もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

北方領土訪問のロ長官 日本の抗議は「儀式」! 「領土拡張主義」を許さない姿勢が、返還交渉の第一歩だ!

2014-09-28 19:09:47 | 政治
2014年9月28日
「北方領土・択捉島を訪れたロシアのイワノフ大統領府長官は25日、自らの北方領土訪問に対する日本政府の抗議は「宗教儀式の踊り」のようなもので形骸化していると指摘し、北方領土を「再び訪れる」と述べた。…略… 日本外交筋は「記者への応答の一部だが、外交ルートによる正式な抗議をやゆした発言だ」と不快感を示した。」(共同 25日 産経)。

政権中枢からの北方領土訪問は、2012年7月にメドベージェフ首相が国後島を訪問して以来であるが、国防相も近く択捉入りするという。
ロシアは最近、北方領土を含む極東地域で大規模な軍事演習を行ったばかりだ。今回、長官が視察した択捉島の新空港は軍民共用であり、訪問には北方領土の実効支配を誇示する意図がある。
「(新)空港の滑走路は約2300メートルで、大型機の離着陸も可能。ロシア極東のハバロフスクやウラジオストクなどとを結ぶ定期便が就航する予定で、22日にはサハリンのユジノサハリンスクから第1便の旅客機が到着した。 択捉島では太平洋側にある旧日本軍の飛行場が利用されてきたが、小型機しか離着陸できず、濃霧による欠航も相次いだため、天候が比較的穏やかなオホーツク海側に新たな空港を整備した。 ロシアが北方領土を自国領として開発する姿勢を誇示した側面もあるとみられ、日露関係に影響が出る可能性もある。」(22日 読売)。

言うまでもなく、北方領土は日本固有の領土であり、不法占拠を続けるロシアの高官の訪問は到底容認できない。菅義偉官房長官が「日本国民の感情を逆なでする」と、強い遺憾の意を表明したのは当然と言える。 軍事力を用いたロシアのクリミア併合などウクライナ情勢の急変を受け、北方領土交渉をめぐる状況は悪化した。情勢は厳しい。しかし、北方四島返還に向けた交渉でも、安倍首相は毅然とした姿勢を貫いてほしい。
とは言え、対話継続は必要だ。APECの際の首脳会談を調整しているとのことだが、
「その際、首相がプーチン氏に言うべきことは、はっきりしている。「法と正義」に基づき北方領土を日本に返還するよう求め、ウクライナ問題の平和的解決へ行動を促すことだ。」(25日 産経社説)。

《よほどのことがない限り ロシアは返還に応じないだろう  それはこれまでのロシアの対応からも明らかだ! 日本はもっと毅然たる姿勢で臨むべきだ》
日本政府は従来から、返還要求を国内向けに繰り返すだけで、ロシアに厳しく返還を迫ることをしてこなかったし、返還後のビジョンを示すこともしてこなかった。こういう日本の気のない姿勢は、すっかりロシア側には読まれており、したがってロシアの対応は、ほぼ一貫して強硬であった。と言うよりも、領土返還は真剣に考えるべき問題ではなく、むしろそれをめぐる言動は、日本を揺さぶる武器、カードとして考えているように思える。このことは、これまでの経緯を見れば明らかである。

1956年 平和条約の締結交渉は、北方領土の全面返還を求める日本と、平和条約締結後の二島返還で決着させようとするソ連の妥協点が見出せないまま、結局 日ソ平和条約は締結されず、締結後に歯舞群島・色丹島をソ連が日本に引き渡すと記載された条文を盛り込んだ共同宣言で決着した。
1961年ごろになると、フルシチョフは「領土問題は解決済み」との立場を表明し、日ソ共同宣言の二島引渡条項を否定する発言を行うようにもなった。これ以降、ソ連指導部から、たびたび、同様な発言が行われ、二島返還の可能性もほとんどないと思われていた時期もあった。
しかし、 ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカが行われ、ソ連が解体・崩壊し、そして東西冷戦が終結すると、再び、1956年の日ソ共同宣言を尊重する姿勢が現れた。これは、当時のソ連が経済不振に苦しんでいたことと、日本が世界第二位の経済大国として隆盛を誇っていたことと大いに関係があった。しかし、90年代の日本では、長期政権で腐敗堕落した自民党と、国益を全く考えない社会党などの野党との泥沼の抗争が行われていたので、日本は外交に対してしっかりした手を打つことができなかった(やっていたのは、中韓北に振り回されたことだけである)。日本は領土返還についての千載一遇のチャンスを、何もしないでみすみすと逃してしまった。国政の混乱が、国を滅ぼす最大の要因であることがよくわかる事例と言える。

