書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

聖火リレーの物理的意味  ランダムトーク:寄稿者 六甲颪

2008年05月26日 | Weblog
近代オリンピックは20世紀初めクーペルタン男爵によって再開され今日に至っているが、ギリシアから聖火をリレー会場に運んだのは1936年のベルリンオリンピックからであった。その後その規模は次第に大袈裟となり、2008年の北京大会では世界の五大陸を全て通過すると言うことで今回は民族問題と絡んで事態はやや面倒になってきている。 
 聖火はまずキリシアのオリンピアで太陽光を集光した熱で燭台に点火しあとは次々とリレーで移され最後に会場の大きな聖火台に移されリレーは終了する。ギリシャ時代の人は太陽光から採火され次々と移って会場に持ち込まれたのであるから神聖な光であると信じたのは当然であろう。
 火とは何か、燃焼とは何かということは物理と化学の学者の間で長い間の論争が続いた。18世紀になってもなお物体が燃えるとはその中にあるフロギストンと言う元素が含まれていてこれが加熱によって飛び出し燃焼という現象を引き起こす。このフロギストンは又燃素と呼ばれその量をXで示すと、亜鉛ーX=亜鉛の灰、燐ーX=燐酸となりXだけ質量が変化しているとする。この説は長くその時代信じられていたが、18世紀終わり頃有名なラボアジェが燃焼とは高温における酸化現象であり、物質が高温になると酸素と結合しやすくなり酸化物を作る。この証拠に酸素を絶つと燃焼はなくなる。この反応によっても質量保存の法則が成り立っている。
この明快な説でフォロギストン説は消滅した。
 現在でも行っている聖火リレーは従って物理的に言うと「燃えているのは燭台の油であって神聖な太陽光からのものではない」となる。これに対し「そんな野暮なこといわないで聖火リレーを楽しんだらどうですか」と言われそうだが、聖火を運ぶため莫大な経費と多くのランナーの苦労を思うと、民族問題とか地震という天災を抱えている時は中止かコースを短縮しても良いと思っている。
[2008/5/27]

現代イソップ物語・兎と亀  ランダム・トーク:散歩道

2008年05月19日 | Weblog
動物オリンピック委員会ではイソップを委員長として新しいルールで兎と亀の競争が行われることになりました。頭のいいチンパンジーの提案で、兎は亀の3倍の距離を走り、近道を抜けるのを防ぐようにと森の曲り角に通貨確認バトンを渡す小屋を造りました。

小屋から見えるくらいの所に亀さん、ずっと遠くに兎チャンがスタートのつきます。小屋から、競技委員長イソップおじさんが出てきて、ヨーイドン
鳩の実況放送 「早くも亀さんが小屋に入りました。そして口になにやらバトンらしいものを加えて小屋をでました。あっ!兎チャンもバトン小屋にはいりました」

鳩 「亀さんはどんどんゴールに近づいています。今兎チャンが小屋を出るとチンパンジーさんの計算では、ちょうどいい勝負になるようです.ゴール近くには鼠、牛、トラ、うさぎ、----馬、羊、猿さん達がいっぱいに詰めかけています。
鳩 「あれ、兎チャンがなかなか出てきません。どうしたのでしょう? 携帯電話でイソップおじさんを呼び出してみます。もしもし亀よ、亀さんよ、いや、イソップおじさん? ーーー 小屋が奇麗はアルミ製なので電波が届かないようです」 

鳩「あっ!やっと兎チャンがでてきました。白ウサギが顔を真赤にして、怒っているみたいです。どんどん亀に近づいています。あ、あ、とうとう亀さんゴールイン。

地上に降りたレポーターの鳩:兎チャン、小屋でどうしちゃったの?」兎チャン 「すぐバトンもらえなかったんだ! イソップおじさんが居眠りしていて」 散歩道

ここ掘れワンワン  ランダムj・トーク:散歩道

2008年05月17日 | Weblog
庭の畑でポチが啼く、正直爺さん掘ったらば、大判小判がザック、ザック、ザックザク。
これを見ていた年金保険やさん。ポチを借りて掘ったらば、隠した記録がザック、ザック、ザックザク
有ろうことか、この役人、慌ててこれを埋めたよ。それからポチを蹴とばした。

