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Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

このブログについて

たまに更新します。
最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

今日はこびっと会議なのだ。

2018-01-03 | 日記的な
グレゴリオ暦の正月よりは、
冬至の方が私の中では意味深く、
テレビもないわが家では、
わりと静かに過ごしました。

でも、お友だちが遊びに来てくれて、
そば打ち名人から年越しそばをいただいて、
ご近所の新年会にも呼ばれて、
楽しい時間を過ごしましたよ。

大晦日から昨日までは、
友人が晴れ女だったからか、
予報より、ずっと良い天気でした。



ところが今日は吹雪いております。
というわけで、おうちの中で、
今年1年についての会議をいたします。

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冬の裏磐梯時間~手づくりじかんを楽しむリトリート~参加者募集中です。
(ハーブソルトづくり・ピザづくり・珈琲講座)
2018年2月3日~4日(1泊2日)
冬の美しい裏磐梯の雪景色を、薪ストーブのお部屋から見ながら、
自分の食べるものを手づくりする豊かさを楽しむリトリートです。

詳細は、フェイスブックのイベントページ、または、ウェブサイトをご覧ください。
冬の裏磐梯時間①
猫魔女コンシェルジュweb

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磐梯朝日国立公園に位置する裏磐梯で、
個人セッション、ワークショップ、講座などをやっています。

フェイスブックページ Earth Spiral

Earth Spiralリトリートルーム
・魂とつながるエクササイズ
・ハーバルタロット&ヒーリング
・アート・オブ・タッチ
などを行っています。

Anju Nakamori
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フォースとともに、そして愛と叡智とともに。深読みスターウォーズ(ネタバレあり)

2017-12-24 | 日記的な
今回のスターウォーズ見て思ったことを、
昨日はぐちゃぐちゃ書いてみたけれど
ひとことで言うと、
西洋的な善悪二元論から、
東洋的な太極図に近づく、
といった感じかなと思いました。

といっても、わたくしシリーズ全部を見ていませんので、
前回と今回を見た感想です。

あの、スノークっていう気持ち悪い奴が
死んでしまったので、極悪なものがなくなり、
善悪の二極の緊張が、ちょいとゆるんだような気がします。

善いものと悪いものの戦いではなく、
個人の中にある恐怖と愛、もしくは恐怖と信頼の
内的な戦いのほうが強調されていた。

表面的には良いことに見えていても、
怒りや恐怖から行動していたらどうなの?
ということになると、自分の内的なチェック機能が
鋭敏である必要があります。

フォースとともに、
そして愛と叡智とともに、
というのを付け加えるのが、
新しいオーダーになるのかも。

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ネタバレあり 深読みスターウオーズ

2017-12-23 | 日記的な
あんまり、真面目にスターウォーズ見ていません。
前回の『フォースの覚醒』から、もりぞうに連れられていく感じ。

でも、スターウォーズって、光と闇、
ホワイトとブラック、陰陽など、
エネルギーの視点から見た時に、
な~るほどと思われるところが、
ありますし、いろいろと、真理をついているところが多いので、
それで、人気があるのかな~と思う次第。

今回見た感想、勝手な深読みなどを書いてみたいと思います。
ネタバレありです。

1.単純な二元論ではない感じ

今回は光と闇の二元性やバランス、
単純な善悪ではなく、入り混じった複雑な感じ、
正義とや何か、何が善なのか、
など、真・善・美が描かれていたように思います。


2.弟子と師匠。ルークのイニシエーション

ルークとレイ、ルークとカイロ・レン。
それぞれの師弟関係の中で、
「弟子はいつかは師匠を越えるもの」
というテーマが描かれていたような気がしました。

ルークはレイアから、レン(ベン)を弟子として預かり、
ジェダイとして育てようとしていた。

ルークの言い分によれば、
ベンの中にスノークの力で、
闇が広がろうとしていた。
だから、早く始末せねばまずいことになると、
寝ているベンの背後に、
ライトセーバーを持って近づいたという。
それに気づいたベンも、
剣をとり闘う。

