東日本大震災 ~記録・教訓・復興~

~東京・新宿より発信~

7月13日 今日までご愛読ありがとうございました。

2011年07月13日 | 情報・震災の記録、節目

 今日まで「東日本大震災」の被災地と犠牲になられた皆様に思いを寄せて、ブログを運営してきました。

 主要な投稿記事は「読売新聞」を情報源として明記していました。

 この度、読売新聞・知的財産担当者様より著作権に関する、丁重なご指摘を頂きました。

 継続するには、承諾と使用料が必要になり、私の対応できる範囲を超えてしまいましたので、今日まで4か月間のブログ記事、600件余りを削除することになりました。

 思い返しますと、私自身の、3月11日の体験が「東日本大震災」のブログ開始のきっかけになりました。

 当日、私は知人の奥様の葬儀(通夜)に参列するため、東京・新宿から上越・長岡に向かいました。

 知人宅に到着し、挨拶を交わしていると間もなく、地震のニュース速報が入りました。大津波警報や、甚大な被害が刻々と伝えられていました。

 その後、葬儀は滞りなく執り行われました。

 私は、日帰りの予定でしたので、ご遺族と別れ長岡駅に向かいましたが、すでに新幹線は止まっていました。

 翌日は、母校中学校の統合による閉校式に出席する予定でしたが、当地に一泊し、告別式に出席する事にしましたので、故人を心ゆくまで偲びお送りすることができました。

 再び長岡駅に戻りましたが、新幹線が動き出したのは夕方6時過ぎでした。

 その間、一人で何時間も待ち続ける中で、大地震と被災地、被災者の事を考え込んでいました。

 長い時間の経過の中で、自然に思い浮かんだのが「大震災のブログ」を立ち上げることでした。 

 身体に障害のある身としては、ブログによって被災地に思いを寄せられると考えました。

 以来、4か月、ほぼ毎日、仕事の後で夜遅くまで、記事の投稿に励みました。

 根気と気骨がおれましたが、充実した時間を過ごすことができました。

 ブログを続ける内に、改めて自分にできる事が見えて来ると思っていましたが、その最初が「記事の削除」になるとは、皮肉な事でした。

 でも、それは「想定外」ではなく、淡々と受け入れなければなりません。

 そして、改めて自分の身の丈に合った「できること」を模索して行きたいと思っています。

  今日は「盆」の入り。迎え火を焚き、燻る煙を見つめつつ、一つの区切りをつけました。