2015年2月21日
「民主党の辻元清美政調会長代理が20日の衆院予算委員会で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件をめぐる安倍晋三首相や菅義偉官房長官の対応を批判した。しかし、耳を疑うような指摘も少なくなく、政府・与党席からは失笑が漏れた。」(20日 産経)。
辻元氏は、あることないことを取り上げてしつこく質問を首相に投げかけているが、その主旨は次のようなことらしい。
「(殺害された)後藤健二さんの拘束に政府が心証を得た昨年12月19日の翌日から首相はフィットネスクラブに行き、21日にはゴルフに行った。28日にはコンサートに行き、その後はずっと六本木のホテルにほぼお泊まり。元旦は映画鑑賞。2日はフィットネスと映画鑑賞。3日はゴルフをした」
「首相は休暇を取っていけないとは思っていない。しかし、映画に行ったり、コンサートに行ったり、別荘に行ったり、ゴルフをしている間、(拘束された)2人の命の危険と日本の国家としての危機はぐんぐん上がっていたとは思わないか」
この質問の低劣さは以下に述べる通りであるが、ここで強調したいのは、このようなくだらない質問で大切な首相の時間、国会の時間を空費させることは止めてほしいということである。
《辻元議員の不見識、不謹慎さはそのまま民主党のそれだ!》
この辻元氏の発言内容には多くの問題点が含まれている。一つは、国会は政策論争をするところであり、こんな‘情緒的問答をするところではない。このテロ対策を含む安保法制整備、経済対策、財政健全化策、地方創生…、やることは山ほどある。二つには、イスラム国こそを非難すべきなのに、それを首相批判にすり替えている。本気でテロ対策や日本人の安全、生命を守ろうという気があるのかと言いたい。三つには、首相の責務が何であるかが全くわかっていないこと。四つには、首相、政府は、2人の救出に向けて文字通り‘不眠不休’の奮闘をしたのであるが、この事実を捻じ曲げていること。五つには、本当に非難されるべきは、この悲惨な事件が進行中であるにも関わらず、首相官邸前で「歌って踊って」という脳天気なパフォーマンスを行っていた社民福島前党首のような行為であるが、こういう行動には目をつむっていることである。六つには、この悲惨な事件を利用して、首相、自民党を政治的に貶めようとしていることの不見識、不謹慎さ、欺瞞性、身勝手な党利党略性である。
このような考えの人物を政調会長代理に起用し、あまつさえ国会論戦に立たせる民主党の姿勢は厳しく批判されなければならない。
《再興指導者としての首相の責務は日本、そして国民のために遅滞なく「正しい判断」をすることであり、そのための環境条件を確保することは当然のことだ 今回の首相、政府の対応については国民、そして国際社会から高い評価を得ている》
この辻元氏の批判に対して、首相は次のように答えている。いずれも極めて正しく、重要な内容を含んでいる。
「第1次政権の経験から首相は心身ともに健康を保つことも重要な仕事だ。基本的にはどっしりと構え、さまざまなものに対応していく。」
「その(指摘の)段階では(拘束したのが)ISIL(イスラム国)とはっきりしているわけではない。邦人が一時的に不明になることは日本国中である。今回の危機対応において私がこういう行動を取っていたことにより問題があったということではない。」
「同時に人質案件というのは、1年、2年、3年、4年と続く場合もある。そうなればその間、首相は他のことに手が付かないことになってしまう。なるべく平常心、平常の行動を心がけることも職責の一つだろう。」
「確かに2人の人質の例もある。しかし、日本全国ではいろいろな事件が起こっている。子供の命が危険にさらされるような出来事が沢山起こっている。」
「私は最前線の中心的なオペレーターではない。当たり前だが、そのために危機管理監がいる。その上には官房長官もいる。私が判断するのは大きな方針だ。選択肢が出てきたときにどちらにするかの判断はする。すべき判断はしている。」
