明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

インドの時間③

2007-10-19 15:03:11 | 

皆様、こんにちは
ちょっとブリの更新ですが、よろしくお願い致します。

一雨毎にどんどん秋めいてきた、京都です。
忘れないうちに、インドレポートを書いておこうかと。
と言ってももう、既に帰国して2ヶ月余りが経つワケですがね。^_^;
どうぞ、お付き合い下さいませ。

さて。
今回は、バラナシ~アグラ編

<ガンジス河の夜明け>
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<8/14日>天気は、霧雨。

バラナシでのガンジス河を見ると言うのは、この旅のハイライトの一つ
朝陽を拝むタメに、早起き。
5時過ぎに、ガイドとドライバーがホテルまで迎えに来てくれて、
30分弱でガンジス河に到着。

最初は、雨降ってなかったんだけど、日が昇るにつれ、段々と霧雨が。
天候が悪い場合は、河が増水する事が考えられ、
ボートからガートを見る事が出来ない。
(※ガートとは岸辺から階段になって河水に没している堤の事)
うーん、お天気持って欲しいなーと思うところ。

ガンジス河には、バラナシの南端から弧を描くように、岸辺に84余りの、
ガートが連なっている。
その各々のガートから、巡礼者は朝早くから沐浴をしたり、拝んだり、
時には、洗濯をしたり、瞑想したり、聖水(ガンジスの水は聖水とされている)を、
汲んで持ち帰る人、様々な時間を過ごしている。
水辺には、大きなかさを立てた台に座った、バラモンが(最上階級)
沐浴しに来た人達に、説法を説いていたりする。

私達観光客は、沐浴することは当然止められていたけど、
この風景を見てるだけと言うのも、来た甲斐が無いと言うモノ。
聖なる、ガンジスに抱かれてみたい、そう思えるような幅広い、とても穏やかな、
ゆったり流れる河。なんだか、見た目だけで不思議な気持ちになる。
TVや雑誌なんかで、何度も見たあのガンジス河が、私の目の前に今、流れている。

ヒトリ旅の女性が、裸足になって、足を浸していた。
あ、ソレ私もやってみたいなーなんて思いながら、実行出来ず・・・^_^;
でもやっぱり、神聖なガンジスに触れてみたい、その想いを諦め切れず、
「手」だけを、浸す事に。
ゴーさん曰く、ガンジスの水に触れたら、全ての悪行を洗い流してくれると言う、
慣わしがあるらしい。これで、一皮剥けて、バージョンUPしたかしらん?

ガンジス河は、バナラシの命であり、インドの母なる河と称されている。
その名前にピッタリ、なんだか全ての時間が、ゆったり流れるような、
日本で過ごしていれば、体験出来ないような、不思議な時間。
イソイソとした瞬間は、ソコには無い。全てがスローモーションのように。

日が昇って、雨が又強く降って来たけど、観光客向けにボートを出してくれる事に。
ボートは、20数人程の定員で、その定員満員にならなければ、出発しないと言う。
私達は、ガイドを含めて3人・・・。うーん、人数集めに時間が掛かりそうだな。
定員いっぱいにならないと、船を出せないと言う理由の一つに、
河が増水しているから、転覆防止の為、「重さ」が居るとの事。
そんな説明を受けている時、向こうから花売りの男性が来た。
カタコトの英語を時間掛けて理解してみると、どうやらこの花(ろうそくも付いてた)を
ガンジスに流す事で、願いが叶う?らしき事を言っている。
値段は、10ルピー。
もちろん、高くは無いけど、さっき別の人には5ルピーで、売ってた。(笑)
値段など、あって無いようなモノなのか。
でも、しかし、私達は10ルピーでその花を買い、想いを込めてガンジスに流した。

私達が最初に乗り込んだボートは、少し古くガタ?が来ていたとの事で、
乗り換え無くてはならないハメに・・・(ノД`)
ベストポジション取って待っていたのに、席替えです。(笑)
その船の乗り換えの際、河上なのでかなり揺れる。
なので、船頭さんのアシスタント(若者)が、そっと手を差し出して私に貸してくれた。
それなのに、その優しい厚意を、私は断ってしまった。
それは、ただ単にちょっと恥ずかしいな・・・って気持ちなだけ。
でも彼らは、差別される事を知っている。断った後の若者の顔は、
「やっぱりね」
みたいな、ちょっと淋しい顔をした。今更ながら、とても後悔している。
決して差別したわけじゃないけど、彼らにはきっとそう写っただろう。

そして船の乗り換えが済み、やっとボートが動き出した。
さっきの若者は、必死で漕いでいる。今時、手漕ぎである。
30余名乗せたボートを2人で手漕ぎ。その熱意が嬉しかったり。

