4月14日 「熊本」で、M6.5、震度7の強い地震が発生。
4月19日 熊本空港が一部再開し、羽田発便なども再開された。
九州新幹線も、20日に一部再開の予定。
4月21日 JR鹿児島線は、運休していた熊本ー八代間の運転を再開し、同線は全線が復旧。
4月23日 九州新幹線は、午前中に博多ー熊本間の98㌔で、営業運転を再開。
残る熊本ー新水俣間は、ゴールデンウィークまでの復旧を目指している。
4月26日 九州自動車道、耐震対策で橋脚が崩れず、今月中には全面再開する見通し。
「阪神大震災」を教訓に実施された耐震対策で倒壊せず、橋桁の落下も無かった。
補強工事は、国が1996年に強化した「高速道路の耐震設計基準」に基づき進められていた。
4月27日 九州新幹線は、午後に熊本ー新水俣間が復旧し、全線再開。
約150か所で駅のホームを支える柱や高架橋のひび割れが見つかっていた。
JR他社から技術者の派遣や資機材の提供を受けて復旧に当たった。
4月29日 九州自動車道、15日ぶりに前線開通。
熊本地方の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
〔平成28年(2016年)熊本地震〕
4月14日 午後9時26分頃、熊本県熊本地方で、強い地震が発生。津波の恐れはないが、余震が相次ぐ。
4月15日 午前0時半現在、死亡2人、負傷者15人、建物被害19件。強い余震が相次ぎ、被害拡大の恐れ。
午後1時現在、死亡9人、負傷者774人、建物被害多数、避難所505か所、避難者約4万5千人。
午後8時現在、負傷者1,010人、余震150回を超える。
4月16日 午前1時25分頃、M7.3、震度6強を観測。今回が「本震」と見られる。死者が更に増えるとの報道。
「震度6強」は、その後回収された震度計の解析により「震度7」に訂正される。
M7.3は1995年の阪神大震災と同規模。その後も、震度6強の地震が断続的に発生。
午後8時現在、新たに死亡28人、負傷者1,000人以上。
4月18日 午前0時半現在、死亡42人、不明7人、負傷者1,101人、建物被害2796棟(うち全壊401棟)。
交通機関は、九州新幹線運転見合わせ。熊本空港ビル閉鎖。九州自動車道一部区間通行止め。
地震活動域は、これまであまり活動が見られなかった南西側の同県八代市付近にも広がる。
最初の地震発生以来、震度1以上の地震は、500回を超し、活発な活動が続いている。
生存率が急激に低下するとされる「災害発生から72時間」が19日未明に迫り、
自衛隊や警察などは、大規模な斜面崩落が発生した南阿蘇などで、懸命な救助・捜索に当たる。
4月19日 午後11時半現在、死亡47人、不明8人、負傷者1,203人、建物被害6338棟(うち全壊1175棟)。
避難者は、熊本・大分などで9万5840人にのぼる。
エコノミークラス症候群で病院に搬送される人が増え、死者も出始めている。
熊本空港が一部再開し、羽田発便なども再開された。
九州新幹線も、20日に一部再開の予定。
自衛隊は、食糧や水などを、避難所に直接輸送を開始。出動隊員も更に、2万6千人に増員される。
各地域の警察、病院や、自治体でも支援活動が活発化。
新宿区でも、区庁や出張所で義援金の受付が開始される。
4月20日 被災者の復旧作業を支援するボランティア募集が開始。
熊本市社会福祉協議会は、「市災害ボランティアセンター」を設置、22日から募集を開始。
熊本県益城町社協も21日、ボランティアセンターを開設。
菊池市社協は、すでに19日に開設し、初日に約60人が登録。但し、余震が収まるまで活動見合わせ。
震災のエコノミークラス症候群などによる「関連死」が、地震の死亡者47人とは別に、11人に上る。
4月21日 地震発生から1週間。九州は朝から強い風雨に見舞われる。
熊本、大分両県では、午前11時現在、17万人以上に避難指示・勧告が出される。
南阿蘇村では自衛隊などによる捜索活動が天候不良で中断される。
気象庁は「土砂災害、地震活動、降雨の状況に十分に注意してほしい」と呼び掛けている。
益城町では、町社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを開設。
午前9時の受付開始から約1時間で、各地からの120人が集まり、避難所での作業に向かう。
JR鹿児島線は、運休していた熊本ー八代間の運転を再開し、同線は全線が復旧。
4月25日 午前、政府は熊本地震の「激甚災害指定」を持ち回り閣議で決定。
復旧事業への補助が、通常の7~8割程度から、最大9割程度にまで引き上げられる。
肺塞栓症(エコノミークラス症候群)での「災害関連死」は、13人に。
4月25日 現在、「応急危険度判定」で、6886件の建物が危険と判定され、阪神大震災を上回る。
危険判定物件は、阪神大震災6476件を上回り、東日本大震災の1万1699件に次ぐ。
4月27日 九州新幹線は、午後に熊本ー新水俣間が復旧し、全線再開。
約150か所で駅のホームを支える柱や高架橋のひび割れが見つかっていた。
JR他社から技術者の派遣や資機材の提供を受けて復旧に当たった。
4月28日 地震発生から2週間。震度1以上1000回に迫る。避難者なお3万7000人。
死者49人、関連死16人、安否不明1人、負傷者1553人、建物損壊2万8292棟(うち全壊2103棟)。
