今でこそ運転効率を上げるために見られなくなったけど、
急行は当たり前、特急でも分散併合運転をしていた。
もともと14系の分散電源方式はそのためのものものだったがその発電機の煩さときたら寝られたものではなかった。
晩年では、騒音のためスハネフの寝台券は最後まで売らなかったとか・・・。
そんな分散併合特急みずほの懐かしい併合作業シーン。
ちなみに手前はスハネフ14のトップナンバーだった。
1976年 鹿児島本線鳥栖駅 6レ・4006レみずほ
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今もリバイバルカラーで残る183系・189系。
でも、既に貫通型は居ない。
電関人の青春期にその全盛だったこのスタイル。
もっとも、貫通型といいながらその機能を使用したのは晩年のシュプール号ぐらい。
後年は、その隙間から雨水が漏ったりするので塞いでしまった。
その貫通型の中でも、こと183系に拘る。
走行区間に口径が小さい古いトンネルがあるので屋根上前哨灯を付けていないという。
485(481)系を見慣れている電関人にはそれがとても新鮮!
そんな無駄な貫通扉と屋根上前哨灯無しの機能美を双方兼ね備える183系が好きだ。
従来の窓の高さで揃った9連の183系0番代あずさ。
直流区間では全パン上げも好きだった。
1981年3月 大糸線 安曇沓掛付近
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このところ罐ネタが連続したので、趣を変えて・・・。
さらに今日はとても暑い一日でしたので涼しげな写真でアップします。
足繁く地方私鉄に通った80年代初頭。
これら鉄道の営業収入の一部を占めていたのは通学客の学生たちでした。
写真を撮りに行った各鉄道では、午後になると下校の子供たちが主たるお客さんになります。
生活路線だった鉄道もこの後、道路網の整備や沿線人口の減少と共に廃止の運命を辿って行きました。
子供たちの屈託のない笑顔も今や絶滅危惧種です。
1982年2月 蒲原鉄道 高松駅にて
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ニュース発表の通り、セノハチこと瀬野-八本松の補機EF67がついに引退になりますね。
EF59やEF61ゼロの出稼時代を経てEF61200、EF61100の開発中止からEF67へシフト。
当時の組合問題が無ければ、現ロクヨンセンにEF67が割り振られて現EF67は順当にEF69が割り振られていたことでしょう。
そのEF67、電関人はとうとう紅葉色の電機を撮影することなく終わりそうです。
そういう風に考えていくと、このEF61200番代も別に形式をEF60からEF61に変え無くても良かったのでは・・・。
この後EF61100番代と共にEF61に揃える事で組合問題化を避けたのでしょうか?
結局100番代の開発はされなかったことから数奇な運命となってしまったEF61200。
そして今回の投入機がEF210の300番代。またもや「1」が付く形式が巡ってきましたね!
1981年3月 山陽本線 瀬野~八本松 荷32レ(?) EF58146+EF61207
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まさに、あと1機種。
そのタイトル通り、埼玉地区でお目にかかれるオイルトレイン牽引機網羅まであと1機だった土曜日の撮影。
これにはさほど説明は不要なので写真を御覧ください。
先ずこいつが撮りたかったのもあってのオカポン詣だった、ロクロクの5078レ。
120号機は初めてかもしれません。
そして次に現れたのはロクゴPFで珍しく4074レが活転。
やはりロクゴには青タキが良いなぁ。
2067号機でした。
で今度は場所を変えて下りで、EH2007号機の3093レです。
さらに、場所を変えてワシクリに転戦しまして・・・
嬉しいことに、クロスパンタEF21016号機が4091レを引いてきました。
埼玉県下では、一時臨貨でEH500がタキを牽きましたが現在は無いのでこれであとロクヨンセンのタキが来れば、
ロイヤルストレートフラッシュ完成のオールスターズでしたがこれで打ち止め。
それでも、とても満足のいく一日でした。
2012年7月21日 高崎線 岡部~本庄、東北本線 東鷲宮~栗橋
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