。そのなかでも私が特に心動かされたのは、Christene Jackmanの作曲した「Choneni Elohim(主よ、我をあはれみたまへ)」である。歌詞はヘブライ語聖書の詩編51から抜粋されたものに、現代風な伴奏が付けられているが、ラテン語詩編のmiserere mei Deus にあたるChoneni Elohimのリフレインが非常に印象的であった。詩編は、ヘブライ語では「賛美」を意味するTehillim とよばれるので、どのような深刻な嘆きや悩み、病めるものの苦しみが歌われていても、また、時には教訓や処世の知恵を主題とする場合でも、基本的に「賛美の詩編」なのであり、単にユダヤ教徒だけのものでなく、キリスト教が、ユダヤ教から受け継いだ聖書の啓示を集約的に含むものであると同時に、あらゆる宗教と宗派の区別を越えて、全ての人の宗教心に直接に響く音楽であるといってよいだろう。
Choneni Elohim, from Psalm 51 (Be Gracious to me O G-d)
www.ShuvStore.com Choneni Elohim (Be Gracious to Me, O G-d), From Psal...
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講演録画「細川ガラシャの時代の典礼聖歌1-3」のなかで、私はレオポルド一世作曲の詩編51の解説をしたが、それは器楽による伴奏付きの典礼聖歌のなかで最もよくもとの詩の内容を良く捉えた曲であると思ったからである。悲嘆の底から、懺悔を通じて主の賛美へと大きく転換するヘブライ詩編のダイナミックな心の動きをどのように音楽で表現するか、レオポルド一世はその課題を一つの作品としてみごとに結実させている。たとえば、教会の朝の祈りで唱えられる「主よわが唇を開きたまえ、わが口は御身をほめ歌わん(domine labia mea aperies, et os meum annuntiabit laudem tuam)」の詩句は、まさにそのような深き淵に沈んだ詩人の心底からの叫びが聞き届けられ、懺悔が賛美へと転ずる臨界点で歌われる詩である。作曲者のレオポルド一世は、この一行の詩句を何度も繰り返しつつ様々な声部でうたわせるが、深き淵の底から天上に叫ぶコロラツーラ・ソプラノの表現は音楽的な美しさを越えて、聴く者の魂をゆさぶるような旋律である。
(音楽付)細川ガラシアの時代の典礼音楽ーその1- 3
ーダビデ王の懺悔ー Domine, labia mea aperies 22:15 Gloria Patri 35:10 ...
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バロック時代のイタリアが生んだ詩編51の典礼音楽としては、アカペラで歌われるアレグリ作のミゼレーレもよく知られている。1630年代に作曲されたこの作品が、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂だけで聴くことをゆるされた「秘曲」であったが、それを少年モーツアルトが二度聴いただけで写譜したというエピソードはあまりにも有名である。
この曲の特徴は、答唱の部分も先唱の部分も、すべてラテン語訳詩編の言葉を用いているところであろう。曲の旋律は同一であることによって答唱であることを示されているが、歌詞はそれぞれ異なっていて、すべて詩編のラテン語訳からとられているのである。そして天才モーツアルト以外の人間には譜面化不可能だと思われる答唱部分は9声部をもつ複雑な構造をしているが、ここでも、レオポルド一世のmiserere mei と同じように、ソプラノの天上世界へと突き抜けるような高い声部が印象的である。
Miserere Mei Deus
This piece is Psalm 51, but first set to music by Allegri around 1630....
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日本では、カトリックの典礼聖歌6,7番「あなたのいぶきをうけて」が詩編51(の抜粋)への答唱である。
答唱の言葉「あなたのいぶき」は、聖書的文脈では「聖霊」を意味し、神の御前に原罪を認めて告白した人(詩人としてのダビデ王)が「聖霊に息吹かれ」て、新しい人として、再び創造されることを意味している。
答唱:あなたの いぶきを うけて わたしは あたらしくなる
6-1 神よ いつくしみ深く わたしを顧み 豊かなあわれみによって 私のとがを ゆるしてください。
罪に染まった わたしを 洗い 罪深い わたしを 清めてください。
6-2 わたしは 自分のあやまちを 認め、 罪はわたしの目の前に ある。
あなたが わたしを さばかれる とき、 そのさばきは いつも 正しい。
6-3 わたしは生まれた日から悪に 沈み 母の胎に宿ったときから罪に 汚れていた
あなたは まごころを 喜び 心の深みに知恵を 授けられる
6-4 ヒソプで水を ふり注ぎ わたしの罪を 取りさって
わたしを洗い 清めてください 雪より白く なるように
6-5 わたしに喜びと楽しみの声を 返し うち砕かれたわたしを また 喜びで満たしてください
わたしの罪を 見つめず 犯した悪をすべて ぬぐいさってください。
7-1 神よ わたしのうちに 清い心を造り あなたの いぶきでわたしを強め あらたにしてください
わたしを あなたのもとから 退けず 聖なるいぶきを わたしから 取り去らないでください
7-2 救の喜びをわたしに 返し あなたのいぶきを送って 喜び仕える心を ささえてください
わたしは あなたへの道を 教えよう 罪人があなたのもとに 帰るように
7-3 あなたは いけにえを 望まれず はんさいを ささげても 喜ばれない
神よ わたしのささげものは 打ちくだかれた こころ あなたは悔い改める心を 見捨てられない。
7-4 み旨のままにシオンを恵みで 潤し エルサレムの城壁を 新たにしてください
その時あなたは 正しいささげものを皆 喜ばれ わたしは あなたの祭壇で 仕えるようになる
日本語でこの詩編を朗詠するときの注意は、典礼聖歌集の終わりの部分に掲載されているが、それによると
歌詞でゴシックで書かれたところは、行の途中の音の変わり目を示し(下の高田三郎作曲の譜面参照)
変わる前にすこし速度をおとして、丁寧に歌うこと、「ます」「さい」「メン」の歌詞表記は、
大文字をいくらかのばして、小文字を軽く付けるように歌うこと、などの指示がある。