EBI印 近隣探索日記

休みの度に、近場をウロウロしては写真をパチリ。
徒然に撮った写真をUPしつつ、ゆるゆる更新します。

東日本大震災 自宅周辺

2011年04月22日 11時57分25秒 | 震災
震災三日目は、腰くらいまで水があったけれども、近所の人達の協力の元にカヤック出動。
雪降りと瓦礫の中で、数人しか乗せられなかったのが心残りではあったが、赤ちゃんを抱えたお母さんを移動させられただけでも良かったかな。
あまりの寒さに、家に戻ってみたら、全身真っ赤になっていた。
腰までの水であったが、側溝の蓋が無くなっていたりして、首まで浸かっっていた。
道路が全て車と瓦礫で、寸断されてしまい、大街道まで出れないどころか、どこにも行けない状態。
近所の期待を背に出かけたものの、なんにも情報や食べ物も得る事ができなかった。
暗くなる前に酒飲んで就寝。
随分痩せたんだろうな~。


四日目にやと膝下位まで水が退き、大街道へ。

なんと車が走っている。
何の情報もない状態でいたが、近所だけだったのかと思ったほどの違い。
しかし、知り合いに逢った時など涙が溢れる。
口々に出てくるのは、「生きていただけも良かった」ばかりだった。
それほどの事態だった。

避難所に居るよりは、家の方がいいと思って戻った。

途中で煙草とチョコレートと飲み物を入手し、部屋にあったウイスキー。
これで数日は大丈夫。

前日出動したカヤックも、水位の低下の為にもうでれない。

カヤックやカヌーを積んであちこち行った、愛車のレガシーも塀の上で横倒し。

その後、車内からたまたま積んであった羊羹と飴を取るために窓割ったときも悲しかった。


自衛隊の人達を見かけたときの感激は今でも覚えてる。
もう乗れ無くなっていたカナディアンカヌーも物を積んで引っ張るのに使いたいと言われ、最後のご奉公にと快く自衛隊の列に参加させた。

いくらかでも役に立ったのであればいいが。

救援のヘリも上空に増え、間違いなく動きだしたことを実感した。
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東日本大震災 震災ニ日間目

2011年04月02日 08時31分04秒 | 震災
一階天井まで来た津波が当日一旦引いたが、夜に余震と共にまた上昇した。

近所の二階に避難していた人達と、腹を括って二階屋根までの避難を覚悟した。
雪降りの中、年配者と子供達にはしんどい事になるが、二階に浸水したらとか、今度はどこまでくるかの恐怖。
いつもは日本製紙の工場の明かりが不夜城のようなのに、初めて経験する漆黒の闇になった石巻。

幸い水は思った程上がらなかったが、一晩中眠れるはずもなかった。

誰もが、夜が明けたら水は引いてると想像したが、朝になっても、首までつかる程ある。

しかも、残った水は海水で冷たい。

どこまで行けば、水がない所まで行けるのかも見当もつかない。

地震発生からかけまくった携帯は朝方電池切れ。
情報が全く無いなか、近隣の安否がはっきりしてきた。
見える範囲で14~5件。
二階には、二十人は残っているが、一階に取り残されたのは十人程。
絶望的。

家族の遺体を一階に残し、二階に避難していた人達はどのような気持ちなんだろう。


しかし残った人達もたくましい。

食べ物飲み物を探しはじめた。
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