もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

「1億総活躍社会」とは国民が立ち上がることだ! 白け、虚無、根拠なき反発、不信、欺瞞の一掃を!

2015-12-20 21:19:19 | 政治
2015年12月20日
アベノミクスの効果は一進一退であって、今一つ実感がわかない。しかしながら、いわゆる「切れ目のない対応策」を次々と打ち出しているので、その‘本気度、やる気’は感じられる。産経・FNN世論調査(14日 アップ)によれば、安倍内閣の支持率は47.8%で前回より3.6%ポイント上昇、不支持は2ポイント減の41.2%で、支持と不支持の差は1ポイントから6.6ポイントまで広がった。これは安倍首相の経済政策が徐々に支持を増やしていることの表れだろう。しかしながら、経済がなかなか上向かないのと同様に、国民の関心、熱意、やる気といったものも盛り上がりに欠け、どちらかと言えば白け、諦めと虚無感の混じり合った状況にあるようにも思える。そこでこの記事では、「社会の信頼が10%増加すれば成長率が0.8%上昇する」というフランシス福山氏の興味深い説を柱に据えて、これに関連する事柄を述べてみたい。

《国民は白けている、諦めている、すねている? それともほかに何か…?》
ところで、次の質問への国民の回答にはがっかりした。
「Q. 安倍首相は、新たな目玉政策として、「1億総活躍社会」の実現を掲げています。あなたは、この方針を評価しますか、評価しませんか。
評価する 30.2  評価しない 56.7  わからない・どちらともいえない 13.1(%)」。
すべての国民が生き生きと活躍できる社会を作ろうという提案なのだから、これを素直に受け止める限りケチをつけるところはないはずだ。だからこの数字はひどいと言わざるを得ない。まるで他人事のような反応だ。確かに、スローガン乱発気味で、安易な姿勢が反発を買っているという側面、「地方創生」との区別がわかりにくいという側面はある。そして何よりも、これを実現させるのは容易ではないのだから、できもしないことを言うなという反発なのかもしれない。こういう論旨の批判は雑誌記事やメディアの報道でもよく見られる。しかしながら、日本経済の再生を諦めるわけにはいかない。難しいとか易しいとかの問題ではなく、やるしかないのである。だから、この回答結果、数字はかなり的を外し、すねた態度だと言わざるを得ないだろう。
政府による「婚活」支援についても同じようなことが言える。
「Q. 政府は、少子化対策として、いわゆる「婚活」を国の予算で支援しています。あなたは、政府が婚活を支援する必要があると思いますか、思いませんか。
思う 29.5   思わない 66.4   わからない・どちらともいえない 4.1(%)」。
私の身の周りでも結婚していない人がどんどん増えている、そしてその人たちの親は一様に嘆き、心配している。若い人たちは、どうせ年金システムは当てにならないからとして、年金を払わない人が増えている。このまま行けば日本はどうなるのだろうかと思わざるを得ない。嘆いている親たちも支援は不要と思っているのだろうか。自分達でやるから放っておいてくれと言うなら、それを尊重したいものだが、いつまで経っても一向に動き出す気配が見えない。「婚活」の支援といっても、これを利用したい人が利用すればよいのであり強制ではないのだから、なにも「不要」とまで言わなくてもよさそうに思えるのだが…。「結婚や出産は、 個人の選択であり、 政府や社会が介入するべき事柄ではない」とかたくなに思い込んで、そのための反発としか思えない。これは一面の真理ではあるが全てではない。結婚、出産や子育ては個々人のものであると同時に、社会や国のものでもあって、この二つの側面が調整されて決まるものであるはずだ。結婚や育児を個々人のものとして閉じ込めていたら、いつまで経っても、議論は始まらず、結果が出ることもない。
いずれにせよ、上述の調査結果に見られるのは、根拠のない偏った思い込みと、それに伴う感情的反発、そして事柄の実現の困難さに嫌気が差し逃避としての虚無感、白けのようなものではないだろうか。安倍首相は、なんとかして日本経済を活性化し、すべての国民が生き生きと暮らせる社会を作ろうと奮闘しているが、これではなかなか成果に結びつかないだろう。もうそろそろ、政府も国民も本音で行動し、議論し、共通の目標に向かって結束する時期ではなかろうか。

