(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

1995年3月20日

2012年06月17日 | とある貨レ撮りの世迷い言
オウム事件の最後の逃亡者が捕まったのに因んで。

3月下旬の時期になると妙高志賀系統のシュプール号は
運転 糸冬 了 が間近になるため
まだ運転の続く大糸線系統のに狙いを変えて
当日から大糸北線で、その回送を中心に撮る予定だった。
前日発の急行「能登」で糸魚川に着き
始発のキハに乗って南小谷~中土の名所まで出ていく。
撮影地まではだいたい歩いて30~40分。
まず返しのキハ単と回送1本を撮影。

回9133レ

そうして終わって南小谷の駅まで戻ったのが朝遅く。
小学生たちが村の有線放送を聞こうとガヤガヤ騒いでいる。
和ませてくれる放送を聞かせてくれるかと思ったら
聞こえてきたのはNHKニュース。
おかしい。有線で通常NHK、はあり得ない筈。
小学生の他には客は俺だけだったので
「ちょっと待って!消さないで!」と叫んで
そのままつけっ放しにさせて聞いてみると
「聖路加病院○○○人…虎の門病院○○人…」
と救急車で担ぎ出された人々の数が次々と挙げられていた。
この時自分の住まいがある街が
非常事態になっているのを知った訳だが
今は長野の山奥で金矢してるので
気にはなるけど動けないので撮影を続行した。
そうして多少気にしながら根知~頸城大野間で後追いを撮影。
バックにそびえるのは妙高の山々。
手前のゴツゴツした山は焼山だろうか。
その時はあんまり山のことには詳しくなかったので
なんていう山なのかは分からなかったが
まさか妙高の裏側を撮ってるとは思わず
後で知った時は驚いた。

回9140レ

直江津廻りで高田の駅前のビジホに一泊
ニュースは今朝の事件一点張り。
幸か不幸か日曜が仕事で、月火と休みで金矢だったから
その騒動に巻き込まれずに済んだが
無理矢理誰かと勤務交代してたら
エライ目にあってたかも知れないと思うと、寒気がした。

撮影が終わって上り「あさま」で帰ってきたのは21日夜。
花粉症を発症してて、鼻ぐちゅぐぢゅ
鼻の下はかみすぎてヒリヒリ。
あぁ、1個¥30のティッシュなんて買うもんじゃなかった…
と思いながら、おっかなびっくりで帰京。
翌22日からまた出勤してったが
その日から数日、地下鉄がガラガラで
何処から乗っても座れる状態だったのは
乗ってて正直寂しかった。

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2 コメント

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Unknown (ろびーめるせんぬ)
2012-06-17 20:22:23
あの日自分はガッコの父兄ボランティアでベルマーク整理かなんかしてたけど、日本もとうとう何でもアリな国になったんだと空恐ろしかった。
そして担任の友達が犠牲になった。
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Unknown (ぃょう@某家頁管理人)
2012-06-17 22:18:48
>同志・r(ry
まずはその担任の友達の方のご冥福を。

まぁ確かに何でも有りにしてしまったのはオウムでしたが
何でもありだからこそ、不測の事態に備える準備を怠ってはいけないんだな
そう思ったのもこの事件があって以降ですね。
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