「例えば、基本的に身代金は払わないとの基本方針を決めるのは私だ。その判断を間違えてはいけない。これが大切だ。ただ、日々どうするかのオペレーションそのものに口を出していたら…。かつてはそんなことがあったかもしれないが、こんなことは絶対にやってはいけない。それがまず常識だということを申し上げておきたい。」(20日 産経)。
情報収集とその分析、行動方針策定、各国首脳や政府との打ち合わせ・調整、部族長や宗教指導者との交渉、在外公館や自衛隊への各種の支持、被害者家族対応、国民への対応…、まさに不眠不休の日が続いた。なにしろ昼は国会対応や、通常の外交や行政の仕事もある。首相や主要閣僚の体力、精神力がもつだろうかと不安になるほどの奮闘だった。国内はもとより、世界各国を動かしての対策だった。
民主党政権時代に、東日本大震災での福島原発事故に対して、最高指揮官であった菅首相が、パニック状態になり、福島原発や東電に乗り込んで、あれやこれやとわめきたてるばかりで、なんら具体的な指示を出せず、政府機関を動かすこともできず、右往左往して、被害を拡大させたこととは大違いである。国民は状況をよく見ていて、各種の最新世論調査では、この政府対応に高い支持を与えている。また、湯川さんの父親は政府の対応に感謝の念を表明している。世界各国からは、この種の事件としては珍しいほどの多くの同情、支援と、高い評価が送られている。これまでに日本が築き上げた国際的信頼とともに、安倍政権の「積極的平和主義」に沿った毅然かつ俊敏な行動が評価されたものと思う。今回の対応で、日本と各国との信頼と協力の絆が強くなったのは間違いないだろう。
なにしろ首相はこの2年間で50カ国ほどの国々を訪問しており、これは月2カ国のペースだ。今回の国際的な連携が可能になったのは、こうしたことの積み上げが奏効したということだ。激務による疲れも蓄積する。行って帰ることも大変だが、いかにサポート役がいるとは言え、準備とその後のフォローも大変だろう。少しでも時間を見つけては休んでもらわねばならないのだ。辻元氏はこの点がまったくわかっていない。否、わかるつもりがないのだろうが。
こういう現実からすれば、辻元氏の質問内容は、あまりに次元が低いと言わざるを得ない。氏は次のようなことも言っている。
「特にこれから首相は公邸に泊まられた方がよい。なぜか。首相の私邸、ご近所の方々含めてものすごい警備だと思う。首相も身を守っていただかないといけない。映画やコンサートに行くのは慎まれた方がよい」
「危機管理上、首相自身も狙われてはいけないが、いろいろな人が『テロが来るのではないか』と心配している中、ご自身は公邸に泊まった方がよいし、しばらくはゴルフに行ったりしない方がよい。もう公邸に泊まってください。警備も大変だ。それぐらいの危機感を持った方がよい」
「他の首相と比べても全然違う。村山富市元首相に『正月に温泉とか行かないんですか』と言ったら、『自分が動いたら警備が大変だ。警備の人たちを休ませてやりたい』と。テロの危機が高まっているわけだから、公邸に陣取って、年末の反省の下に行動していただきたい」(20日 産経)。
外に出るのは危ないとか、官邸に泊まれとか、警備員を節約せよだとか…、一国の首相に対して幼児に対する「箸の上げ下ろし」を教えるようなことを言って、一体自分を何様と思っているのだろうか?! 村山元首相の発言は、小学生に聞かせる胡散臭い道徳話以上のものではない。これは小規模な前近代的な組織の指導者の発想であって、1億2千万人の国民を抱え高度にシステム化された社会である日本の最高指導者の発言としては、あまりに古臭く寂しいものだ。こんなことだったから、日本は世界から取り残された。あらゆるシステムを最大限に活用して、国益と国民の安全、利益を計ってこそ、先進国の指導者のあるべき姿だ。そしてその中で中心的なものは「正しい判断」をすることであって、この判断が少しでも狂えば多くの人の安全や、利益が損なわれることになる。首相には最高の環境で頑張ってもらうべきなのだ。首相は次のように言っている。
