
震災から数日後、日和山から眺めて見たら。
友人知人が沢山住んでる門脇、南浜が消えていた。
同じ中学の学区内だった門脇小学も大火災。
当日から二晩燃え続け、余震と火災の恐怖の中、水がひかない為逃げられず、真っ赤な空になっていた。
みんなの安否も気になっていたが、街の様子も気になっていた。
十日目に見た光景は、信じられないものだった。



ニチロの工場は残っているが、小さな家々は燃え尽き、近くにいた人達はどれだけの恐怖だったのだろう。
河口の日和大橋も昇り口が崩落していて通行不可。
日通のトラックが残っていたため、荷台を伝って渡ったと聞く。
中学の時の同じ学区だった門脇小学校も全焼。
遠くから見ていても、夜中に火柱が上がっていたのが見えた。
小学校とその学区ひとつが壊滅した瞬間だったのだろう。
友人知人が沢山住んでる門脇、南浜が消えていた。
同じ中学の学区内だった門脇小学も大火災。
当日から二晩燃え続け、余震と火災の恐怖の中、水がひかない為逃げられず、真っ赤な空になっていた。
みんなの安否も気になっていたが、街の様子も気になっていた。
十日目に見た光景は、信じられないものだった。



ニチロの工場は残っているが、小さな家々は燃え尽き、近くにいた人達はどれだけの恐怖だったのだろう。
河口の日和大橋も昇り口が崩落していて通行不可。
日通のトラックが残っていたため、荷台を伝って渡ったと聞く。
中学の時の同じ学区だった門脇小学校も全焼。
遠くから見ていても、夜中に火柱が上がっていたのが見えた。
小学校とその学区ひとつが壊滅した瞬間だったのだろう。
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