真の無印良品

2022年06月30日 | 短歌
いまは、わが国で無印良品というとそれ自体ひとつのブランドとなっている
本来の無印良品とは、どこの誰が作ったか分からない良い製品をいうのであろう

最近真の意味の無印良品を見つけてしまった。ネット上で、フォルムの美しさといい色合いのよさといい理想的な品が目にとび込んできた
説明文を読むとはっきりしない点がある。しかもノーブランド、だが安い
いいものか悪いものか分からないが、自分の感性に掛けて注文してみることにした。物はオカリナ・・・

陶器製が本来のオカリナ、いまは初心者らしくプラスチック製オカリナでガマンしている
ほしいのは陶器製、いく日もしないうちに手元に届いた

小さなダンボール箱を開ける。渋いこげちゃ色の焼きものが想像したとおりの形で鎮座していた
手にとってみるとやや大ぶりだが、自分の手によくなじむ。陶器どくとくの重みがいい

もんだいは音色である。ちゃんとした音が出るのか・・・

静かに息を吹きこんでみる。ふっくらとしたいい音である
琵琶湖周航の歌を吹いてみる。高音も半音も気持ちよく正確にでる

あらためてこの楽器を両手にのせてながめる
この楽器を選んだわが感性をひそかにたたえたい気持ちである
よい買い物であった

◇ 真の無印良品 ◇
よくここに 来てくれたなと
無印のオカリナ両手に
重さ はかりつ

(ついでながら)このオカリナは台湾製であるようだ。取り扱い業者のサイトにはその国の製品が幾つか並んでいる。日本語の取り扱い説明書は、小さな紙に小さな字で、いくつかのことが書かれただけのもので、しかもコピーされたもの一枚である。要するに余計なことにカネをかけていない。宣伝費はもちろんかかっていない。それゆえの安さなのであろう。

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筆を選ぶ

2022年06月25日 | 短歌
弘法筆を選ばず、ということわざ

弘法大師ほどの書家になれば、どんな筆を使っても上手な字を書く
道具にあれこれケチをつけたりしない、これが素直な解釈

でももう一つの解釈では そうならない
弘法様でない平凡人は、やっぱりいい道具がなくては上達はおぼつかない、となる
で、道具を求めての彷徨(ほうこう)が始まったり
買おうか買うまいか悩んだりする

趣味のあらゆる世界で、この彷徨人や悩める人に対応できる市場が存在し、素人衆をえじきにせんと待ちかまえているのである

いま楽しんでいる、ボウリングやオカリナの世界も例外ではなく
けっこうな高額の商品が、下手な素人衆を悩ませているのである

◇ 筆を選ぶ ◇
買う買わぬ
悩む時間も楽しみの一つであるか
趣味の世界は




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モテ期? ジジババ

2022年06月20日 | 短歌
倍賞千恵子主演の映画、プラン75が国際的にも評判らしい
75歳以上になったら、自由に死を選べる社会を描いたものだと言う

松坂慶子主演、複数のジジババが出てくる連続ドラマがきのう終わった

ジジババがいまモテている。誰から?
世間から!社会から!

ジジババを題材にすれば映画はヒットする
連続ドラマは視聴率がとれる
要するにジジババは、カネになるということなのか

ベストセラーだと言う単行本の題名にはズバリ年齢が入って、70歳が分かれ道であったり、80歳が壁であったりするが、若者がこんな本を買う訳がない。ジジババが読者として期待されているようだ

週刊誌も同様だ
人生論とか生き方本は、むかしは若者が読むものだった
ところが、週刊誌の広告を見て呆れるのは、おせっかいにも、ジジババの生き方指南の記事であふれかえっていることだ。それも、毎週である

こんなふうにジジババが一見注目され、モテているかのようであるが・・・

いや待て、待て
こうして並べてみると、いじられているのは、ジジババたちのかかえる不安感ではないのか
浮きぼりになってくるのは、決して守らられてはいない、ジジババたちの生きている環境ではないのか

◇ モテ期?ジジババ ◇
喜んでばかりはおれぬ
ジジババと持ち上げられる
ココロをさぐれば


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浮草・考

2022年06月15日 | 短歌
小津安二郎監督の、浮草を観てきた

会場は古い木造の公民館。六十年前の映画を鑑賞するにはもってこいの施設である

旅回りの役者とその周辺の人たちとの関わりを描いている

地方の町で呑み屋を営んでいる女(杉村春子)と座長(鴈治郎)のあいだには堅気の息子(川口浩)がいる
息子は、座長が自分の父親であることを知らない
座長は久しぶりに一座を率いて、女と息子のいる町に興行に来たのである

若い女座員(若尾文子)と座長、息子の三角関係がメインテーマであるはずだが、シナリオはそれを微妙にずらして、ほかの事件の中にすべり込ませている。一見、隠しテーマのごとくである

客入りの少ない一座は破産、座員はバラバラに
若い女座員は行動を共にすると座長にすがるが、座長はすげなく突き放す
座長はパートナーの女(京マチ子)と町を離れることに
夜汽車の中で、二人はチビリチビリとやりながら再興の夢を語りあっている

一方、息子とその母親、一緒に残された座員の若い女のその後については何らの暗示もないままである
町を去る者が未来を語りあっているのだから、町に残る三人に未来がない訳がない、と言いたげであるが
そのことは観る者の想像力にゆだねられて、この映画は終わるのである

◇ 浮草・考 ◇
逝きし者 みな若くして
小津さんの采配のまま
画面を去りたり

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漫然と

2022年06月10日 | 短歌
きょうもまた かくてありけり
島崎藤村のなげきそのままに、また一日が終わってしまう

この地にきて七年
少しずつ増えてきた本にかこまれ
少しずつ増えてきた友とまじわり

明日がまた、元気で楽しい日でありますように!
わが祈りではある

◇ 漫然と ◇
漫然と生きてる 自分を受けいれて
まずは元気で
ありたし 明日も


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