エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

様々も在宅介護の重圧

2022年08月04日 | 在宅介護
様々、在宅介護の重圧

私自身の事だが、気持ちが萎えているとちょっとした事にも大きな負担を感じるものだ。

最初から愚痴っぽくなるが、定年退職して「さぁこれから自遊人だ!」と人生を謳歌する事を
夢見ていたのに、母親の病気と突然の脳梗塞で介護状態になるなんて、夢物語を見ているよう
だった。コロナ禍で入院中の時は、病院にも行けずお任せ状態だったが、脳梗塞を発症してか
らリハビリの病院に転院となりそれも2ヶ月で退院を余儀なくされた。病気は大腸がんで患部
からの出血もあり、時々貧血状態に陥り心臓や血液の治療もしていたので脳梗塞に至った原因
の一つだったかも知れないと言われていた。

そんな状態で「余命」こそ告知はされなかったが、「もう一度脳梗塞を発症した時は・・・」
と緩和ケアか治療かの選択となるも、大腸がんの手術は、高年齢や血液サラサラの投薬もある
事から脳梗塞のリスクが高く、そもそも治療の選択肢は無いに等しかった。

そして「在宅介護」という言葉もそこで初めて知り、一瞬頭の中が真っ白になる程の絶望感を
感じていたと言うのが正直なところだ。自分の家族であり母親だから病気になれば世話をする
のが当たり前なのは、重々承知しているが、素直にそうなれない背景もあるというものだ・・
とは言え、一番辛いのは母親本人なのかも知れないが、脳梗塞による脳障害で失語症となり、
言葉の意味も会話も理解出来なくなり、言えた言葉もすぐに忘れてしまう状態では、もし辛か
ったとしてもそれはこちらも理解出来ないから苦しいところだ。

しかしその後、「要介護認定」とか「介護施設の利用」「介護保険」といった聞き慣れない言
葉が次々と出て来て、退院前に一通りの手続きと準備を済ませる事が出来た事は幸いだった。
たまたま地元には特養施設があったので、在宅ではなく入所出来る事が一番望むところだった
が、要介護認定では「介護2」と評価されこれでは入所出来ないと知る。であればディサービ
スやショートスティという利用方法もあり、そこには介護保険も適用されるので費用はかなり
軽減されることも分かって来た。ただ、それ以外の日は在宅介護となり、当初は一日中母親の
部屋で過ごし、世話をする事になった。

そんな日々になってから早8ヶ月になる。
在宅介護にも「慣れ」とか「学習」みたいな感じで辛さや重圧は大分軽減されて来たが、その
日が多ければ多い程やはりジワジワとストレスが溜まる気がする・・。それより大腸がんはど
うなっているのだろう?・・・。進行しているのか?回復して来たのか? 血便や血尿も無い
ようだし、腹痛や貧血も退院以降一度も無いのだ。食欲だけは旺盛だし、最近では外に出て庭
の草取りも始めて、時には2時間以上する事もあった。止めさせようとすると汚い言葉で抵抗
し止めようとしないから今は好きなだけさせているが、それが唯一自分の仕事のように天気が
良いとこっそり庭に出る事が増えて来た。

在宅介護と言っても、介護(世話)をする場面は三度の食事、洗濯・掃除や投薬の手伝い程度だ
が、ひとりにして置くと徘徊では無いが外に出てしまう事や脳梗塞の再発もあるので、私か妻
の在宅は欠かせない。ガスは止めたが、冬期のストーブは止められず「寒い寒い」と言って、
温度調整をどんどん上げてしまうのでエコモードに設定するが、火が消えるとまた「寒い」と
訴えて来るから始末に負えない。

事ある毎に「腰が痛い腰が痛い」と連呼するも本当に腰が痛いのかは微妙だ。
最近では私や妻の名前を間違える事もあるし、ひとつひとつの物の名前もちゃんと言える事は
少ない。「テレビを点けて・・」は「電気を点けて」だったり、お腹が空いてきたら「弁当を
持って来い」と命令調になる時もある。朝晩飲んでいる薬も覚えておらず、食事の後に薬を差
し出すと「ナニコレ?」と不思議がったり、薬の数を数えたりする事もある。
在宅の時は、ほとんどがソファーに横になりながらテレビを見ているが、内容はまったく理解
していないようだった。

治る病気では無い。
いつまでこの生活が続くのか分からないが、ストレスや重圧があっても自分たちの負担を少し
でも軽減しながら、なんとか続けていくしかないと今はそう思っている・・・。