《「人口問題は、国家指導者の第1のアジェンダにならなければいけない」 そしてこれは国民にとっても同様だろう》
民間シンクタンクの日本創成会議の増田寛也議長は、韓国紙・中央日報のインタビューに応じて、次のように述べている(18日 中央日報)。なお、_の後は私のコメントである。
>「人口が減れば納税者や消費者が減り、国際社会での存在感も弱まる。人口は国家と指導者において最も重要な問題だ」。_ その通りと思う。 首相、政府、心あるメディアは毎日のように、「少子化」の問題を取り上げるべきではないだろうか。
>(Q「1億総活躍相」を新設した安倍政権の人口政策を評価するならば)「50年後も1億人を維持するという人口目標を数字で明確に決めたのは良いことだった」_ 完全に同意。これまでの政府は具体的な数字を出さなかったので、すべてが曖昧で、やる気が全く感じられなかった。
>「日本創成会議によれば日本で出産率改善が5年遅れるたびに未来の人口が300万人減ることが明らかになった。対策を早く始めなければ今後の政策効果もどんどん下がる」。
>(Q 国家指導者が政策にどの程度乗り出すべきか)「豊かな想像力と国民を説得する姿勢、粘り強い政策推進力が必要だ。人口減少にともなう危機感を国民と共有してリーダーシップを発揮しながら『説得する姿勢』を持たなければならない。しかし結婚と出産という問題は基本的人権に関する領域であるから国家や行政が軽率に関与してはいけない。国家は出産と育児の障害となる社会的障害要素を積極的に取り除くことに主に力を注がなければならない」_ 「軽率な関与」は排除されるにしても、それなりの配慮と合理性がある関与であれば、どんどん関与すべきと思う。国民の側で文句があるなら、声を上げればよいはずだ。「何もしない」、「何も言わない」という現状が最大の問題であると思うのだが。