一方、レン(ベン)の言い分では、
先にルークから話を聞いたレイに対して、
レンは「それは違う」と否定します。
なんか、うろ覚えなんだけど、
あの時のルークの描き方が、
「自分より強いフォースを持つ弟子に、嫉妬する師匠」
に見えました。

また、別なシーンで、レイはルークに対して
「レンは私が直接会って説得すれば、こちら側に戻ってくるはず」
と言います。それに対してルークは、
「それは無理だ」
というようなことを言い、
レイの言い分を否定します。

なんとなく前後関係があいまいですが、
レイはライトセーバーを取り出し、ルークと闘い、
ルークは雨の中、足元をすくわれます。
そして、レイは行ってしまいます。
(順番違ってたらゴメン)。

その後、ルークの前にマスター・ヨーダがあらわれ、
「お前はレイに、ベン(レン)と同じことをするのか?」
と問います。

ルークが(たぶん)弟子(レイ)が師匠を越えたことを認めると、
マスター・ヨーダは古いジェダイの聖典を保管している建物を破壊し、
焼き尽くし、満足げな表情を浮かべます。

先の、ベン(レン)との話で言えば、
ルークとベンのどちらが正しいのかあいまいなまま、
ストーリーは進んでいったように思えます。

そこには、師匠としてのルークが、弟子のベンに対し、
自分でも気づかないぐらいの、ちょっとした嫉妬心が
あったのではないかとも考えられます。
そして、その嫉妬心が、ベンの師匠への不信感、絶望感を生み、
ダークサイドへ落としたとも考えられます。

レンが、ダークサイドに落ちた種は、
レンの中にあったのか、ルークの中にあったのか。

そして、レイとの関係性においては、
弟子としてのレイが、自分を越えたことを認めることが出来て、
ルーク・スカイウォーカーの、
次なるイニシエーションが為されたことを
示しているのではなかろうかと思います。

だから、ルークはご卒業ということで、
肉体から離れたのではないかと思いました。

3.火と水
火だけではなく、水のシーンが結構あった。
火=意志や思考、男性性
水=感情や愛、女性性

そういえば、レジスタンス側の
最高司令官は女性ですし、レイも女性。

現実の世の中的にも、男性的な在り方だけではなく、
女性的なありかたや、愛についてが、
テーマとしてあったのかなと思います。

レイとルークの師弟対決も、雨の中だったね。

4.最後のジェダイ?
ルークは最後に「私が最後のジェダイではない」
「ジェダイを終わらせる」
と言っているけど、そのココロは?

スターウォーズって、スターウォーズファンのもりぞうによれば、
スカイウォーカー家の話なんだってね。

レイはスカイウォーカー一族じゃないみたいなので、
最後のジェダイではないということです。

じゃあ、カイロ・レンなのか?
下のサイトの比較が面白いです。

ルークとレンの共通点として
・スカイウォーカーの血を引いている
・もとジェダイ
・父親を殺している
なるほどです。

ルークはあからさまにはダークサイドに落ちなかった。
しかし、そのリスクは持っていた。

「恐怖はダークサイドへの入り口」だそう。

力を持つからこそ、
ダークサイドに惹きつけられるスカイウォーカー一族。
そのカルマ的なものがどこかで終わり、
恐怖から愛による支配下に置かれた時に、
闘いが終わるのかもしれません。

最後のジェダイって誰のことなんだろうね。
なんか、思いついたら、また書きまーす。

【ネタバレ】映画『スターウォーズ8:最後のジェダイ』:
感想・解説:ようやく始まった新世代のスターウォーズを徹底考察


こちらの方の深読みが、素晴らしいので、是非ご覧ください)

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磐梯朝日国立公園に位置する裏磐梯で、
個人セッション、ワークショップ、講座などをやっています。

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Let it be. それでいいんじゃない?