「安全な国であることを確保することが私の責任だ。私に求められているのは公邸に泊まるとか、泊まらないということではない。公邸にずっと泊まっていたら立派な首相なのか。私は違うと思う。」
「私に求められているのは心身ともに健康を保って、大切なときに判断を間違わないことだ。温泉に行かなければよいということではない。そこを間違えてはいけない。」
《辻元氏は、首相を批判する暇があったらこの悲惨な事件の最中に「歌とダンスで、楽しく戦争反対」 をしていた自分の元‘師’社民福島前党首をこそ批判すべきだ!》
すでにこれは、広く知られ、福島氏が不謹慎だとして批判を浴びた‘事件’である。
「湯川遥菜(はるな)さんが殺害されたとみられる画像の公開直後の1月25日夜。首相官邸前では、安否不明だった後藤健二さんの救出を求めるデモが行われ、「見殺しにするな!」と訴えていた。 安倍晋三首相が救出を願わなかったはずがない。同時にテロ組織の要求に屈してもならない。その兼ね合いの中、道路1本挟んだ官邸で首相や職員は奔走していた。知ってか知らずか、デモ集団は次のようなシュプレヒコールも上げた。 「平和憲法を守れ! 集団的自衛権はんたーい! 戦争反対! 命が大事!」 人質救出と直接関係ない大声は出したが、テロへの非難は聞こえなかった。 翌26日は「世界平和を願い踊る」として「官邸前DISCO化計画」と称したイベントが行われた。社民党の福島瑞穂副党首はツイッターに「歌とダンスで、戦争反対」と投稿。 ビール缶を手にした参加者との楽しそうな写真も掲載した。」(14日 産経)。
同イベントは首相官邸に「ポジティブなマインドを届けよう」という思いから計画され、「世界平和を願い踊る」ことを主旨として、参加者は官邸前に設置されたDJブースから流れる音楽に合わせ、楽しみながら踊る。というなんとも異様な(まるでカルト教団のような)パフォーマンスだった。社民党の福島前党首はあろうことかこのイベントに参加し、ツイッターでその様子を写真付きで紹介。「官邸前で、歌とダンスで、戦争反対。沖縄の歌もでて、楽しく戦争反対」「議員会館前に、たくさんの人が集まりました。戦争法案を出させない」などとツイートした。国民がテロリストに惨殺されたのに、国会議員、それも元野党党首が「歌って踊って楽しく」と言うのだから、この感覚は異常と言うしかない。なんだかんだと言いながら、日本人救出やイスラム国への非難は付録のようなもので、主眼は首相と政府批判ばかり。当然のことながら、その「不謹慎」とぶりと「能天気」ぶりが批判の対象となった。
辻元氏は、批判するならこの人たちをこそ批判すべきである。しかし辻元氏はこういうことはするつもりはないだろうし、できもしないはずだ。彼女はかつて福島氏と社民党で一緒に活動しており、福島氏の「後継者」と目されていた。二人は「一卵性双生児」と言われるぐらいに近い関係だった。また、辻元氏の‘もと彼(現、某出版社長)’はかつて日本赤軍の活動家だったから、辻元氏の言動が上述のように不見識で不謹慎なのも、うなずけることだろう。要は、民主党は、こういう人を、国会に立てて一体何をしようとしているのかということである。
《重要なことは、政府批判ではなく、イスラム国批判とそれへの具体的対応策だ 特に情報を収集する体制の構築が急がれる》
もっとも、おかしな人は辻元氏や福島氏だけにとどまらない。
「民主党の徳永エリ参院議員はフェイスブックで「イスラム世界の国々は親日でした」と過去形で事実誤認(今でも親日的であるにも関わらず捻じ曲げている)を記述した上、首相の人道支援表明を批判。 共産党の池内沙織衆院議員はツイッターで「こんなに許せないと心の底から思った政権はない」と投稿した。 イスラム国への怒りと思いきや、矛先は首相で、イスラム国の代弁者のようだった。 首相は事件が明らかになる前の1月17日にイスラム国に対峙(たいじ)する中東諸国への人道支援を表明。 その前から支援は決まっていたが、支援や首相の中東訪問を批判していた野党は寡聞にして知らない。結局、後付けの批判でしかない。」(14日 産経)。
