磐越西線は、蒸機牽引列車が復活してその風光明媚さと相まって未だ好きな路線であるが
途中駅の様子が電関人が最初に訪れたころとは大きく変容しているのが残念だ。
そんなことになるとは思ってもみなかったのでちゃんとした写真が残ってないのが悔やまれるけど、
かつての日出谷駅はしっかりした駅本屋があり、駅前の駅弁も仕出していた宿で鉄研合宿を張ったこともあった。
機関車や貨物が駐留できる側線も数本あった。
列車を待つ間、ストーブを囲んで談笑が響く待合室には売店もあって近隣の生活者は週刊誌や新聞を駅売店で購入していた。
ちょっと今の日出谷駅からすると想像ができない話。
1982年2月
風太郎は何故かあまりこの駅の写真を撮っていないので、こんな駅だったかと改めて。
本当に今では想像できない、亜幹線らしい堂々たる駅ですね。
左端に見えるのはヤード灯でしょうか。
駐泊もあって明るかったはずの、この駅の「夜楽」を何故やらなかったのかも、返す返す残念。
当時はこんなに寂れてしまうとは思ってもいませんでしたので、やはり写真はほとんど残っていません。
列車や機関車ばかりに目が行って、周囲の情景を撮らなかった事が悔やまれます。
合宿で駅前旅館に宿泊した晩、確かに「夜楽」話が
持ち上がったものの、宴会がヒートアップし・・・っという
顛末だったように記憶してます(笑)
電関人の知らない日出谷のターンテーブルに乗るC571号機の
お写真を見せていただいてとても感動いたしました!