2017-08-27 | 日記的な
また、レポートを書こうと思っているが、
8月頭と下旬に2回「Plant Medicineリトリート」を開催した。
植物とじっくり対話をして、そこから何か必要なことに気付く時間。

ひとりひとりが植物と向き合う最後の時間は、
とても良い空気が流れる。
やって良かったと思う時間だ。

裏磐梯でやるワークショップの中で、
おそらくこれが一番やるべきもののような気がする。
やったあと、いつもそう思う。



もろもろの夏のあわただしさが過ぎて、
最近、少し一息つく時間だが、何か集中モードが切り替えられず、
時々来客があるのが良い気分転換になっていた。

雨も多かったし、あまり外を散歩する気分にもならず、
忙しい時のパターンのまま、旦那さんがご飯をつくってくれていたので、
次にやる事を考えねば、と思いつつも、なにかそれが空回りする。

野菜を育てる、収穫する、植物に触れる、食事をつくる、
それをしないことが、自分のバランスを偏らせている気がした。



今朝の久々の良い天気につられて、
ぶらっと、向かいの沼に行ってみた。
「久しぶりだね」
って言われたような気がした。

植物を見ても、じっくりと観察し感じる前に
「これ、何かにしなくては」
というモードが働く。

以前は、惹きつけられるものがあれば、
じっと見ていた。じっと観察していた。
見ることしかできない時期があったことも
良かったのかどうなのかだけれど…。

今朝の散歩では、そんなもやもやや、
しばらくここに来れなかったもやもやを
言葉にならない言葉で、
その場の自然界の存在達に愚痴ってみた。



ふいに
「それでいいんじゃない」

という答えが返ってきた。

それって、どれだ?

愚痴りたいことは他にもいろいろあって、
次なる行動をいつも考えている自分に、
だいぶ嫌気がさしていた。
そんなに活動してどうすんのよ。
講座をやる、イベントをやる、
参加費をいくらにして何人集める。
あーだこーだ。

今年は畑もおざなりにして、忙しくしている。
そんな自分には嫌気がさしていた。

ワークショップや講座をする時には、
いつも、凄く集中力を使うので、
これ以上増やして、質を落とすことはしたくないし、
暮らしの基本的なことをする時間とのバランスを考えたら、
増やすことなど無理だと解っているのに、
なんで、いろいろ考えるのだろう。
そんなに人を集めたりお金になることやりたいのかな、
自分は…。

グルグルしている自分に、
「それでいいんじゃない」
という答えだった。
Let it beに近い感じかな。



「次をどうしようか?
どんなことをやろうか?
どうしたら人が集まりやすいのか?

それを考えるのは、
あなたが自然界の声をできるだけ多くの人に
伝えたいと思っているからでは?」

「あ、はい、そうでした」。
人をたくさん集めて、
お金や力を得たいわけではない。

でも、前のめりな自分を見た時に、
冷ややかなもう一人の自分が批判をする。

3.11前は前者の自分だった。
どんどんやりたいことを形にしていこうとする自分、
それで、もっと1人1人が元気になり、
世界をよくしていきたい、という自分。
それは震災後の自分から見れば、
青臭い正義の振りかざしのように見える。

「自分では好きなことやって、
人や社会のためになっているつもりかもしれないけど、それがなんなの?
泥臭く、地道に生きることに向き合ってもいないくせに」
と、震災後の自分は言う。

それだけ、3.11の後は、どう生きるかを考え、
それを生きるだけで精一杯だったし、
無力な自分も味わった。

でも、今の自分は前の自分ではないし、
無力感を味わったままの自分でもない。
自分の中で分裂しているだけで、
勝手に葛藤しているだけだ。

お金と権力問題だけではなく、
正義の振りかざし問題もそこにあり、
まるで、アーリマンとルシファーの戦いのようだ(笑)

それを自然界の知性達は見事に軽々と超越する叡智を与えてくれる。
あらためて凄いもんだなと思った。

「それでいいんじゃない?」

とのひとこと、いや、それは言語ではない何かなんだけれど、
それだけで、自分の中のグルグルしているものが、
パンとはじけて、自分が見えていないところに、
気付ける場所に意識を移動させてくれる。

分裂しているものが統合される感じを、もうちょっと自分の中に定着させることをしてみよう。
それは、自分の中でPlant Medicineの体験をもっと深めることのような気もする。
瞑想してみること、書いてみること、次のビジョンを描いてみること。
夏が終わり秋に向かう今、果実を育てるにはいい時期だしな。