《労働生産性、先進7カ国で最低! 「勤勉な日本」がなぜ?!その理由の一つは日本にはびこる「社会不信」だろう》
「日本生産性本部の茂木友三郎会長(キッコーマン名誉会長)は18日、東京都内で会見し、2014年度の物価変動の影響を除いた実質の労働生産性が、前年度比1.6%減となったと発表した。…略… 昨年4月の消費税率引き上げによる物価上昇に対して、生産性改善が進んでいない状況が明らかになった。  また、経済協力開発機構(OECD)加盟国で比較すると、34カ国中21位。この順位は05年から続き、主要先進7カ国としては最も低い状況だ。…略… さらに、産業別で見ると製造業では米国に対し、7割、非製造業では5割の水準にとどまっている。なかでも飲食・宿泊が26.8%、卸売・小売が42.9%となるなど、サービス産業が依然低水準だ。」(18日 産経)。
日本経済は20年にもわたって長く不振であるが、一人一人の生産性が高ければこうはならないはずだ。それにしても米国との差はあまりに大きい! そこで、生産性が低い理由を考えてみると、まず普通の場合は、国民が怠惰で仕事をしないことであるが、日本に限ってこれは考える必要がないだろう。だから、事態は「一生懸命やっているが、なぜか成果が出ない」ということなのだ。そこで次に経済システムが時代に合わなくなっていること、それゆえ社会のイノベーション、構造改革が必要になる。これはアベノミクス第三の矢の話だから、ここでは特に議論しない。もう一つ私が思うには、やる気もあるし、実際よく働いてもいるし、社会のシステムもそんなにひどくはないのに、なんとなく明るく本音で生きられない雰囲気があって、物事がスムーズに進まない状況があるのではないかと思う。その一例は、外国人が日本人を揶揄するときよく言う「稟議」の不能率性である。会議ばかりしていて、いつまで経っても結論が出ない。国会では、「慎重に真偽を尽くす」ということは、長らく「この件は棚上げする」という意味でもあった。相手に配慮した物言いなのだが、これは非常に非能率的なやり方である。個人レベルで言えば、相手に配慮するあまり、不要に遠慮した物言い、おっかなびっくりの物言い、くどくどした説明になって、なかなか本音が伝わらない。相手に配慮するのは日本人の優れた特性ではあるが、現在は少し度が過ぎているのではないだろうか。
そこでこれに関連して以下に、「韓国の先進国入りを妨げる不信の壁」と題された韓国の中央日報コラムの一部を引用してみたい。「世界的学者であるフランシス・フクヤマは彼の著書『トラスト』で、一国家の競争力と繁栄の水準はその社会が持っている信頼の水準によって決定されると主張した。それと共に社会の信頼は個人間の協力を促進させる非公式的な規範の集合で「社会的資本」の役割をすると評価した。このような主張は実際の実証的研究につながり、ある社会の信頼水準が10ポイント増加すれば年平均の成長率が0.8ポイント上昇するという結果も導き出された。 不信が経済に否定的影響を及ぼすのは取引コストを増加させるためだ。社会で構成員間の意見衝突で摩擦が発生するのは日常的なことだ。…略… 社会構成員間の不信が広がれば相互間の異見調整に相対的に多くの時間とコストがかかるだけでなく、迅速な意志決定もなされずに経済発展の困難に陥ることになる。」(11月28日付け中央日報)。
今は、日本社会の各界各層が合理性と公正性の復活を基礎に社会の信頼性の回復と葛藤の克服のための協力に出なければならない時なのではなかろうか。

《「社会不信大国日本」_ 政府は信頼性向上、国民は主体性発揮に向けて、本音で行動を!》
以下は同じく11月28日付け中央日報記事のデータを参考にした。そこで日本における政府の信頼度であるが、OECD34カ国の中では32位の18%という最低レベルにとどまっている(ちなみに韓国は30位の24.8%)。政府信頼度が最も高い国家はスイスで、国民の82.2%が政府を信頼すると答えた。ルクセンブルグ、ノルウェー、スウェーデン…、と続く。OECD全体平均は42.6%で日本よりも大分高い。日本より低い国家はチェコ(17.8%)、ギリシャ(13.6%)に過ぎない。ちなみに、独英仏米などの主要先進国の位置であるが、今年度のデータを見つけられなかったので、2014年5月発表分を参考までに記すと次のようなものだ。5位ドイツ 56%、16位フランス40%、 20位イギリス 38%、21位アメリカ 35%であって、概ね日本より20%程度高い。政府や社会に対する国民の信頼度を示す調査はほかにもあるが、いずれにおいても日本国民が抱いている「不信感」は他の主要先進国に比べて極端に大きい傾向がみられる。私の感覚からすれば、だれもそんなに不信感は持っていないように思えるが、客観的に見ればどうもこういうことらしいから、これはそれなりに受け止める必要あるだろう。これでは社会がスムーズに回らず、経済が停滞しているのも無理はない。
ただ、日本の救いは、若い人が政府を信頼する度合いが高いということだ。OECDは報告書で「若い層ほど未来に対して楽観的な視覚を見せるため、若い層の政府信頼度は高い」と説明している。政府を信頼するというこの年齢帯の回答者はOECD平均47.2%で全体の年齢帯回答者に比べて4.6%ポイントが高かった。日本の若い層の政府信頼度は27.9%で全年齢帯合計18%に比べてずば抜けて(約10%も)高いのである!

