母に着せて一緒に旅立った着物
はやいもので、今日は母の命日
朝、起きて、店を開け、ゴミを出して
神棚、仏壇、毘沙門天の御供を変え、
手を合わし、ちょっと口に入れて
会社へ行く毎日。
今日だけは違う日。
一年前の大阪で、訃報を聞き、急ぎ東京へ
しかし目の前にしても涙は出ない。
泣かないのではなく泣けないのであったことを
思い出す。
亡くなったということは確かで、
この目で、遺骨を納めたのも確かである。
しかし実家に住む様になってから、
まだどこかに居るのではないかと感じる。
ちょっと買い物に行っているだけ。
一人になった父 頑固な江戸っ子で、
母と違い機転が利かず、根からの職人。
母がいたから客商売が成り立っていた。
(家へロケに来た、高田純次さんも石坂浩二さんもその様に言っていた)
母がいたらこの様にしていたということを
進言すると、何度か出て行けと言われたこともある。
母がしていたことを一切見ていないのである。
技術屋との違いかもしれない。
ゆえに技術一辺倒ではいけないと考え
部下にも技術だけではダメと指導している。
腹の立つこともあるが、
住んであげているのではなく、
住まわしてもらっている と
思えば、腹も立たない。
少しでも長生きして欲しいと思う。
この様に思うのは長男に与えられた
通字の「守」が影響しているかもしれない。
正直、会社と家と家内の調子
心の負担は大きい。
辛い1年が過ぎてしまいました。
皆様には つまらぬ一面でしたが、
どうぞご容赦願います。
昨日の歩数 5509歩
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実の父なのに意思疎通が出来ないとは
思いませんでした。
お心遣いありがとうございます。
長くて何をして来たかわからない
1年でした。
お心遣いありがとうございます。
私の父ももう3回忌になります。
お母さまの存在が大きくて
お父様も さみしさが大きいでしょうね
実際 一緒に住んで
生活を共にすると安心感もありますが
いろいろ折り合いが難しいですよね。
奥様の気持ちも 上総介さんの気持ちも
わかる気がします
奥様と同じ年代なので。。いろいろ不具合が出てきて 受け入れながら 対処している感じです。。お体 上聡介さんもですけど。。ご自愛くださいね(^◇^)
環境もお住まいもお父様との同居も心が休まる日はなかったと思います。
月日が経つにつれ、ふとした時に涙もあふれ出たことでしょう。
これからもご自身のお体も大切になさってくださいね。