大潮だったのであろうか、土曜の休漁日。
漁師は、潮が引いた磯で沿岸漁業に勤しむ。
かつて、この高台に立ったのが1983年の二月だったであろうか。
あれから35年、大戸瀬は駅舎こそ変わったがその俯瞰の景色は何ら変わらない。
しかし車を止めた高台の集落の道路を、例の弾丸道路工事現場に向かうのか11tダンプがしきりに往来する。
まもなく五能線に並行した道路は廃れ地域住民だけのものになることだろう。
そのころまで五能線は生き残っているのだろうか・・・。
弾丸道路のロジスティクスは平成の次の元号の下で果たして人の生活を全国レベルで潤すのだろうか。
それともまたもやナガタチョーの道路族議員の懐のみを温かくするのだろうか。
いい加減、くだらない馬鹿な政治に一石が投じられる時代を平成の次に期待したいものである。
2018年 睦月 大戸瀬にて
乗客が減る一方の五能線を守っているなら、これもまたちょっとした戯画ですね。
公共事業が都会の富の地方への再分配システムである事に意味が無いとは言いませんが、
その土地本来の生産活動を構造改革する努力をないがしろにしたのは、政治と地元双方が背負う業を生み出しました。
おはようございます!
只今、当ブログは雪の影響で48時間手配になっております。。。(檄爆)
宿で訊いた話によると、沿岸漁業では生計を支えるに至らず、
5、6キロ沖の延縄ではノドグロを2000mの仕掛けを流して、
数本揚がれば御の字、ほとんどがツノザメで鉄パイプで頭を叩いて針を外して、青森のローソン加工工場に卸して、おでんだねに化けるも
金額は低く、とても数千万の舟道具代の足しには程遠く、
弾丸道路や東日本の震災復興事業現場まで足を延ばして、
生計を立てているのが現状です!
この石澤漁師さんは50歳で娘さんと母親の3人家族。
娘はとても親孝行な20代で、我々と一緒に宿のストーブを囲んで
談笑してました。。。
彼女の屈託のない笑顔は今も電関人の網膜の残影です!!!