Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

野生動物との共生

2020-12-24 | パーマカルチャー的暮らし
野生動物との共生
最近、市街地に熊が降りてきて、事故が増えていることをよく見聞きします。猿もなんかありましたね。猿が市街地に入って、警察がでて、なかなか捕まらないとか。警察が役に立つはずないじゃない。相手は猿だから。
ところで、熊の話になると、必ず、ある環境保護団体の話が出てくる。どんぐりを集めて山に持っていく人たち。私も、最初そこの活動を見聞きしたときには、素晴らしい活動をしていると思った。そして、熊が森でどんな役割をしているのかというのも、その団体の広報誌を通じて知った。
でもね、それって、一部は正しいけれども、地域での諸事情を考慮しないことで害になっている可能性があります。特に自然の中じゃなくて街や都会に住んでいる人には理解して欲しいと思うので、長いけどぐだぐだ書きます。
その団体はこう主張する。熊は減っている、と。九州ではツキノワは絶滅していると言われていますし関西は減っているのだと思います。原因は餌不足と乱獲で、乱獲は猟師は熊の胆を売るお金目的のためと言って批判をしていました。
一方で、長野のあたりや東北の山の深いところでは、「森が荒れて餌がない」「クマが減っている」という見方は違うというのが猟師さんや山に入る写真家の人の現場の声。私が住む裏磐梯も熊が住む場所なので、いてあたりまえのところなので、そういう声は生で聞いている。
もともと熊がいる場所なので、見かけたところで誰も騒がず、共生しています。いつもトウモロコシをとられようが、容認しています。うちの庭にも熊が来て丸太を転がしアリンコを食べていきますが、それは微笑ましく見ています。
しかしここ数年、クマの目撃が急増し、たまに来る観光客も目撃するようになったものだから、熊の目撃情報で騒がしくなってきた。実際、農作物への被害は猿の方が大きいので、地元の人は熊より猿だよねっていってるけど、でも見かけることが増えた分、子どもたちのことも心配だし、事故が起きるリスクも増えたということ。
猟師さんから聞くと、新世代のクマだとのこと。つまり、人間を怖がらなくなったということ。一度、人間の近くで美味しいものを知った熊は奥山には戻らなくなります。そして栄養状態が良くなるとまた増えるという悪循環。
しかし、その団体は各地の事情を考慮せずに、東北で熊の出没があり殺処分のニュースがあると役場などに圧力かけることをしているみたい。現に、私が住む地域も、10年以上前は予防駆除という習慣があり、冬眠明けの熊を狩ることをしていたことを猟師さんから聞きました。しかし、外部から批判されてやめたとのこと。それはどこの団体かは私ははっきり知らないけど。
裏磐梯に長年住む方に聞いても「昔はこんなに見なかった」とのこと。
冬眠明けの熊を狩るなんて、かわいそうと思いますが、それは、人間は恐い存在であることをクマに知らせるためでもあります。人と野生動物の距離感を保つためにやってきた、その地域の知恵なわけで。単に、熊肉や熊の胆欲しさにやっているわけじゃない。
野生動物の話をちょっと逸脱しますが、先日、肉を食べることについて質問されました。食肉に関しては気候変動問題や動物福祉の観点から考える必要があります。明らかに工業的畜産はどっちにも悪い。ただ、そういうことと、昔の人が伝統的にやってきた野生動物との付き合いの中で、時には命をいただくという行為は同じに考えるものではないと思います。
都会に住んでいた自分が、裏磐梯に住み始めた時に、自然の中から命をもらうというのは、どういうことかにハッとしたことがあります。キノコや山菜をとって食べていると、本当に自分はその循環の中にいることを感じます。そして、ここに住んでいると、森に入ったりしたら、いつ熊に遭遇するかわからなかったりします。しかし、自分も自然の一部として自然のものをいただいて生きているのなら、いつか自分も自然界の何かに命を奪われることがあるかもしれないのは、それはあたりまえのことだ、と思うようになり、何かスッキリしたシンプルな気持ちになりました。
私たちが生きるために、植物にしても動物にしても、その命をいただくのならば、最大限の敬意を払いいただくのです。ネイティブアメリカンの人の話を何かで読んだときに、鹿を狩る時には、目標を定めた鹿を1週間だったか、観察する、ということが語られていた。そして自分も禊をして、鹿を狩りに行く。
日常生活の食べる行為の中に、いちいち、そんなことはできないし、やる必要もないけれども、それぐらいの気持ちを根底に持ちながら、すべてのいのちとのつながりを思い出すことを、年に数回ぐらいはやったほうがいいと思う。
話は戻るけれども、野生動物が殺処分されることを、ただ情緒的にかわいそうとみているだけでは、何の解決にもならないのです。原因は、私たちの生活の在り方、文化が関わっていることなのだから。
本当に、自然の摂理を理解していない人とは、話にならん。気候変動のこともだし、コロナのこともそう。起きているすべての事象は自分とつながってるのでね。
話がどこかにそれていきそうなので、この辺にしますが(;^_^A、現場を知らずに自然のことを語っている場合、話半分で聴いといたほうが良いでしょう。専門家だとか研究者だとか協会とか、そういう権威も関係ないから。

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