ポチはケンケン、ホケホケ、ホケン 何度も何度も啼きました。散歩道

あの世での信長・秀吉・家康会談  ランダム・トーク:散歩道

2008年05月16日 | Weblog
あの世で信長・秀吉・家康の三人の会談が行われた。3人の会話をインターネットで傍受しました。

信長:秀吉君、君は本能寺の変では随分早く俺を助けに来たのだが、明智と裏で組んでいたといううわさもあるぞ!
秀吉:とんでもありません。私は草履を温めて以来、ずっとあなた様の忠実な子分です。ところで、家康さん、俺が死んでからの慇懃無礼な天下取りは気に食わんな。情報は入っているんだぞ!

家康:いやいやどうも恐れ入りました。しかし“徳川時代のしぐさ”等という本でわかるように、徳川時代は平和な良い時代で、その基本は私めが確立致したものでございます。どうぞお手柔らかに。私の孫の孫の孫のーーー慶喜君は明治にやられてしまいました。そして、大正・昭和となって経営に失敗してアメリカに乗っ取られてしいましたね!経営には色んな事があるものです。

信長:今の日本政府はなっとらん。そうだ。俺達三人で信秀家党というのを結成しないか。次の選挙できっと過半巣をとれるぞ!
秀吉:その時、総理大臣は誰にしましょう?
家康:徳川三百年の基礎を作った実績のある私にやらせて下さい。
信長:混乱の時代を開拓したのは俺だ。俺に任せろ。シーーーン
秀吉君、君は馬鹿に静かだね!どうした。ーーーー
秀吉:私はだめなんです。 他の二人:どうしてだ

秀吉:現代の人は靴を履いて、草履を履かないので、出世の方法がないんです!

テロがいないくて失業のブッシュさん  ランダム・トーク:散歩道

2008年05月15日 | Weblog
ブッシュという人が教会で熱心にお祈りをしていると、神様の声が聞こえて来た。
神様:あなたは熱心に貴方の定義にしたがって”テロ”と闘ってきた。ご褒美に天国に行けるようにしてあげましょう。
ブッシュなる人:有難うございます。

喜び勇んで天国に行ったブッシュ君。だが、天国では皆んな平安に仲良く暮らしていて ”テロ”はいない。、ブッシュ君、結局は失業して、地獄に仕事を探しに行ったとさ。/font> 散歩道

「カーリング社員」雑感 ランダム・トーク:山崎義雄

2008年05月15日 | Weblog
一回り若い友人が、「夕べは途中の駅で電車がなくなり、一時間ほど歩いて家に
帰った」とぼやいていた。学校時代の級友数人と飲んでいて大激論になった揚げ句ら
しい。議論の発端は、今時の新入社員は使い物にならないという発言だという。
その仲間内に大学教授になった男がおり、彼に向かって「今時の大学は何を教育し
ているんだ」とからんだ奴がいて、これに教授は「企業に役立つ人材は企業が教育す
べきだ」と反論し、酔った勢いで大論戦になったらしい。
ある経済研究機関が、今年の新入社員を「カーリング社員」と名付けた。前を滑ら
かに掃いてやらなければ進まないというわけだ。新入社員の駄目さ加減を笑う話は昔
からあり、駄目な学生を送り出す学校教育の欠陥を指摘する議論も延々と続いてい
る。
数十年前の私の体験だが、早稲田大学のS教授にある本を差し上げることになり、
それを取りに助手クラスの青年が私の勤務する会社を訪ねてきた。これが挨拶もろく
にできない青年で、本を受け取って礼も言わずに立ち去った。S教授にこのことを伝
えたところ、「私の研究室では挨拶やマナーを教えているわけではない」との返事。
まさに開いた口が塞がらなかったことがある。
まったく逆の例もあった。多摩川大学の並木高矣教授(故人)の研究室にお邪魔し
ていた時、開いていたドアーから一人の学生がスイと入ってきた。途端に「なんだ君
は、もう一度入り直せ」と教授の叱声が飛んだ。学生が慌てて部屋を飛び出し、開い
ているドアーをコンコンとノックして「入ってもよろしいでしょうか」と問い、教授
が「ああ、入りなさい」と許した。この学生は、この時はたまたまうっかり“侵入”
したが、日頃の躾はできていると見えた。
基本的には、基礎知識は学校教育、実務教育は企業に大きな責任があるだろう。厄
介なのは人間教育だ。誠実、勤勉、礼節といった徳育は、本来は家庭教育の役割だっ
たはずだが、残念ながら今は、義務教育は言うに及ばず大学や企業に至るまで継続し
なければならない教育になってしまったようだ。
改正教育基本法は、道徳面の教育を取り入れるという。これには異論、反論もある
が、人間として理屈抜きで身につけるべき躾があることに異論はないはずだ。