さすがに民主も共産も、これらの発言は不謹慎、不見識だと思ったのだろう。両党党首がじきじきにこれらの発言をたしなめ、とがめ、党の見解とは違うと弁解している。これらの人達には、イスラム国が問題だとか、人質をどう救出するか、国際的な連携をどう強めるかなどの視点はない。彼らの関心は首相と政府を攻撃することにしかない。しかし、これはイスラム国による揺さぶり、世論分断戦術に乗ること、実質的にはイスラム国の支援をすることである。国益を損ねてまでも党利党略を優先させるこのような姿勢は厳しく批判されるべきだ。
辻元氏は次のように「情報」について、わけのわからないことを四の五の言っている。
「年末年始、後藤さんの奥さん、湯川遥菜さんのご家族は本当に辛い気持ちだったと思う。今年1月20日までISILだと判明できなかったのは政府の失態ではないか。2人が結果として亡くなった。政府の対応は不十分だった。反省すべきことがたくさんあった。」
「『特定秘密がある』『各国の秘密事項がある』『情報は出せません』との答弁は多々あった。」
これに対して、菅官房長官は次のように答えている。「シリアにはISIL以外にもアルカーイダ系の戦線とか、さらに過激活動家が数多くいる。(被害者の家族に)メールが来ただけでそれがISILとの確証を得る、確定的な情報に接することができる国はほとんどないと思う。政府として危機管理監を中心にありとあらゆる体制の中で部族長、宗教団体指導者、関係国と対応させていただいてきた」(20日 産経)。
米国のように独自の情報機関を持ち、軍を動かせる国でも情報収集は容易ではない。ましてそういう機関を持たず、自衛隊も動かせぬ日本は、各国に頼るしかないのが実情だ。自民党では、日本独自の情報収集機関を作るべきとの意見が出ているが、これは必要なことだろう。
「民主党の辻元清美政調会長代理が20日の衆院予算委員会で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件をめぐる安倍晋三首相や菅義偉官房長官の対応を批判した。しかし、耳を疑うような指摘も少なくなく、政府・与党席からは失笑が漏れた。」(20日 産経)。
辻元氏は、あることないことを取り上げてしつこく質問を首相に投げかけているが、その主旨は次のようなことらしい。
「(殺害された)後藤健二さんの拘束に政府が心証を得た昨年12月19日の翌日から首相はフィットネスクラブに行き、21日にはゴルフに行った。28日にはコンサートに行き、その後はずっと六本木のホテルにほぼお泊まり。元旦は映画鑑賞。2日はフィットネスと映画鑑賞。3日はゴルフをした」
「首相は休暇を取っていけないとは思っていない。しかし、映画に行ったり、コンサートに行ったり、別荘に行ったり、ゴルフをしている間、(拘束された)2人の命の危険と日本の国家としての危機はぐんぐん上がっていたとは思わないか」
この質問の低劣さは以下に述べる通りであるが、ここで強調したいのは、このようなくだらない質問で大切な首相の時間、国会の時間を空費させることは止めてほしいということである。
《辻元議員の不見識、不謹慎さはそのまま民主党のそれだ!》
この辻元氏の発言内容には多くの問題点が含まれている。一つは、国会は政策論争をするところであり、こんな‘情緒的問答をするところではない。このテロ対策を含む安保法制整備、経済対策、財政健全化策、地方創生…、やることは山ほどある。二つには、イスラム国こそを非難すべきなのに、それを首相批判にすり替えている。本気でテロ対策や日本人の安全、生命を守ろうという気があるのかと言いたい。三つには、首相の責務が何であるかが全くわかっていないこと。四つには、首相、政府は、2人の救出に向けて文字通り‘不眠不休’の奮闘をしたのであるが、この事実を捻じ曲げていること。五つには、本当に非難されるべきは、この悲惨な事件が進行中であるにも関わらず、首相官邸前で「歌って踊って」という脳天気なパフォーマンスを行っていた社民福島前党首のような行為であるが、こういう行動には目をつむっていることである。六つには、この悲惨な事件を利用して、首相、自民党を政治的に貶めようとしていることの不見識、不謹慎さ、欺瞞性、身勝手な党利党略性である。
