EBBRO・ebbro・エブロ!!~K-CUSTOM別館~

日本を代表するミニチュアカー・ブランド「EBBRO(エブロ)」
魅力あふれる「EBBRO(エブロ)」を紹介!

エブロ「TOYOTA 7 JAPAN GP 1969 #3」

2007-07-11 18:53:27 | EBBRO-RACING
創世記は市販車を改造した車のレースであった「日本グランプリ」。

記念すべき第1回は1963年に開催され、「ロータス23コスワース」を駆るピーター・ウォーが優勝しました。
1964年開催の「第2回日本グランプリ」は式場壮吉選手の「ポルシェ904」を生沢徹選手の「スカイラインGT」が1周だけ抜いた伝説のレースとなります。
1966年開催の「第3回日本グランプリ」からは「富士スピードウェイ」に舞台を移します。
その後はスポーツカーで「日本グランプリ」は競われました。
1968年の「日本グランプリ」は「TNT対決」と呼ばれ、「トヨタ」「ニッサン」そしてプライベートチームの「滝レーシング」の三つ巴の対決となり、大きな注目を集めたました。
しかし、1970年には日産自動車が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。
トヨタ自動車もそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の「日本グランプリ開催」を断念。
スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎えました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「TOYOTA 7 JAPAN GP 1969 No.3」です。
製品番号は43664。BOXは「EBBRO(黒)」です。

「トヨタ7」は、アメリカで当時大人気であった「CAN-AMシリーズ」のレギュレーションである排気量無制限の「グループ7」規約に沿って製作されたため、「7」と名づけられました。
この「No.3」は後に、トヨタ7ターボのテスト中の事故で帰らぬ人となった川合稔選手のドライブで、1969年に開催された第6回日本グランプリで3位を獲得しました。

左右でスピンナーのカラーが異なります。
右は「ブルー」左は「レッド」となっています。

現代レーシングマシーンのようなゴテゴテとしたエアロパーツが無いので、非常にすっきりとしたイメージで仕上がっています。
この角度から見るリアの「5000cc DOHC V8エンジン」が迫力です。

ボンネット上に並ぶ細かい「カラーバー」は車検証になります。
実車写真を検索したところ、各検査にパスした際に張られていたようです。

サイドから見ると華奢なイメージがする「Firestone」タイヤですが、この角度から見ると、そのワイドさに驚かされます。
「5000cc DOHC V8」の生み出すパワーを、このタイヤが路面に伝えていました。

このようなヒストリックレーシングマシーンも製品化する。
エブロの魅力の一つとなっています。

EBBRO・ebbro・エブロ!

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