忌野清志郎さんが亡くなくなった。
高校生のときTVで初めてRCサクセションを見て「雨上がりの夜空に」の気持ちのよさに魅かれ、レコード屋でアルバム「ラプソディ」を取り寄せてもらった。当時としては異様な雰囲気の派手なメークのジャケットにびびりながら、1曲目の「ようこそ」を聴いた瞬間のしびれるような衝撃をいまだに忘れられない。そして何度も何度も繰り返し聞いているうちに、清志郎の詩の素晴らしさのとりことなっていったのである。
その後ラジオで名曲「スローバラード」を聴いてから、清志郎は僕の中で無くてはならない存在となってしまった。
大学に入り和歌山から大阪に出て来てすぐ、府立体育館にRCサクセションのコンサートを見に行った。当時のRCはまさに日の出の勢いで、あんなに大勢の人間が正に一体となり絶頂感を共有したコンサートはその後一度も経験したことが無い。アンコールでの「エネルギー」の興奮はいまだに僕の中のどこか奥底で続いている。
彼らは日本に日本語のロックを根付かせた元祖であり、そして僕にとってはあの輝いていた「青春」の一部そのものである。
年をとるにしたがって清志郎の唄を聞く回数は減っていったが、たまにTVやラジオから流れる彼の声に、そしてその存在そのものにいつもとても癒されていたと改めて感じている。
清志郎、いつもこの「日本」を、そしてこの「世界」を愛し続けてくれて本当にありがとう。これからもずっと僕らのことを見守り続けてください。心よりご冥福を申し上げます。
高校生のときTVで初めてRCサクセションを見て「雨上がりの夜空に」の気持ちのよさに魅かれ、レコード屋でアルバム「ラプソディ」を取り寄せてもらった。当時としては異様な雰囲気の派手なメークのジャケットにびびりながら、1曲目の「ようこそ」を聴いた瞬間のしびれるような衝撃をいまだに忘れられない。そして何度も何度も繰り返し聞いているうちに、清志郎の詩の素晴らしさのとりことなっていったのである。
その後ラジオで名曲「スローバラード」を聴いてから、清志郎は僕の中で無くてはならない存在となってしまった。
大学に入り和歌山から大阪に出て来てすぐ、府立体育館にRCサクセションのコンサートを見に行った。当時のRCはまさに日の出の勢いで、あんなに大勢の人間が正に一体となり絶頂感を共有したコンサートはその後一度も経験したことが無い。アンコールでの「エネルギー」の興奮はいまだに僕の中のどこか奥底で続いている。
彼らは日本に日本語のロックを根付かせた元祖であり、そして僕にとってはあの輝いていた「青春」の一部そのものである。
年をとるにしたがって清志郎の唄を聞く回数は減っていったが、たまにTVやラジオから流れる彼の声に、そしてその存在そのものにいつもとても癒されていたと改めて感じている。
清志郎、いつもこの「日本」を、そしてこの「世界」を愛し続けてくれて本当にありがとう。これからもずっと僕らのことを見守り続けてください。心よりご冥福を申し上げます。