このような考えの人物を政調会長代理に起用し、あまつさえ国会論戦に立たせる民主党の姿勢は厳しく批判されなければならない。
《再興指導者としての首相の責務は日本、そして国民のために遅滞なく「正しい判断」をすることであり、そのための環境条件を確保することは当然のことだ 今回の首相、政府の対応については国民、そして国際社会から高い評価を得ている》
この辻元氏の批判に対して、首相は次のように答えている。いずれも極めて正しく、重要な内容を含んでいる。
「第1次政権の経験から首相は心身ともに健康を保つことも重要な仕事だ。基本的にはどっしりと構え、さまざまなものに対応していく。」
「その(指摘の)段階では(拘束したのが)ISIL(イスラム国)とはっきりしているわけではない。邦人が一時的に不明になることは日本国中である。今回の危機対応において私がこういう行動を取っていたことにより問題があったということではない。」
「同時に人質案件というのは、1年、2年、3年、4年と続く場合もある。そうなればその間、首相は他のことに手が付かないことになってしまう。なるべく平常心、平常の行動を心がけることも職責の一つだろう。」
「確かに2人の人質の例もある。しかし、日本全国ではいろいろな事件が起こっている。子供の命が危険にさらされるような出来事が沢山起こっている。」
「私は最前線の中心的なオペレーターではない。当たり前だが、そのために危機管理監がいる。その上には官房長官もいる。私が判断するのは大きな方針だ。選択肢が出てきたときにどちらにするかの判断はする。すべき判断はしている。」
「例えば、基本的に身代金は払わないとの基本方針を決めるのは私だ。その判断を間違えてはいけない。これが大切だ。ただ、日々どうするかのオペレーションそのものに口を出していたら…。かつてはそんなことがあったかもしれないが、こんなことは絶対にやってはいけない。それがまず常識だということを申し上げておきたい。」(20日 産経)。
情報収集とその分析、行動方針策定、各国首脳や政府との打ち合わせ・調整、部族長や宗教指導者との交渉、在外公館や自衛隊への各種の支持、被害者家族対応、国民への対応…、まさに不眠不休の日が続いた。なにしろ昼は国会対応や、通常の外交や行政の仕事もある。首相や主要閣僚の体力、精神力がもつだろうかと不安になるほどの奮闘だった。国内はもとより、世界各国を動かしての対策だった。
民主党政権時代に、東日本大震災での福島原発事故に対して、最高指揮官であった菅首相が、パニック状態になり、福島原発や東電に乗り込んで、あれやこれやとわめきたてるばかりで、なんら具体的な指示を出せず、政府機関を動かすこともできず、右往左往して、被害を拡大させたこととは大違いである。国民は状況をよく見ていて、各種の最新世論調査では、この政府対応に高い支持を与えている。また、湯川さんの父親は政府の対応に感謝の念を表明している。世界各国からは、この種の事件としては珍しいほどの多くの同情、支援と、高い評価が送られている。これまでに日本が築き上げた国際的信頼とともに、安倍政権の「積極的平和主義」に沿った毅然かつ俊敏な行動が評価されたものと思う。今回の対応で、日本と各国との信頼と協力の絆が強くなったのは間違いないだろう。
なにしろ首相はこの2年間で50カ国ほどの国々を訪問しており、これは月2カ国のペースだ。今回の国際的な連携が可能になったのは、こうしたことの積み上げが奏効したということだ。激務による疲れも蓄積する。行って帰ることも大変だが、いかにサポート役がいるとは言え、準備とその後のフォローも大変だろう。少しでも時間を見つけては休んでもらわねばならないのだ。辻元氏はこの点がまったくわかっていない。否、わかるつもりがないのだろうが。
