仙石線陸前手樽駅から少し行くと、手樽公園が見える。
公園の西端に突き出た岬が館ヶ崎館跡。
標柱も説明板も無いが、資料と照らし合わせても間違いないようだ。
高さ15m 東西150m 南北50mと極端に細長い。
良い感じの登り口を発見。
上がってみれば、なにやら土塁のような地形が続く。
東側と西側の二つの頂部があり、こちらは西側で丁度いい平場があり、屋敷跡のようだ。
今は先端と南側が海に面してるが、当時は北側も海で三方を海に囲われていた。
南側を見る
南側岸壁。
東側は、現在手樽公園になっている。
北側は水田。
これほどの要害なのに、南北朝時代に合戦時、短期的に使われた防塁だった。
奥羽四探題の一人、畠山氏が、同じく探題職の吉良氏と確執があった時、畠山氏の拠点となり松島湾から船で攻めかかる吉良氏との一大攻防戦が展開されたという。
先端部から見る松島湾内
公園の西端に突き出た岬が館ヶ崎館跡。
標柱も説明板も無いが、資料と照らし合わせても間違いないようだ。
高さ15m 東西150m 南北50mと極端に細長い。
良い感じの登り口を発見。
上がってみれば、なにやら土塁のような地形が続く。
東側と西側の二つの頂部があり、こちらは西側で丁度いい平場があり、屋敷跡のようだ。
今は先端と南側が海に面してるが、当時は北側も海で三方を海に囲われていた。
南側を見る
南側岸壁。
東側は、現在手樽公園になっている。
北側は水田。
これほどの要害なのに、南北朝時代に合戦時、短期的に使われた防塁だった。
奥羽四探題の一人、畠山氏が、同じく探題職の吉良氏と確執があった時、畠山氏の拠点となり松島湾から船で攻めかかる吉良氏との一大攻防戦が展開されたという。
先端部から見る松島湾内
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