〔ピーク時〕 〔27日〕 午後10時現在
避難者数 20万4419人 ⇒ 3万6926人
断水 40万1139戸 ⇒ 1万5900戸
停電 47万6600戸 ⇒ ほぼ復旧
ガス停止 10万884戸 ⇒ 2万2693戸
4月29日 九州自動車道、15日ぶりに前線開通。
4月29日 熊本県は、地震で被災した住民向けに応急仮設住宅計100戸の建設に着手。
6月中旬の完成を目指す。さらに県は今後、2100戸分の支出を決定している。
5月14日 発生から1か月。今なお約1万人が避難所に身を寄せている。
避難所解消のメドが立たず、住宅確保などが課題。
5月19日 震度1以上1500回に達する。
6月 1日 最後の不明者、捜索再開。
唯一安否が分かっていない大学生の捜索が、南阿蘇村で再開された。
上空からの確認作業は続けられていたが、地上からの本格的な捜索は1か月ぶり。
6月12日 午後10時8分頃、熊本県八代市で、最大震度5弱の地震発生。
6月14日 発生から2か月。今なお6431人が避難生活。
益城町では、88戸の仮設住宅で、被災者の入居が始まる。更に今後、仮設住宅を、
1200戸以上建設が必要と試算している。
6月21日 梅雨前線の影響で、熊本地震の被災地が再び、自然の猛威にさらされる。
九州各地は、20日夜から21日にかけて記録的大雨に見舞われた。
熊本県内では、土砂崩れなどによる死者が計6人に達した。
今後も局地的に激しい雨が降る恐れがあり、気象庁が警戒を呼び掛けている。
6月14日 発生から3か月。今なお4592人が避難生活。
熊本県内の被災地では追悼行事や復興に向けた集いが行われた。
熊本市では新たに4人が「震災関連死」と認定され、地震での死者は直接死が49人、
関連死が10人の、計59人となった。依然1人が行方不明。
7月14日までの震度1以上の地震は、1888回となった。
政府の地震調査委員会は、「最大震度5以上の余震の可能性は低下したと」発表した。
ただ、委員長は「安心せずに備えを忘れないで」と話している。
(参考:読売新聞)
「東日本大震災・被災地」へ派遣経験の有る、新宿区・小学校の副校長先生をお招きして、体験を通しての授業が行われました。
スライドを見ながら、津波被害や、プライバシーが保たれない、不自由な避難所生活の状況をお話頂きました。
避難所の、狭い生活スペースの低い間仕切り、トイレ、風呂など、児童の身に投げかけられるお話と、実体験だからこそ分かる観点のお話が印象に残りました。
授業後の質問時間には、児童から活発な手が上がりました。
大震災の教訓を風化させまいと、保存に向けた論議が活発化している。
国は、補助制度を設けて保存の動きを後押しするが、自治体の負担は大きく、早々に撤去されたものも多い。
陸前高田市の「奇跡の一本松」は、「一本松があることで、津波の被害や避難の必要性を今も身近に感じられる」と、津波を経験した住民にとって大きな存在となっている。
前向きなイメージの一本松と違い、遺構の多くは被災の負の記憶を呼び起こす存在でもあり、姿を消していくものも多く、各地で、地元の意見が割れるケースが目立つ。
言葉だけでは津波の威力を伝えるのは限界があり、「時間が経てば被災地を忘れないで」と遺構を保存する方向に気持ちが変化する住民も増えていくとして、合意形成を急がないことも重要とされる。
(参考:読売新聞)
「東北六魂祭」は、東日本大震災からの復興を願う祭りとして、2011年に仙台市で初めて開催されました。以降、盛岡市・福島市に続いて4回目になります。
中心部の大通りでは、青森ねぶた祭り、秋田竿燈まつり、盛岡さんさおどり、山形花笠まつり、仙台七夕まつり、福島わらじまつりのパレードが行われ、約1200人の踊り手が参加しました。
24日の見物客は13万2千余りになりました。
(参考:読売新聞)
東京電力は、4号機の使用済み核燃料プールから、燃料集合体の取り出しを始める。
18日は4本を取り出し、輸送容器に収容。
2011年3月の事故で壊れた1~4号機から燃料を取り出すのは初めて。
最長40年に及ぶ廃炉工程は新たな段階に入った。
(参考:読売新聞)
これはハマボウフウという花です。宮城県名取市の「ゆりあげ浜」で大切に保護されており、大震災の大津波で全滅したかと思われましたが、また新しい芽を出したそうです。
フレームは福島の流木雑貨・流木素材のお店「Poku Poku」さんのものをオーダーさせて頂きました。
つまり宮城と福島のコラボレーションです。
東日本大震災から2年8ヶ月。被災地以外は少しずつ人々の記憶が薄れていっているようです。被災地を忘れないでほしいという、そんな意味を込めて作品を作りました。
ハマボウフウは、ゆりあげ浜に隣接していたサイクリングコースに家族で時々遊びに行き、砂浜まで足を延ばすと、よく見かけた花でした。
小さな小さな花が集まって咲きます。花のかたまりが正直少し気持ち悪いです。気持ち悪いのですが、花を支える太い茎や、ピン!と伸びた葉っぱは、とてもたくましかった。
あの大津波を乗り越えたハマボウフウは、被災地を前向きにさせてくれる花だと思います。
私自身、これからも気持ちを込めた作品を作りつづけたいと思います。
~この記事は、宮城県在住のクイリング作家さんのブログより、ご承認の上で転載させて頂きました~