こういう現実からすれば、辻元氏の質問内容は、あまりに次元が低いと言わざるを得ない。氏は次のようなことも言っている。
「特にこれから首相は公邸に泊まられた方がよい。なぜか。首相の私邸、ご近所の方々含めてものすごい警備だと思う。首相も身を守っていただかないといけない。映画やコンサートに行くのは慎まれた方がよい」
「危機管理上、首相自身も狙われてはいけないが、いろいろな人が『テロが来るのではないか』と心配している中、ご自身は公邸に泊まった方がよいし、しばらくはゴルフに行ったりしない方がよい。もう公邸に泊まってください。警備も大変だ。それぐらいの危機感を持った方がよい」
「他の首相と比べても全然違う。村山富市元首相に『正月に温泉とか行かないんですか』と言ったら、『自分が動いたら警備が大変だ。警備の人たちを休ませてやりたい』と。テロの危機が高まっているわけだから、公邸に陣取って、年末の反省の下に行動していただきたい」(20日 産経)。
外に出るのは危ないとか、官邸に泊まれとか、警備員を節約せよだとか…、一国の首相に対して幼児に対する「箸の上げ下ろし」を教えるようなことを言って、一体自分を何様と思っているのだろうか?! 村山元首相の発言は、小学生に聞かせる胡散臭い道徳話以上のものではない。これは小規模な前近代的な組織の指導者の発想であって、1億2千万人の国民を抱え高度にシステム化された社会である日本の最高指導者の発言としては、あまりに古臭く寂しいものだ。こんなことだったから、日本は世界から取り残された。あらゆるシステムを最大限に活用して、国益と国民の安全、利益を計ってこそ、先進国の指導者のあるべき姿だ。そしてその中で中心的なものは「正しい判断」をすることであって、この判断が少しでも狂えば多くの人の安全や、利益が損なわれることになる。首相には最高の環境で頑張ってもらうべきなのだ。首相は次のように言っている。
「安全な国であることを確保することが私の責任だ。私に求められているのは公邸に泊まるとか、泊まらないということではない。公邸にずっと泊まっていたら立派な首相なのか。私は違うと思う。」
「私に求められているのは心身ともに健康を保って、大切なときに判断を間違わないことだ。温泉に行かなければよいということではない。そこを間違えてはいけない。」
《辻元氏は、首相を批判する暇があったらこの悲惨な事件の最中に「歌とダンスで、楽しく戦争反対」 をしていた自分の元‘師’社民福島前党首をこそ批判すべきだ!》
すでにこれは、広く知られ、福島氏が不謹慎だとして批判を浴びた‘事件’である。
「湯川遥菜(はるな)さんが殺害されたとみられる画像の公開直後の1月25日夜。首相官邸前では、安否不明だった後藤健二さんの救出を求めるデモが行われ、「見殺しにするな!」と訴えていた。 安倍晋三首相が救出を願わなかったはずがない。同時にテロ組織の要求に屈してもならない。その兼ね合いの中、道路1本挟んだ官邸で首相や職員は奔走していた。知ってか知らずか、デモ集団は次のようなシュプレヒコールも上げた。 「平和憲法を守れ! 集団的自衛権はんたーい! 戦争反対! 命が大事!」 人質救出と直接関係ない大声は出したが、テロへの非難は聞こえなかった。 翌26日は「世界平和を願い踊る」として「官邸前DISCO化計画」と称したイベントが行われた。社民党の福島瑞穂副党首はツイッターに「歌とダンスで、戦争反対」と投稿。 ビール缶を手にした参加者との楽しそうな写真も掲載した。」(14日 産経)。