少し河を下っていくと、あるガートの前で下ろされた。
そこには、煙が上がっていて、ゴーさんより撮影禁止!との注意が。
そこは、火葬する場所であり、ヒンズー教の人々にすれば、ここで火葬してもらい、
その後、灰をガンジスに流してもらえると言うのは、最高の最期。
でも、その最高の最期を迎えられるのは、人生を全うしたと言われる者だけ。
自殺者や、惜しくも人生早くにピリオドを付けた人々は、火葬してもらえず、
まんま河へ遺体を沈めるらしい。(重しなんかを付けて)
人の命に長さで重さは量れないのに、なんだかちょっと困惑。

バラナシと言う地域は、都会から離れている事もあって、田舎。
そしてあらゆる方面から、信者もそして観光客も出入りするから、
値段設定が、あって無い様なモノ。現地人は、相手を見て判断する。
ま、インドと言う国柄、ボラれる事は当たり前の日常なのだけど。

このバラナシと言う地域で有名なのが、「シルク」。
ガンジス河での感動を胸に、次に移動したのが、「シルク工場」。
どうやら、見学+購入の為に、そちらへ連れられる事に・・・。^_^;
しかし、このシルクを観光客が買うと、バラナシの方達の暮らしが潤う。
ゴーさん曰く、そんなバラナシで暮らす人達を助ける為にも、
是非とも、シルクを購入してくれ・・・との事だった。
工場内を案内され、恰幅の良いボスみたいな人が、
私達を流暢な日本語で、説明する。
あー、こうやって日本語覚えて、商売してるんだなーって思った。

工場を少し見学した後、店内へ。
中には、さっきのボスの下で働く若者が2名いた。
早速私達に、ピッタリくっついてサービスが始まった。
少し、ボスの機嫌を伺いながら、ヒンズー語と英語、カタコトの日本語を交えて、
私達にセールスしてくる。2人っきりの客に対して、2名の店員・・・。
欲しく無くても、何か買って帰らなきゃならない状況に。
ここでも、「日本人」を発揮。NO!とはっきり、断れないのだ。
さっき、ゴーさんに「バラナシの暮らしを助ける為に、シルクを・・・」を、
思い出してしまったりして。
でも、きっとモノは良いモノなのかな?私はシルクに詳しくは無いけど。

母親のお土産に、シルクのスカーフと、シルクで継ぎ接ぎしてある小物入れを、
買う事にした。そのシルクのスカーフも、小物入れも、どっちも私は一つしか買うつもりは無いのに、それに対して、何枚も何枚も奥から出して来てくれて、
なんだか、ちょっと一枚だけじゃ悪いな・・・みたいな雰囲気になるも、
やっぱ、要らない物は欲しく無いので、その中から一枚を購入。
小物入れに至っては、2つ購入したら、一つおまけしてあげると言われたけど、
3つも要らないし、2つ分買うつもりもなかったので、断った。
もうこれで、買い物お終い!って言っても、あれこれ勧めて来て、
挙句の果てには、「シルクのサリーを着せてあげましょうか?」みたいな事まで、
言われ、購入させられそうになった。
女性にとって、サリーって魅力的だし、私も興味があった。
でもまだこれから旅は続く。ここでお金を使ってしまうワケにはいかない。
会計をしてと促し、お金を支払った。
私達に終始くっついて、商品を出し入れしたり、あれこれしてくれた店員2名は、
その売り上げを、全てボスに渡していた。
この売り上げの中から、彼らに幾ら支払われるのだろうか。

商品を包んでもらっている時、言葉が少々通じなかったので、
相方がメモで筆談しながら、会話していた。
その時に使っていた、ボールペン(100円程度のもらいもの)を見て、
「ギブミー、ギブミー、ギブミー」
と、恥ずかしげも無く、ひったくろうとした。
人のモン、欲しいってどう言う事やねんとか、少しびっくりしたけど、
相方は、すぐにそのボールペンを彼に渡した。
するともうヒトリの店員までが、今度は私に「ギブミー」攻撃。
私は、その時ペンを持っていなかったので、渡さなかった。
たった100円のペンだけど、彼らにとっては珍しいと言う事以外に、
「日本製」
と言う事にも、意味があるらしい。実際は、「メードインチャイナ」のモノだったけど。
工場を後にし、次は移動をする為に、駅へ向う。

バラナシ到着時から、ずっと私達を乗せて運転してくれるタクシーのおじいさん。
真っ白な車が、自慢なのに、この2日で、道なき道を走ってくれ、
泥だらけ。そして雨にも降られて。インド人って時間にルーズ。
でもこのおじいさんは、いつもガイドのゴーさんよりも先に来て居て待っていてくれて、
結構誠実な方だった。