さて、それでは我々日本はどうすべきか? 3つの観点から述べてみたい。
一つは、政治家、政権の綱紀粛正をすべきことだ。国際透明性機構(TI)が発表した今年の国別腐敗認識指数(CPI、政治家や公務員の汚職などの程度)で日本は、全体調査対象177カ国中18位(クリーン度)だった(前年は15位)。腐敗の少ない上位国は、デンマーク、ニュージーランド、フィンランド、スウェーデン…となっている。日本の順位は年によって変動あるが大体、英仏米などと同水準である(独は少し順位が高い)。欧米が強国に飛躍できたのは、信頼を基に社会の摩擦・葛藤を発展的に克服しながら経済制度を効率的に運営したためだ。これらの国は透明な意志決定過程で設定された合理的社会制度を、更に透明な過程をもって繰り返し改善した。この過程の中で自然に政治のみならず社会への信頼度をも高めたものと考えられる。日本が北欧のような名実ともに豊かな先進国になることを望むのであれば、あるいは、先進国から脱落することを望まないのであれば、「パンツ泥棒」とか政治資金で「キャバクラ」活動とか、「乱闘国会」とか、「法衣で登院」…、このようなことが話題にならないような政治、政治家であってほしいものだ。そして国会でこのようなくだらない議論をするのはやめるべきだ(法廷で処理すべき)。なお、英仏米と同程度であることは、現在の政治や政治家の免罪符にはならない。これらの国では、政治と政治家は日本よりもかなり高い信頼を国民から得ているのだから。
二つ目は、国民は政治家の一人一人を見極めて最大限の主権を行使する主体性を発揮すべきことだ。国民の政治不信の原因は、クリーンでない政治家がいること、政治家どころか人間としての資質さえ疑うような政治家がいることなどだろう。しかし、それも選挙民が選んだものだから、必ずしも他人事では済まされない。また、政治的クリーンさは政治を機能させるための手段の意味が強いから、クリーンさを絶対的価値とすることはできない。ダーティーは基本的には排除されるべきものだが、これも政治を機能させるには必要になることがある。上述のように日本のクリーン度は主要先進国に比べて、絶望的な「不信」を抱くほどひどいものではない。なのに、「不信」が主要先進国よりも格段に強いというのは、政治に対する理想像があまりに高い、高望みし過ぎているということではないだろうか。見方が観念的ということでもある。少し意地の悪い見方をすれば、政治とは政治家がやるものであり、自分たちは何もできない存在だ。唯一できることは、文句を言うこと、不満を託つことだけであると。もし、こうなら、これは誤解だし、主体性の喪失であると言わざるを得ない。国の主権者は国民なのだし、選挙権を始めとして、政治に参加できることがらは少なくないのだから、もっと積極的に発言し行動すべきだろう。
三つ目は、そもそも日本における「政治理解」そのものが歪んでいるところがあること、そして更に歪めようとする輩がいるので、この点の改善が必要なことである。その最たるものは「政治権力は悪だ」というような見方である。これを正当化するために「国家権力は国民を抑圧する機関である」などという、100年以上も前の説、もうとっくに破綻している説を盛んに吹聴する勢力がいる。権力にこういう側面があることは事実だが、国民が平和で豊かに暮らしていくためになくてはならない調整機関でもあるのだから、権力は善でもある。「1億総活躍社会」に対する低い支持は、「お上のやることはどうせ悪いことに決まっている」、婚活支援にしても「お上が勧めることなのだから、どうせ良い結果は得られない」という、潜在的不信感があるからではなかろうか。しかし、これらは全く根拠のない思い込みだ。問題なのは、このような「権力は悪だ」というような虚偽を、国民に喧伝し、国民の政府や社会に対する不信感を煽ろうとする左派偏向メディアや勢力がいることである。こういう虚偽と欺瞞にあふれた思想に踊らされることなく、何が正しいのか、何をなすべきかを、主体的に、能動的に決めていくことこそが、今まさに国民一人一人に求められていることだろう。