安全寺坂 2009-05-30 | 坂の上の雲(坂の周辺) 安全寺坂(東京都港区三田四丁目1番地) 坂の西側に江戸時代初期に安全寺があったことから名付けられました。現在、安全寺は元麻布3丁目へと移転しています 慶応義塾大学の正門近く、桜田通りの坂の下から 坂の上から 後方は以前紹介した蛇坂・塩見坂へ通じます
鳥居坂 東洋英和女学院 2009-05-27 | 坂の上の雲(坂の周辺) 鳥居坂(港区六本木五丁目) 外苑東通りの鳥居坂下交差点から、急な坂道です。鳥居家の屋敷があったところから坂の由来です 坂下の鳥居坂交差点から 坂上から。左側はシンガポール大使館敷地 後方は東洋英和女学院がある 東洋英和女学院 1984年改築 東洋英和女学院 本部・大学院棟 2003年改築 中学部・高等部のエントランス 玄関などに華やかな装飾を施した旧校舎のデザインを踏襲しています 本部・大学院北面のウインドウボックス窓 鳥居坂に面する部分には旧校舎のファサードを巧みに残しています。
綱坂 2009-05-26 | 坂の上の雲(坂の周辺) 綱坂(東京都港区三田二丁目) 平安時代の武将、渡辺綱(「足柄山の金太郎」で有名な坂田公時(金時)らと共に、源頼光の「四天王」の一人)がこの付近で生まれた、という伝説があり、それが坂の名の由来となっているそうです。この付近はかつて三田綱町と呼ばれていました。小学校の頃は家へ帰るのに遠回りしてこの坂を下ったものでした。夜は静かで怖いものがあります。 左側は以前紹介した綱町三井倶楽部 右側は慶応義塾大学です 坂の上 左側はイタリア大使館 後方は綱の手引坂 美しい門構えのイタリア大使館 旧伊予松山藩松平隠岐守中屋敷で大石主税良金ら十士切腹の地
芋洗坂 2009-05-13 | 坂の上の雲(坂の周辺) 芋洗坂(東京都港区六本木5丁目~6丁目 ) 麻布十番と六本木をつなぐ道 正面左が芋洗坂と右が饂飩坂 坂下の勾配が終わるあたりのビルの窓 六本木交差点のアマンド横
聖坂 2009-03-25 | 坂の上の雲(坂の周辺) 聖坂(東京都港区三田四丁目) 高野聖が開いた古代中世の通行路で、その宿所も同所に存在したためと言われています。 聖坂 中腹のクエート大使館 その隣が我が母校、港区立港中学校(現三田中学校)ですが、現在建替え中です 奥には東京タワーが望めます 同じく中腹には亀塚神社があります 聖坂下 右は潮見坂の坂下と接しています 奥にはロケットビル(NEC本社)
潮見坂 2009-03-05 | 坂の上の雲(坂の周辺) 潮見坂(東京都港区三田3丁目2番と4丁目14番の間 ) 坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられた。 坂上には、蛇坂や、安全寺坂があります 坂下は聖坂。 現在では海すら見る事ができません 誕生日おめでとう
蛇坂 2009-02-08 | 坂の上の雲(坂の周辺) 蛇坂 東京都港区三田四丁目 由来は、付近の藪から蛇が出ることがあったとされている 国道一号線沿から見たところ 坂を上りきると二股になり、直進すると安全寺坂、右に曲がると塩見坂につながります 右は小生の母校港(現 三田)中学校裏門 現在立て替え中
暗闇坂 2009-02-06 | 坂の上の雲(坂の周辺) 暗闇坂 東京都港区麻布十番二丁目から元麻布三丁目にある坂 由来は昼間でも樹木が茂り暗く、狭い坂道に覆いかぶさっていたからといわれています 坂の上は一本松坂、大黒坂が混じり合います 元麻布三丁目方側(サミット)から 坂はかなり急勾配です 中腹 右はオーストリア大使館 東京都港区麻布十番二丁目から 右は小学生の頃よくプラモデルを買い求めた模型屋さん 時代の流れか現在ではゲームソフトを販売しているようです 坂を下った先にある麻布十番温泉(在りし頃)
日向坂 2009-02-02 | 坂の上の雲(坂の周辺) 日向坂(東京都港区三田1丁目) 江戸時代前期、南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があったためと言われていますが子細は不明です 日向坂サミットから二ノ橋を望む 日向坂から見た六本木ヒルズ 日向坂にあるオーストラリア大使館 中腹には三田会議所もある 日向坂下(二ノ橋)から 上は首都高速道路目黒線 二ノ橋 流れる川は古川
魚籃坂 2009-01-22 | 坂の上の雲(坂の周辺) 魚籃坂 東京都港区三田4丁目と高輪1丁目の境にある坂です 前回紹介した伊皿子坂を登って麻布側へ降りる坂です 魚籃坂上より麻布側を望む 正面奥ののビルが六本木ヒルズ 魚籃坂の中間にはこの坂の由来である三田山水月院魚籃寺があります 朱色の山門が一際目立つこのお寺は江戸三十三箇所観音霊場の第25番札所にも指定されています 魚籃坂交差点から魚籃坂を望む