バラナシから電車の駅まで、約1時間。天気が荒れて来て、土砂降りになって来た。
行程が少し押したので、移動時間が削られた。列車の時刻に間に合うかな?
道なき道を、どんどん走る。牛も馬も豚も寝そべってる、道なき道。
横断歩道なんて無いし、信号なんて、もちろん無い。
中央線だって走って無いし、道は舗装されていない。
ジャリ道、ガタガタ道、土砂降り。
なんだか、人生を走ってるみたいだ。
私達を間に合わせようと必死で、おじいさんは、どんどんスピードUP!
事故するんとちゃうか?って心配だったけど、どうやらインドはこれが日常。
トラックを抜きつ抜かれつ、無事駅に到着。
おじいさんも、ホッとしていた。(笑)
おじいさんは、どうやら私達が無事列車に乗ったのを確認し、見送るまでが、
ドライバーの仕事みたい。一緒に駅まで見送りに来てくれた。

駅に着くと、例の如く荷物を持った私達めがけて、ポーターが寄って来る。
「荷物持ってあげるよ~、どこまで行くの~」
みたいな事をきっと私達に言っているんだろう。
最初は、こんな事にビクビクしてた私達だけど、「NO!」と言えるようになった。
ゴーさんが切符を買いに行ってる間、そのたかって来る人達を振り払って、
待つ事数十分、ゴーさんが戻って来た。
列車NOと、ホームが記された切符(正式には、紙切れ)通りに、
2階の陸橋を渡ってホームへ向った。

もちろん、日本のように、エレベーターや、エスカレーターがあるわけでは無い。
階段のみ。私達はスーツケースを持っていたので、
ポーター無しで持って上がるには、少しキツかった。
ゴーさんは、バラモン階級だから、こんな事普段しないはず。
自分で荷物を持つ!と言う私達に、少し困惑気味。(笑)
今考えると、彼らポーターは、荷物を持つのが仕事。それでお金をもらっている。
私達が彼らの仕事を取った事にもなる。

暫くして、降りたタクシー内にお弁当を忘れて来た事を思い出した。
慌ててその旨をゴーさんに話すと、おじいさんが車内まで取りに戻ってくれる事に。
この時、初めて知ったんだけど、おじいさんは左足が、悪かった。
少し、足を引きずっていたから。
それなのに、クラッチを踏みながら、スピードあげて車を走らせてくれて、
階段の上り下りしながら、私達のポカで忘れたお弁当を取りに戻ってくれた。
ちょっとジーンとした。インドに来て初めて、人の優しさに触れた瞬間だった。
この時初めて、心からチップを払えた。ありがとう、おじいさん。

到着予定の列車は、ジャイプール行き、特急。
私達は、その途中にある都市、大理石で有名な世界遺産のタージマハールのある、
「アグラ」まで乗る予定。所要時間は10時間半。
列車が入るホームには、牛が居てびっくり。牛も乗り降りするのかな?(笑)
予定時刻になっても、列車が来ない。こんなのはインドの日常らしいが。
ゴーさん曰く、20分遅れまでは「ジャスト」の勘定。(笑)
私達日本人にすれば、00分発と、20分発は大きく違うが。
考え方を変えれば、そのくらい時間をゆったり使って日常を過ごしているとも言える。

暫く駅のベンチで座って待っていると、隣にインド人(だと思う)の子供が、
座って来た。暫し、私をジロジロ凝視。(笑)
やっぱ、日本人って珍しいのかなぁ。((´∀`))

列車到着、まだかなまだかなー・・・^_^;
列車案内のボードには、「on time」の文字。ホンマかいな!
ようやく20分余遅れで、列車到着。ま、インド文化では、20分はon timeだもんな。

こちら、列車の窓に柵がしてありますね?
これは、窓から乗り込むのを防止するためだそう。
ここの車両だけ、乗車率が200%くらい。(笑)
インドは、面積が広いからみんな、列車でゆっくり旅。

列車は、細かくランク付けされていて、もちろんそれに伴い値段が違う。
私達は、エアコン付きでインドでは、一番良いとされた寝台車両に乗った。
さっき、エアコン付きと書いたけど、こんなに暑い国なのに、
レギュラーシートは、エアコン無し。
一番良いとされた車両と言っても、薄暗く湿気ていて、ちょっと気持ち悪い。(笑)
ソノ上、この日は大雨だったので、ジメーって感じ。
ここでも、過剰サービス。エアコンは、ギンギン。めちゃんこ寒い。(笑)
毛布を貸してくれたけど、これもほんのり、湿っていて、チョット・・・^_^;