その後、日本は90年代の「空白の10年」を無為に過ごし、すっかり国力を弱めてしまったが、逆にロシア(旧ソ連)は、石油やガスの開発により経済を成長させた。ロシアにとっては、急速に力をつけた韓国や、中国を日本の代替国として考えることもできるようになった。
それゆえ、2000年以降、ロシアは再び強硬な方向に傾き始めた。
2010年2月- ロシア外務省が「北方領土返還大会」に不快感を表明。
2010年7月- ロシア軍の択捉島における大規模軍事演習。
2010年7月- ロシア議会でロシア対日戦勝記念日法案の成立。
2010年11月- メドベージェフ大統領がロシアの国家元首として初めて国後島訪問。
2011年5月- ロシア側の、北方領土への外国資本呼び込みの計画に関連して、3人の韓国国会議員の国後島訪問。これも、島の開発・管理の権限がロシアにあることを見せつけるためのものであった。
2012年1月- ラブロフ外相はインタビューで、「北方領土は第二次大戦の結果、法的根拠に基づきロシア領となったという現実を認めるよう日本に要求する」と発言。
2012年7月- メドベージェフ首相は大統領時代を含めて2回目となる北方領土訪問を実施、国後島訪問について、「北方領土、一寸たりとも日本に渡さぬ」「国後訪問で日本が反発?全然関心ない」と述べた。
このようなロシアの強行姿勢は民主党政権下の3年間で大幅に強まってしまった。メドベージェフ大統領の島への初訪問は、日本の国家主権に対する重大な侵害行為であったが、それを止めることができなかったばかりか、まともな抗議すらしなかった。ロシア側の「文句を言うのなら、もう領土交渉はしない」という脅しに縮み上がってしまい、更に交渉のためには「静かな雰囲気」が必要だと言うロシアの騙し言葉に飛びつき、これをもって抗議をしないことの国民への言い訳に使った。この一部始終を見ていた韓国の李大統領は、これは行けると判断して、メドベージェフをまねて、すぐに竹島初上陸という暴挙を行った。暗愚で、党利党略しか頭にない政党、政治家が政治を行うと、国を滅ぼすということの実証例である。

プーチン大統領は、盛んに日ソ共同宣言の引渡条項に言及して、二島返還で、日ロ間の領土問題の解決を試みているような発言をしている。本気なのか、日本の国内世論の分断工作なのか、彼の真意は、今のところ不明である。しかし、領土問題交渉を、日本を通じて対中関係、対米関係を操る手段として使っていることは疑いがない。現在、プーチン政権は幅広い国民の支持があり、権力を掌握している。このため、かなりの見返りがあるならば、ある程度国内の反発を抑えてでも、二島ぐらいを日本に引き渡す事は可能かもしれない。しかし、現在の日本の政治・経済力ではロシアが満足するような見返りを与えるのは容易なことではないし、また、四島返還との調整をどう取るかと言う問題もある。四島返還となると、さすがのプーチンといえども、現状ではほとんどどうすることもできないだろう。

《日本はスターリンの「領土拡張主義」の被害を回復する立場からの、返還要求を行うべきだ!》
なぜこんなことになっているのか? それは、日本の主張に迫力がないからである。この意味で、冒頭のイワノフ長官が言う、日本の抗議は「形骸化」した「宗教儀式の踊り」のようなものだとの指摘は的を射ていると言えるのではないか。日本の主張は主として、56年の日ロ共同宣言以後の、諸取り決めをベースに行われていると言えるだろう。これでうまく行けば良いのだが、うまく行かない以上は、議論の根底にある より高次の理念、すなわち「領土不拡大」の考え、「領土拡張主義」への反対の理念を提起する路線に舵を切るべきである。スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、領土拡張の野心を持って千島列島の併合などを行った。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴に踏みにじるものであった。未だにこの無法が正されていないのは、北方領土問題ぐらいなものだ。ヤルタ協定やサンフランシスコ条約、その後の日ロ間の諸取り決めによる議論だけでは水掛け論の膠着状態から抜け出すことができない以上、これらの根底にあるもっと普遍的な理念、すなわち「領土不拡大」の理念に立ち返るのは、極めて正当な行為であるだろう。スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を掲げて交渉に臨むことが、何より大切なのではなかろうか。
四島を返せという要求であれば、サンフランシスコ条約との齟齬はないはずだ。千島の定義を巡っては、日本の主張にも一時混乱があったようだが、まあこれは大目に見てもらうしかないだろう。
重要なことは、江戸初期から北方領土は日本の固有の領土であったし、1855年 日本とロシア帝国は平和的に日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫島の間を国境線としたということである。これが本来のものとなるべきだ。
ロシア(旧ソ連)の主張の根拠は、1945年2月ソ連のヤルタで米・英・ソ首脳が行なった会談である。ここで、日本を早期に敗北に追い込むため、ドイツ降伏の2ないし3か月後にソ連が対日参戦する見返りとして、日本の敗北後、南樺太をソ連に返還し、千島列島をソ連に引き渡すべきとした(ヤルタ協定)。つまり、北方四島は、「ソ連の戦利品」ということであるが、連合国の中で「戦利品」を得ているのはソ連だけだ。ヤルタ協定は、米英ソの協定であり、日本が同意しているわけではない。千島の定義が明確になっているわけでもない。ソ連は日ソ中立条約を一方的に破って、北方領土に侵攻したという問題もある。要は、日本はスターリンによる「領土拡張主義」の被害者なのであり、この点を中心に日本の主張を行わぬ限り、ロシアが痛痒を感じることはないだろう。
これで交渉がうまく行くという保証があるわけではないし、むしろ一時的には交渉が後退することがあるかもしれない。しかし、武力による「領土拡張主義」を許さないという理念、より高度な立場からの「法と正義」を守る理念、領土問題処理は民主的に行われるべきという理念は、これから益々価値を増すだろう。将来的には、日の目を見る方向と言えるだろう。そしてこのことは、現在ロシアが行っているウクライナでの領土拡張路線についての明確な反対、中国が進めている尖閣への侵略行為に対する断固たる反対にも通じる立場なのである。