カオスの世界をあるく

2017-08-18 | 日記的な
10年ぐらい前に、エコリテラシー、ナチュラルステップ、パーマカルチャーなど、
持続可能な世界を創る上での考え方の枠組みについて調べたり学んだりしていた。
その頃は、これらを指針に自分の暮らしをまず変化させて、
それを周囲に伝えることをやりつつ、世界がひどいことにならないように、
何かできたらと思っていた。

今、再びそれらに目を通した時に、手遅れ感がわいてくることも否めない。
今年は変な気候だね・・・というのは、今年だけの話ではなく、
気候の変動が既に常態化しているわけですよね。
危機的状況に、どう対処していくかを考えるフェイズに既に入っているんだろうなと思う。

そういうと、悲観的な人と思われるかもしれないけど、意外にそうでもない。
超えるべきそのハードルはかなり高くなったけれども、希望がないわけではない。

まあ、3.11で酷い目にあったので、人間、酷い目にあっても、
なんとか知恵を絞って生きて行けるもんだ、というのも経験してみると、
そんな時でも希望の種はどこかにあるのよ。

どこに行くのかわからないカオスな世界の中においては、
ひとりひとりが、自分の道を真摯に生きることが希望につながるのかもしれない。
それを一緒に探したり寄り添っていく、というのも大事だなと思うし、
それは楽しい。いわゆる癒しってやつ。

でもやっぱり、自分が癒されたと思ったら、
自分よりもっと大きいものに目が向いてくるわけで、
そうすると、やっぱり基本的な自然界の摂理や最初に書いた
エコリテラシーやパーマカルチャーで言われる倫理は
人間としては知っておきたいところなんだよね。

手遅れだと思っても、地球人としての基本をすっ飛ばしてはどこにも行けない。

場と人のポテンシャル

2017-08-14 | 日記的な
場と人のポテンシャル

最近、自分のところだけで何かやっていても広がりがないな、と思い、
ご近所さんと連携させてもらい何かイベントを考えたりすることが増えた。
「(お金にならないことばかりで)たいへんだね」
というねぎらいのような言葉をかけていただくことがあるが、
基本的に自分が大変だと思ったことはやらないので、
やっている限りは楽しいからやっていると思っていただいてよいかと思います。

自分としては、場所を借りて何かをやってみることで、
今まであまり気づけなかったその場のポテンシャルを見出すことができたり、
その場に居合わせた人々のポテンシャルが開けたりするのを見ると満足します。

目に見えないことなので、自分だけの満足にも思えるかもしれないけど、
表面的なことよりも、深層で動いている何かの方を見て満足する。

こびっとハウスのことも、よく「お客さんきてんの?」って聞かれることがあるけれど、
私の中に「お客さん」という文字は無い。
お客さんじゃなくてなんて言ったらいいのかわからないけれど。

一緒に場をつくる人、と言った方がいいかもしれない。
かといって、それを意識している人に来てほしいというわけでもなく、
場ができるときは、お互いに意識していなくても、そこにいい感じの場ができるものだからな。

特に結論はないです。

直観と妄想の狭間

2017-07-19 | 日記的な
今週末からハーバルタロット講座の実践編だ。
裏磐梯のグリーンシーズンの講座は、
直接植物に触れて学ぶ機会をつくれる。

タロットや占星術は、なにぶん目に見えないスピリチュアルな視点が入ってくるが、
植物と結び付けていった時に、大地とつながり地球的で物質的な側面が加わる。
しかし、植物や自然界について科学的にわかっていることを知るだけでも、
植物とは魔術師であることがありありとわかる。

それをすっ飛ばして、スピリチュアルな視点だけ語っても、
ただの妄想に終わる可能性は非常に高い。
だから、回りくどいようだけれど、実際の植物をしっかりと観察し、
そこにある驚きをたくさん発見することを優先したいのだ。

直観や目に見えない何かを感じることは、
それについてくるものだと思うから。

地上に現れた宇宙の神秘をみることなくスピリチュアルを語る無かれ。



●これからのワークショップのおしらせ

7月26日~27日
ハーバルメディアプロジェクト~スピリット&サイエンス
『植物の力と自然魔術~香り、色、形、ふるまいから見る植物の言葉』


力を奪われないように

2017-05-12 | 日記的な
孤立化、無力化、透明化。
いじめのプロセスの三段階と言われている。
自分の中で最も恐いと思うものでもある。

いじめる対象を孤立化させる、そして、力を奪い、
そしていじめが常態化する(透明化)。
とても恐ろしい話だと思う。

しかも、子どもたちもやっている。無自覚に。
(参考:http://www.hokekan.tsukuba.ac.jp/…/uploa…/students629-19.pdf)