私達は、スーツケースを持っていたので、この荷物を終始、見ていなければならない。
いつ盗られるか、イタズラされるか、わからないって思っていたから。
その旨を、不安だとゴーさんに告げると、カレは、

「この車両に乗っているインド人は、お金持ちばかりです。
 お金持ちはそんな事しません、心配なしです。」

と・・・。そうか。周りを見回しても、お坊さんや(きっとバラモン階級)、
肥った方が多かった。
この肥った方って言うのは、階級が上になればなるほどに、インド人って言うのは、
肥った人が多い。そのワケは、沢山食べると言う以外に、
自分で動かなくなるからだそうだ。メイド(召使い)に全て仕事をあげるタメに、
用事を頼むから。自分の足で、中々動かない。

ちょっと安心したトコロに、列車が駅で停車。
一応、「エクスプレス」って名前だけど、時速にすれば100キロも出てない気がする。
凄くゆっくりな時間。列車の中はヒマだから、早く着かないかなーなんて思っていると、
駅で停車したトコロに、貧しい子供が入って来た。
停車中は、切符を持たなくても、車両に入れる。
この停車中に、お金をもらいに、回るのだ。私達の車両を最初から狙って。
その子は、物乞いのように、足を曲げ「お金を恵んで」と、
私達のシートにすがりつき、夫の足元まで寄り、足を触って来た。
震えるようなカタコトで話すんだけど、その目を合わすと最後。
ずっとずっとその場を離れず、お金をせびるから。
私達は、視線を合わせずに、ただ通り過ぎてくれるのを待った。
でも、その子の目は力強く、お金を貰い慣れているようにも思えた。

10分くらいの停車時間で、又列車が動き出した。
なんせ10時間半の旅。時間はたっぷりある。
列車内を、「チャーイ、チャーイ」と言いながら、チャイを売る人が行きかう。
後は、インドのおやつ「サモサ」や、軽いおやつなど(スナック菓子)
いろんな物を売る人達が、何往復も車両内を行きかう。
私達は、一度も買わなかったけど。

次の駅で停車した時、又貧しい子供が車両に入って来た。
その子は、竹ホウキを持って、掃除しに来たみたいだった。
ずっと膝を折り、膝まづきながらはき掃除をし、私達よりも目線が常に下になるように、
していた。そう言う風に、教えられているんだろうか。ちょっと複雑だ。
その子は、さっきの子よりも、とても淋しい目をしていて、
自分から「お金恵んで」とは、言えないようだった。
自分の仕事として、それに見合うお金を良ければくれませんか?
と、目が訴えていたようだった。切なかった。

そして又列車が走り出し、辺りは段々暗くなって来た。
ホントは、のんびり車窓から見る景色なんか、最高なんだけど、
何せ、外は豪雨それに加え、列車の窓が曇っていて、なんにも外が見えない。(笑)
高級車両の窓は、開かない事になっているので、
新幹線や飛行機の窓みたく構造がなっている。

最後の駅から乗ってきた、インド人ファミリーは、凄く若目のファミリーだった。
ママは、体系がカナリのふっくらさんで、その連れのお友達も、皆さんふっくら。
車両に入って、シートを確認するや否や、宴会が始まった。(笑)
丁度、私達のシートの真向かいで、私は軽くキレそうになった。
大声出すのも、お構いなし。若いから、仕方無いのか?
そこで、ココの車両に見合わないような、身なりの男性(ガリガリ)2名が居たので、
物売りかなんかなのかな?って思っていると、どうやらお向かいのファミリーが、
雇っているメイドらしかった。
はっきり、顔付きで解る。メイドなのか、乗客なのかって事が。

1家族に付き、メイドの数が増えれば増える程、お金を持っている証。
ぱっと見、20代だろうなと思われるその若家族は、かなりハブリが良さそうだった。
身に付けてるサリーだって、高級品っぽかったし、おシャレにも抜かりがなかった。
ここでも、貧富の差を見せ付けられた感があった。
あれこれ指図されたメイドは、嫌な顔一つせず、主人に仕えていた。
一度、奥さんがチャイをこぼした。
そのチャイを、膝まづきながらメイド達が、床をぬぐっている姿は見るに耐えなかった。

そして、ようやく10時間半ほど掛けて、目的地アグラに着いた。
辺りは真っ暗。アグラの駅は、タージマハールに似せた造りになっている。
夜だと、ピンクに光ってる。(笑)
さて、今日は疲れたなー。早朝のバラナシから、アグラまでの移動。
沢山の人々を、今日も見た。この後、ホテルにて就寝。おやすみなさい。

写真は、こちらからどうぞ。右上の、スライドショーよりどうぞ☆

次回、インドの時間④は、アグラ~ジャイプール編です。
長文、読んで下さり、どうもありがとうお疲れ様でした。