《中ロ連携は、「領土拡張主義」を正当化するためのものだ!》
中国とロシアは来年9月3日に対日戦勝70周年記念を合同で大々的に祝う計画らしい。中韓も同様の行事共催をする可能性がある。中ロの「対日戦勝」は、全く事実に合っていない歴史の捏造であり茶番だ。それを合同で祝うのは滑稽というほかないが、実はこれは彼らの領土拡張主義を覆い隠すためのものである。つまり、中国は尖閣への侵略行動を正当化しようとしており、ロシアは、北方領土実行支配の固定化、ウクライナ侵略を正当化しようとしている。
悪意に満ちた策動に対し、日本国民は嫌悪感を抱くだけとか、「負けたのだから仕方がない」と諦めに走るのではなく、これらに事実と「法と正義」の理念に基づき、毅然として反撃していく必要がある。

《ロシアに返還を哀願する姿勢では、適当にあしらわれるだけだ また、ロシアに返還による経済的メリットを強調するのも、足元を見られるだけだ! 「法と正義」を正面に据えた、外交の展開こそ重要だ!》
プーチン大統領と安倍首相の個人的信頼関係は重要であるし、対話も重要である。 対ロ関係の強化には台頭する中国を牽制する狙いもあったが、そのカードはウクライナ問題によって、相当に制限されることになった。しかし、これはやむを得ないことだ。力でウクライナから領土を奪い取った海千山千のプーチン氏を相手に、領土交渉や、対中牽制での幻想を抱いてはなるまい。策士のプーチン氏に対抗するには、姿勢を正して、正論で臨むのが最も効果的だろう。

これに対して、足元を見られる媚諂いの代表例、あってはならない姿勢の例は次のようなものだ。9月4日、西シベリア・トムスクでの記者会見で舛添東京都知事は次のように述べた。「日本は、安全保障問題において、米国に大きく依存している。日本には、対中国、対韓国、対北朝鮮と数々の問題があり、そうした事から、米国の軍事力に頼らざるを得ない状況にある。」「ロシアの人々は、日本がそうした複雑で困難な状況に 置かれていることを理解してほしい」と述べ「導入された日本の制裁が持つ性格は、 取るに足らないものだ」と指摘した。
これでは、日本の主体性も「法と正義」の理念も何もあったものではない。ここにあるのはとにかく、目の前のロシアに対して、媚諂い、同情と憐みを乞い求める身勝手な姿だけだ(困難な状況にあるのは何も日本だけではない!)。こういう人間は、米国の前では違ったことを言うに決まっているから、ロシアの不信感を買うばかりか、日本そのものが蔑視されるだけである。舛添都知事は、「アジア主要大都市ネットワーク」サミットに出席したとされるが、都知事なのだから外交ではなく都知事の仕事に専念すべきだ。先の、中国や韓国への訪問といい、もう彼の馬鹿げた発言、外遊は許されない。

次に、日本では、日本からの技術・経済支援の見返りに領土を返還させようという戦略が採用されてきたが、前述のように、日本の経済力が衰退した現在、そして日本に代わる国として中国や韓国が台頭している現在、このような話にロシアが本気で乗るはずもない。日本が技術や経済のことを言えば言うほど、日本は仕事を欲しがっていると理解され、そして仕事を与えるのだから、領土の話は別だとなってしまう。実際、日本の動きを見ていると、領土を返して欲しいのか、単に仕事が欲しいのか、よくわからない。北方領土返還に当たってはもちろん技術や資金の見返りが必要となろうが、返還は、あくまでも奪ったものを返す義務があるからである。これを逆転させると話はすっかりおかしくなってしまう。

また、日本国民全体が、北方領土の返還を強く望んでいることをしっかり示す必要がある。2011年9月に生じた、文科省後援「地理五輪」ポスターで、北方領土を「ロシア領」と紹介していたような泣くに泣けない不祥事は決してあってはならないことだ。国際大会「国際地理オリンピック」の国内予選募集ポスターで、北方領土を「ロシア領」と色分けした地球儀の写真が使われていた。これは、大会関係者による「単純なミス」であったのだが、背景に領土問題に対する意識の希薄さがあったはずだ。地理のエキスパートの大会、しかも日本地理学会が共催の催しに、日本の領土が間違われていたという、ブラックジョークに唖然とした人は多いだろう。こういうことをやっていると、返って来るものも返らなくなるだろう。