
現在、戸澤神社の境内になっている、新庄城址。

江戸初期、山形最上氏54万石の支城の一つだったが、1622年に最上氏が改易された後、1625年、常陸松岡城から戸澤氏が新庄に、6万8千石で封ぜられた。
現在、本丸表御門の石垣が残る。


土塁や堀が遺構として残っているが、明治維新時、新庄藩は奥羽越列藩同盟に属したが、久保田藩と共に、新政府側に寝返ったことにより、庄内藩の攻撃で城は焼失。

築城初期には、三重の天守も存在したが、完成後まもなく(1628年)焼失。
その後、再建されるここはなかった。

城内に残る天満宮の建物は、藩政時代から残る唯一の建物。

江戸初期、山形最上氏54万石の支城の一つだったが、1622年に最上氏が改易された後、1625年、常陸松岡城から戸澤氏が新庄に、6万8千石で封ぜられた。
現在、本丸表御門の石垣が残る。


土塁や堀が遺構として残っているが、明治維新時、新庄藩は奥羽越列藩同盟に属したが、久保田藩と共に、新政府側に寝返ったことにより、庄内藩の攻撃で城は焼失。

築城初期には、三重の天守も存在したが、完成後まもなく(1628年)焼失。
その後、再建されるここはなかった。

城内に残る天満宮の建物は、藩政時代から残る唯一の建物。
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