「日本人だけが知らないアメリカ世界支配の終わり」 書感:智致望

2008年05月13日 | Weblog
カレル・ヴアン・ウォルフレン著 徳間書店 1600円
サブプライム問題による信用不安が持ち上がり、世界経済における資金のだぶつきに注力していた私にとって、この本の表題「日本人だけが知らないアメリカ世界支配の終わり」が、疑問に答えてくれるであろうと期待して読み始めた。

著者は、オランダの高級紙の記者として日本に永く滞在し、日本の社会状況を熟知し、日本研究についての多数の著作がある。

アメリカ経済が世界をリードしていることは既に既成の事実として捉えられていることから、表題にある現象を薄々感じつつあるのは私だけでは無いと思う。著者はあらゆる角度から解析しデーターをもとに結論に導くもので、現状解析から始まる本書にハウツー的に結論を求めるのは無理である。論旨の骨格は、グロバリゼーションを厳しく批判し、反グローバリズムの大潮流が押し寄せ今やグローバリゼーションは崩壊したと言っている。そもそも、WTOのルールが裕福国にのみ有利であり、途上国にとって良い事は何も無い、それに気が付き途上国は業を煮やし反発して力を付けてきていると解説している。

第五章の「地殻変動を起こす地球経済」の章は圧巻で、グローバリゼーションの崩壊によってアメリカがあらゆる分野でシェアーをおとしている現象を具体的事例を以って説明しているところは読んでいて目から鱗である。それは、世界共通言語が英語になったと言う環境下で、全ての情報はアメリカのメディアによってアメリカのフィルターを通って世界に配信されているからと言うのも、納得させられる根拠と思う。

具体例として、いまや世界経済は日本を含めた東アジアとEUにシフトしているとの下りに付いてである。アメリカは毎年1100億ドルの割合で赤字を出し続けている。早晩、終わりがくるだろうという認識ではみんな一致している。

次に世界のエンジンの機能を果たすのはヨーロッパとアジアである、その根拠は05年EUの総輸入額は、1兆1750億ユーロであり、これは2001年から毎年5%の増加、金額にして600億ユーロの増加、更に拡大ヨーロッパの国々がこれにプラスし、東アジア地域の増加を合計すると1450億ユーロが毎年増加することになり、アメリカの輸入増加の割合と比べて相当大きい規模となる。

更に、アメリカが債務を増やし続けるのに対して東アジアとヨーロッパは債権国の地位にあり、アジアからの資金供給が無ければアメリカ経済は崩壊するであろうとの事である。

本書は、これ等の現象をデーターをもって克明に説いている、近い将来の生活を守る基礎的な考えを構築するのに大変役立つ書であると思う。

天皇のものさし    書感:藤田

2008年05月13日 | Weblog
由水常雄著 麗澤大学出版会 平成18年2月  正倉院撥鏤(ばちる)尺の謎

最近、古代の測量や計測に興味が向いていた折、本書を知った。この撥鏤(ばちる)尺は象牙を15年間染料に浸した後、彫り上げていく手法で、天皇専用の物差しであったようで、メートル原器のような存在であったと推定されるそうです。
時代と共に、長さも微妙に違っており、その違いは中国での年代にも符合しているようで興味あるところです。なぜ違えたかは知る由も無いが何か理由があったものと思われます。

