一回り若い友人が、「夕べは途中の駅で電車がなくなり、一時間ほど歩いて家に
帰った」とぼやいていた。学校時代の級友数人と飲んでいて大激論になった揚げ句ら
しい。議論の発端は、今時の新入社員は使い物にならないという発言だという。
その仲間内に大学教授になった男がおり、彼に向かって「今時の大学は何を教育し
ているんだ」とからんだ奴がいて、これに教授は「企業に役立つ人材は企業が教育す
べきだ」と反論し、酔った勢いで大論戦になったらしい。
ある経済研究機関が、今年の新入社員を「カーリング社員」と名付けた。前を滑ら
かに掃いてやらなければ進まないというわけだ。新入社員の駄目さ加減を笑う話は昔
からあり、駄目な学生を送り出す学校教育の欠陥を指摘する議論も延々と続いてい
る。
数十年前の私の体験だが、早稲田大学のS教授にある本を差し上げることになり、
それを取りに助手クラスの青年が私の勤務する会社を訪ねてきた。これが挨拶もろく
にできない青年で、本を受け取って礼も言わずに立ち去った。S教授にこのことを伝
えたところ、「私の研究室では挨拶やマナーを教えているわけではない」との返事。
まさに開いた口が塞がらなかったことがある。
まったく逆の例もあった。多摩川大学の並木高矣教授(故人)の研究室にお邪魔し
ていた時、開いていたドアーから一人の学生がスイと入ってきた。途端に「なんだ君
は、もう一度入り直せ」と教授の叱声が飛んだ。学生が慌てて部屋を飛び出し、開い
ているドアーをコンコンとノックして「入ってもよろしいでしょうか」と問い、教授
が「ああ、入りなさい」と許した。この学生は、この時はたまたまうっかり“侵入”
したが、日頃の躾はできていると見えた。
基本的には、基礎知識は学校教育、実務教育は企業に大きな責任があるだろう。厄
介なのは人間教育だ。誠実、勤勉、礼節といった徳育は、本来は家庭教育の役割だっ
たはずだが、残念ながら今は、義務教育は言うに及ばず大学や企業に至るまで継続し
なければならない教育になってしまったようだ。
改正教育基本法は、道徳面の教育を取り入れるという。これには異論、反論もある
が、人間として理屈抜きで身につけるべき躾があることに異論はないはずだ。