前田侯爵邸(東京都目黒区駒場4)
この日は三田の家から渋谷を通り、
途中、渋谷区だったり世田谷区だったりと区界を通り抜け
駒場東大まで歩いて行きました。
閑静な高級住宅街を抜けると一角に立派な洋館が建っています。
イギリス後期ゴシック様式の流れを引くチューダー様式の洋館
駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館
アーチをくぐって気分は最高です。
旧加賀百万石、前田家第16代当主・前田利為(1885-1942)侯爵の本邸として建てられ、
当時「東洋一の邸宅」とうたわれたそうです。
使用人が100人以上いたそうです。
ここの主である前田侯爵陸軍大将は南方方面軍指揮官としてボルネオにて戦死されました。
中庭
1945年(昭和20年)9月に連合軍により接収され1957年(昭和32年)に解除されました
当初マッカーサー元帥が使用される予定でした。
その後、東京都が建物と土地を買収し、 1967年(昭和42年)に東京都近代文学博物館
・井の頭線、「駒場東大前駅」 西口より徒歩12分
・小田急線、「東北沢駅」より徒歩13分
2010.10.23撮影 EOS7D 28-105mm
つづく
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途中、渋谷区だったり世田谷区だったりと区界を通り抜け
駒場東大まで歩いて行きました。
閑静な高級住宅街を抜けると一角に立派な洋館が建っています。
イギリス後期ゴシック様式の流れを引くチューダー様式の洋館
駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館
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旧加賀百万石、前田家第16代当主・前田利為(1885-1942)侯爵の本邸として建てられ、
当時「東洋一の邸宅」とうたわれたそうです。
使用人が100人以上いたそうです。
ここの主である前田侯爵陸軍大将は南方方面軍指揮官としてボルネオにて戦死されました。
中庭
1945年(昭和20年)9月に連合軍により接収され1957年(昭和32年)に解除されました
当初マッカーサー元帥が使用される予定でした。
その後、東京都が建物と土地を買収し、 1967年(昭和42年)に東京都近代文学博物館
・井の頭線、「駒場東大前駅」 西口より徒歩12分
・小田急線、「東北沢駅」より徒歩13分
2010.10.23撮影 EOS7D 28-105mm
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100人もの使用人に囲まれる。
どんな気分なんでしょうねえ。
と思ってしまった私です。(^o^)
アーチをくぐった瞬間の気持ち良さ 伝わってきました ☆
お茶会でも催されていたのでしょうか?
中のシャンデリアとか素敵そうですね。
私もパンフを読んで、
同様の事を思いました。
想像もつかないですね。
わかります アーチをくぐる瞬間
門も玄関もその家の顔ですからね。
家へ伺うという気持ちになります
着物をお召しになったご婦人方は
ここへ見学しに来たみたいです。
着物で洋館 良いと思います。