同イベントは首相官邸に「ポジティブなマインドを届けよう」という思いから計画され、「世界平和を願い踊る」ことを主旨として、参加者は官邸前に設置されたDJブースから流れる音楽に合わせ、楽しみながら踊る。というなんとも異様な(まるでカルト教団のような)パフォーマンスだった。社民党の福島前党首はあろうことかこのイベントに参加し、ツイッターでその様子を写真付きで紹介。「官邸前で、歌とダンスで、戦争反対。沖縄の歌もでて、楽しく戦争反対」「議員会館前に、たくさんの人が集まりました。戦争法案を出させない」などとツイートした。国民がテロリストに惨殺されたのに、国会議員、それも元野党党首が「歌って踊って楽しく」と言うのだから、この感覚は異常と言うしかない。なんだかんだと言いながら、日本人救出やイスラム国への非難は付録のようなもので、主眼は首相と政府批判ばかり。当然のことながら、その「不謹慎」とぶりと「能天気」ぶりが批判の対象となった。
辻元氏は、批判するならこの人たちをこそ批判すべきである。しかし辻元氏はこういうことはするつもりはないだろうし、できもしないはずだ。彼女はかつて福島氏と社民党で一緒に活動しており、福島氏の「後継者」と目されていた。二人は「一卵性双生児」と言われるぐらいに近い関係だった。また、辻元氏の‘もと彼(現、某出版社長)’はかつて日本赤軍の活動家だったから、辻元氏の言動が上述のように不見識で不謹慎なのも、うなずけることだろう。要は、民主党は、こういう人を、国会に立てて一体何をしようとしているのかということである。
《重要なことは、政府批判ではなく、イスラム国批判とそれへの具体的対応策だ 特に情報を収集する体制の構築が急がれる》
もっとも、おかしな人は辻元氏や福島氏だけにとどまらない。
「民主党の徳永エリ参院議員はフェイスブックで「イスラム世界の国々は親日でした」と過去形で事実誤認(今でも親日的であるにも関わらず捻じ曲げている)を記述した上、首相の人道支援表明を批判。 共産党の池内沙織衆院議員はツイッターで「こんなに許せないと心の底から思った政権はない」と投稿した。 イスラム国への怒りと思いきや、矛先は首相で、イスラム国の代弁者のようだった。 首相は事件が明らかになる前の1月17日にイスラム国に対峙(たいじ)する中東諸国への人道支援を表明。 その前から支援は決まっていたが、支援や首相の中東訪問を批判していた野党は寡聞にして知らない。結局、後付けの批判でしかない。」(14日 産経)。
さすがに民主も共産も、これらの発言は不謹慎、不見識だと思ったのだろう。両党党首がじきじきにこれらの発言をたしなめ、とがめ、党の見解とは違うと弁解している。これらの人達には、イスラム国が問題だとか、人質をどう救出するか、国際的な連携をどう強めるかなどの視点はない。彼らの関心は首相と政府を攻撃することにしかない。しかし、これはイスラム国による揺さぶり、世論分断戦術に乗ること、実質的にはイスラム国の支援をすることである。国益を損ねてまでも党利党略を優先させるこのような姿勢は厳しく批判されるべきだ。
辻元氏は次のように「情報」について、わけのわからないことを四の五の言っている。
「年末年始、後藤さんの奥さん、湯川遥菜さんのご家族は本当に辛い気持ちだったと思う。今年1月20日までISILだと判明できなかったのは政府の失態ではないか。2人が結果として亡くなった。政府の対応は不十分だった。反省すべきことがたくさんあった。」
「『特定秘密がある』『各国の秘密事項がある』『情報は出せません』との答弁は多々あった。」
これに対して、菅官房長官は次のように答えている。「シリアにはISIL以外にもアルカーイダ系の戦線とか、さらに過激活動家が数多くいる。(被害者の家族に)メールが来ただけでそれがISILとの確証を得る、確定的な情報に接することができる国はほとんどないと思う。政府として危機管理監を中心にありとあらゆる体制の中で部族長、宗教団体指導者、関係国と対応させていただいてきた」(20日 産経)。
米国のように独自の情報機関を持ち、軍を動かせる国でも情報収集は容易ではない。ましてそういう機関を持たず、自衛隊も動かせぬ日本は、各国に頼るしかないのが実情だ。自民党では、日本独自の情報収集機関を作るべきとの意見が出ているが、これは必要なことだろう。