この構造はどこにでも存在している。
権力は人々を分断させて孤立化させる、
そして「自分は何もできない、やっても無駄だ」
と人が自らの力を放棄するように仕向ける、
そして、それが当たり前になっていく。

これはダークサイドの神髄である
といってもいいぐらいだと思った。

そして、そのダークな存在は、
人々の背後で静かに暗躍し、
私たちは無自覚に操られる。

それは、特別なことではなく、どこにでもある。
自分の中にも在る。

自分の中にあることを見分けることでしか、
ダークサイドに操られることを
防ぐことは出来ない。

自分の力は誰も奪うことは出来ない。

そして、たとえ周囲の人に理解されなかったとしても、
自分は孤独ではない。

自分を支え、自分を見守ってくれているのは、
人間だけではないかもしれないし。

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大地と魂の声を聴き、自分の道を歩むためのサポート
●もりとアートの学校
●Earth Spiralリトリートルーム
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あおいとり

2017-05-01 | 日記的な
昨日からぽつぽつ発芽をはじめたレタス。
今日はかなりたくさん芽が出ていて嬉しい。



リビングから見えるカラマツ林は、
家の中からのバードウォッチングに最適。
今日は、あまり見かけない鳥を見つけた。
双眼鏡をのぞくとすぐに飛んで行った。



朝食後にデスクワークをしていたら、
「どん」と何かがぶつかった音。
「また、やってしまった…」と思い
外に出ると青い鳥が横たわっていた。

小型の鳥の場合は脳震盪で済むので、
もしかすると…と思ったけれど、
いくら待っても動かない。
かなりのスピードでぶつかったようだ。

もりぞうさんが、手にとってなでなでする。
深く美しい蒼色の羽だ。美しいけれど、
じっと見ることができない。



コルリのようだ。
先ほどカラマツの上にいた鳥かもしれない。
ついさっきまで飛びまわっていたのを思うと、
複雑な気持ちだ。
「ここにもバードセイバー貼らないとね」
と言って、もりぞうさんは、
コルリをどこかに移動して供養してきてくれた。

最近は、気を付けているので、
鳥がぶつかることも少なくなってきたと思っていたのに…。
なんだか気持ちがおさまらないので、蝋燭つけて瞑想した。

あの深く美しい蒼を想った。
あの色は宇宙の色、そして魂の色。
その色が自分に溶け込んでいき、それは自分になった。

蝋燭の炎は、薪ストーブの点火に使った。



肉体は地上に還り、魂は宇宙に溶け込む。
そして再び、魂は地上に戻り、肉体をまとう。
いのちの不思議を想う5月のはじまり。

はじまりの呪文

2017-04-24 | 日記的な
呪文という字は、なんだか怖いですね。

今日はバイオダイナミックでは、葉っぱの日。
畑は雪に覆われて、やる気が出ないけど、
まずはトレーにまくことに。

こびっとハウスの玄関を開けたら、
目の前でウグイスがホケキョ。


種まきをしていると、ツバメたちがぺちゃくちゃ言いながら飛んでいるのが聞こえた。

わさびは、こびっとはうすが空いているのを目ざとく見つけ、
さっそく内部をチェック。さすが館長だ。

土に種をまく。袋の中ではじっとして根も葉も出てこない。
土にまいた途端にスイッチが入るの良く考えたら不思議だ。
種たちに目覚めの合図をするのは誰なのだろうか?


鳥のさえずりを聞いていると、
彼らが草に木々に虫たちに天と地の動きを知らせているようにも感じてくる。
ずっと呪文を唱え続けているような。

大地から上昇する息吹を感じ、種たちが目覚めるように、
精霊たちよ、それを知らせたまえ。
そして月が魚座の力を大地にもたらしたまえ。

今年もよろしく~。