もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

カルトのような韓国、トンチンカンな鴻池訪韓団! 韓国の異常さにつられた?! もういい加減突き放せ!

2013-08-11 17:43:42 | 政治
またまた韓国ネタとなるが、以下の二つのエピソードは韓国の本性を如実に表していると思うので、取り上げてみたい。
「韓国の与党・セヌリ党の代表で韓日議員連盟会長の黄祐呂(ファンウヨ)氏は8日、鴻池祥肇元防災相ら超党派の訪韓団との面談で、「軍国主義の復活を意味する日本政府の一連の言行」で日韓関係が冷え切っているとして、深い憂慮を表明した。セヌリ党が発表した。 同党によると黄氏は、両国は民間次元では多様な分野でより活発な交流の要求があるのに、日本政界の度重なる「時代に逆行する言行」が、こうした肯定的な流れをせき止めていると指摘。「良心的で合理的な日本人の勇気ある声」が、こうした状況を正すことを期待すると強調した。 鴻池氏らは日韓の「次世代指導者交流事業」で訪韓した。」(8日 朝日)。
さて、この黄氏の発言には大きな違和感を覚えざるを得ない。なぜかと言えば、
第一に、日韓関係の悪化の原因が日本にあると主張していることである。竹島の略奪、「慰安婦問題」のでっち上げなど、事実を無視した自分たちに都合の良い歴史観を主権国家たる日本に押し付けようとすることがいかに不当で理不尽で、非建設的行為であるかということに、まったく目が向けられていない。驚くべきことだ。
第二に、「良心的で合理的な日本人」の行動に期待すると言っているが、これもひどい話だ。黄氏の頭には、両国の関係改善などはなく、あるのは、日本の「親韓、反日」勢力を使って、政権と世論を分断させ、いかに韓国の目的を達成するかということだけらしい。経済活動などの重要性を説いているが、それなら、経済を政治と切り離すべきである。それを強引に政治と結び付け、交流を阻害しているのは韓国なのだ。
第三に、「日本の軍国主義の復活」と言っているが、これは、全くの造語的虚偽であり、悪意のレッテル張りと言わざるを得ない。辞書によれば、「軍国主義」とは、「軍事力の強化が国民生活の中で最高の地位を占め、政治・経済・文化・教育などすべての生活領域をこれに従属させようとする思想や社会体制。」(大辞泉)とされている。これに従えば、軍国主義国家とは中国や北のような国のことであり、日本とは関係がない。ちなみに、この定義にならえば、韓国は「反日主義国家」ということになるだろう。ともあれ、日本がこのような国でないこと、こういう国に向かっていないこと、向かう理由がないことは、韓国(そして中国)が知らないはずも、わからないはずもないだろう。しからば彼らは何を言っているのか? 結局彼らが言っているのは、日本が国家主権を主張すること、国を防衛する行動に出ることが、彼らの言う「軍国主義復活」ということになるのだろう。これは言葉のすり替えの虚偽であるばかりか、日本の国家主権を認めないという主張である(その理由は日本が「敗戦国」だからということになるのだろう!!)。なんと自分勝手で、非民主的で、非合理な考えではないか! 何事であれ、すべての過去のことは、それなりの処理(たとえば保障を取り決めた条約など)で清算される、そうする以外にないという人類の歴史が示す根本的な原理を全く理解していない(と言うよりも、理解しては困るということだろうが)。
第四に、このような黄氏が、韓日議員連盟会長であると言うことも驚きである。我々の常識からすれば、例えば日韓議員連盟は、韓国をよく理解し、日本の利益を計ると同時に相手国である韓国の利益にも最大限配慮する中で、関係構築を進めようとするものであるはずだ。だから、彼らはこの逆をしているものと思っていたが、どうやら韓国、そして黄氏にはこういうつもりはないようだ。つまり、有り体に言えば、日韓議員連盟とは、韓国にご機嫌伺いをする組織で、韓日議員連盟とは、そのご機嫌伺いの内容を聞き、天の声としての韓国の‘お達し’を日本側に伝達する組織らしい。ひどい話ではないか。