しかしながら、著者が問題にしていたのは、明治になって正倉院の宝物調査が行われた直後にこの象牙尺が7つなくなっていたことである。
調べていくうちに、当時持ち出せたであろう人間がこっそり持ち出したのかも知れないと・・・・。そして、時代が経ち相続され、古美術商を経て、本来国の財産であったものが、多くは個人所蔵になっているようである。
だれも見ていないからと、ほんの出来心であったかもしれないが、「お天道様が見ているよ!」という昔からのことばを大事にしたいと思った次第です。藤田昇

揺れる日本語辞典     書感:狸吉

2008年05月09日 | Weblog
揺れる日本語どっち?辞典 神田龍之介著 篠崎晃一監修 小学館 2008年 ¥1400.
何十年も読み書き話している日本語だが、いまだに「はてこれはどう読むのが正しいのだろう?」とか、「同じ音の漢字が複数あるがどちらを使うべきか?」と迷うことがある。そのような疑問にずばり答えてくれるのがこの本だ。著者は新聞社の校閲部記者、監修者は方言学が専門の大学教授。迷ったときにこの本を開けば、この専門家二人が教えてくれるのだから有り難い。

 たとえば、「綺羅星の如く」は、本来「キラ・ホシノゴトク」だが、「キラボシノゴトク」とも読む。そして何故そうなったか解説している。テレビ・ラジオでは前者を第一、後者を第二の読みとしている由。

「黒子」は「クロコ」と思っていたら、どちらも使うが本来は「クロゴ」だそうだ。

 読み・発音の次には表記、使い方、意味、固有名詞、四字熟語と、章ごとに事例を並べ解説している。兄弟は男、姉妹は女に使うことは知っているが、男女を含む場合は「きょうだい」と書くとは知らなかった。「ベルトvsバンド」の項では、「ベルトが多数派、バンドを使うのは高年齢層の男性」との解説に思わず笑ってしまった。

 一つ一つ事例を読んでいくと、「ああ、これは知っている。おや、これは知らなかった」と引き込まれ、気が付くとほとんど通読してしまった。読み物としても面白く、実用的な辞典としても役に立つ。実はこれ、図書館で借りて読んだ本だが、常備参考書として一冊買うことにした。

ガセネッタ&シモネッタ  書感:散歩道

2008年05月07日 | Weblog
著者:米原万理 発行:文芸春秋 2003年6月第1版 2007年4月第11版 定価:562円著者はゴルバチョフの通訳をはじめ、重要な国際会議の同時通訳として活躍された超一流の通訳者。50歳代に入って文筆家としても活動を始めた。国際的に活動した生きた経験をもとに、異文化論を展開している。剛速球の批評を投げるが、人間に対する興味と優しさがあって、ダジャレと魅力あるユーモアを感じさせる凄いパーソナリティーの持ち主である。

この本の表題からは、どぎつい、そして、ちょっと下ネタ的な話と思わせるが、どうしてどうして、凄いレベルの哲学と、ユーモアが混然一体、いや、婚前一体となって楽しませてくれる。
同時通訳の米原です。はい、ドジ通訳です。聞き手の事を考えて通訳する例として、原発言者が「四肢」と言ったら、聞き手が幼稚園児なら、「お手てとあんよ」、中学生なら「手足」

イタリアのテレビ局では、主語が私とか僕の様な第一人称の場合には、「来る」という意味を訳すときには venire(英語の come) は絶対に使わない。「arrivare( 英語のarrive) を使う。 たとえば、アメリカ大統領が 「私は、貴国にまいります」 というのを venire と訳してしまうと 「米大統領いわく、僕はイクからね」 となって大変困るからだ。