ところでそもそも鴻池氏らは一体何のために韓国に行ったのだろうか。青年会議所などからの要請、突き上げがあって、行かざるを得なかったのかもしれないが、こんなことは行く動機ではあっても目的ではない。上記記事を見る限りでは、韓国側の理不尽で一方的な主張を聞かされ、「お説ごもっともです」という体で引き上げたということにしかならないのではないか。なぜ「経済を政治と絡めるべきでない」というくらい言わなかったのか。 まあ、上記記事は親韓、反日の朝日のものだから、韓国側の主張を一方的に報道しているのもむべなるかなではある。実際はどうだったのか? 
「ソウル訪問中の鴻池祥肇元防災担当相(自民党麻生派)が8日、韓国の姜昌熙国会議長との会談で、同国のことわざを用いて関係改善への意欲を示したところ、逆に韓国を批判していると誤解された。鴻池氏は4月に靖国神社を参拝した麻生太郎副総理に近い人物だけに、韓国側は神経をとがらせているようだ。 会談には議員交流事業で訪韓した超党派の国会議員4人が出席。韓国国会によると、姜議長は、議員交流の重要性を強調した上で、ドイツの哲学者ニーチェの警句を基に、「歴史は、それを乗り越え、日本の若い議員たちが未来に対する情熱を持つときに忘れられる」と強調した。 これに対し鴻池氏は「発する言葉が美しければ、返ってくる言葉も美しい」という韓国のことわざが好きでよく使うと説明。「両国間に山積する問題もこのことわざのように、互いに配慮し、心情を理解するところから始めることが望ましい」と語った。 しかし、韓国ではこのことわざが、悪い言葉を口にした相手を非難するときに使われることが多く、聯合ニュースは「日本の最近の動きに対して韓国で乱暴な言葉が出ているので、日本も良い態度が取れないとのニュアンスだった」と伝えた。」(8日 時事)。
鴻池氏の呼びかけは、素直な解釈をすれば、あるいは一般的には、正しく高邁な思想だということになるはずのものである。ところが韓国は、素直な対応、一般的で常識的対応には出なかった。この韓国の反応は、彼らが反省しているということではなく、日本に反発しているということなので、救いようがない。ここには韓国がどういう国であるのかを示す二つの特徴が出ている。一つは、悪いのは日本だから、お互いに努力することなどあり得ないと考えているのだろう。良い諺があっても、その心を読もうとしないのだから、猫に小判、仏作って魂入れずである。「歴史は、それを乗り越え、日本の若い議員たちが未来に対する情熱を持つときに忘れられる」と言われているがこれは、日本側が一方的に努力すべきであり、それを認めて許すかどうかは韓国が決めることだと言っている。実に不遜で、傲慢かつ非建設的態度ではないか! 二つ目は、この諺のそのままの意味を取らず、裏の意味を取るということ自体が、韓国人のひねくれた性向をよく表しているということである。かれらは、どんなことにも斜めに構えた見方をするので、どんなに誠意を尽くしても、逆に受け取られるだけなのだ。
このように、韓国はとにかく、‘日本は悪だ’ということを根本原理、教義としたカルトとでも言うべき国であり、日本とは言葉も通じず、常識も通じず、共通の価値観もないどうしようもない国なのである。このようなわけで、今回のことで目立つのは、韓国という国の異常さと、そういう異常な国の本質をまだ理解せず、能天気でトンチンカンな偽善を振りまいて、それで自己満足している議員諸氏の姿である。
と言うのも、今回鴻池氏が述べた理念、言い換えれば‘誠心誠意’路線は、ここ数十年にわたって、日本がとり続けたものであるが、韓国をより強い反日に増長させただけの結果で終わっている。つまり、これはとっくに破綻している理念、路線なのである。鴻池氏の言葉は一般論では正しく美しいものではあっても、現実に合っていないのだから、手抜き外交であり、欺瞞的外交だと言われても仕方がないだろう。なぜ、政府はもとより、国会議員に至るまで、ここ数十年の失敗から学ぶことをせず、いつまでも歯の浮くようなきれいごとで済ませようとするのか。なぜもっと工夫した外交を行わないのか。
もっとも、国内のインターネットでは、今回の鴻池氏の発言を、韓国批判をしたものとしてとらえ、「よくやった」と評価する向きもある。本人は、韓国非難をするつもりはなかったのだろうから、これはブラックジョーク的な結果である。しかし、動機はどうであれ結果的には、韓国の非を鋭い警句で批判したことになった。「瓢箪から駒」とはこのことかもしれない。
いずれにせよ、韓国という国は、北と同様、狂信的なカルト国であることが明白となった。両国は同じ民族だから、同類の行動を取るのだ。ただ、教義は、北が「主体思想」であり、韓国のそれが「日本は悪だ」という「反日思想」の違いがあるだけである。このような国とは、まともな付き合いはできないので、基本的には突き放し、関わりにならないようにすべきだ。すり寄りなどはもっての外だ。とは言え、近隣国なので、最低限の付き合いは行なわねばならず、その基本は「対話と圧力」である。必要な対話は行ないつつも、日本の主権、利権が損なわれる場合は、断固として反撃し、圧力、制裁をかけていくしかないのである。