「イク」の話だけでも面白いが、国際通訳では、そうやったら大変な国際問題にすらなってしまうともいう「面白い話と、考えさせられる話」満載されていて 562円とは安い。
是非、購入してお読みくださることをお勧めします。散歩道

恨ミシュラン 史上最強のグルメガイド  書感:散歩道

2008年05月06日 | Weblog
 <著者:西原理恵子神足祐司 発行:朝日新聞社 定価:700円
最近グルメガイドとして知られるミシュランが日本のレストランの評価を発表して、物議をかもしている。日本では高く評価されているレストランが星ひとつだったり、わずかな調査員が試食に現場訪問をしただけで適当に星数をつけているとか、知名度を利用して、御馳走して貰っていい点をつけたのじゃないか、などなど、にぎやかだ。/font>
そこで、今となってはちょっと古いほんのだが、1992年から93年にかけて週刊朝日に連載されたミシュランを皮肉った、めっぽうに面白い、この本をご紹介したい。

当時怖いものなしの人気マンガ家と気鋭のコラムニストがグルメ絶賛の名レストランに乗り込んで、言いたい放題本音を吐いた記事である。有名気取りのレストランで、実は全く美味しくないのに、心にもなくお世辞をいったりした苦い経験を持った人たちの支持を得て、この当時絶賛を受けてベストセラーになった本である。

ほんの一例:銀座のマキシム・ド・パリ  日本で初めてフランス人シェフを招いて開いたという権威のフランス料理屋屋。まず御婦人用メニューには料金が書いてない。男女の潜水艦ゲーム。彼女は気安くいう。「フォアグラにしようかしら」男は手元で男子用のメニューで値段をみると5千五百円。「あら、キャビアもあるわね」合計1万5千円。轟沈!といった具合に書かれている。

このころテレビで大騒ぎされた「春木屋」。おいしいという想像力をかき立てるのは数十分も待たせる行列。と言った調子で書かれている。 残念なのは、この本は今は購入しにくいかもしれない。散歩道

望みを失った、光をもっと!   らんだむ・トーク:散歩道

2008年05月03日 | Weblog
親しい友人たちと名古屋から鳥羽の水族館に観光旅行をすることになった。予め一緒の席を予約し東京駅から新幹線で落ち合うことになった。
少し余裕のある時間に東京駅に着いた私は、確認のため丁度待機の状態にあった列車に乗り込んだ。乗る前に近くにいた乗務員に、この時間に東京を出て一番早く名古屋に着く列車はこれですねと、確認して乗り込んだ。というのは皆で乗ることにしたのは光で、私は一番早い新幹線は光だと思っていたから。

ところが、何と同じ座席番号の席に既に女性が座っている。切符を見せ合うと全く同じ座席番号だ。さては、ダブル売りをやったな!と咄嗟に思った。周りの人たちも皆で、こりゃ大変、コンピューターの操作ミスか?等など大騒ぎ。

やがて、その女性が“私のは望、おたくのは?”と言われ、自分の切符を見ると、私のは“光”。
私『この列車、光じゃないんですか?』 その女性『これは望でよ』
私『 え!すみません、間違えました 』

私の率直な謝りが、緊張をほぐしたのか、皆さんの大笑いを背に聞きながら、そそくさとその列車を降りた。私達が購入した切符は光で、アインシュタインの原理では光は宇宙で一番早い粒子であるというのが頭にあったから、一番早い列車と車掌に聞いたのだから、光に乗ったと信じていたのだ。
今でも残念なのは、失敗にも拘わらず、愉快な雰囲気だったのだから、あの時、“望みを失った!もっと光を!”とやれば、おお受けしただろうにと、今でも残念だ。というのは、この頃コマーシャルで“もっと光を!”というのが流行っていたからーー。ダジャレをやり損ねたお粗末の一席。散歩道