書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

『独創的発想法』ー糸川英夫

2010年06月06日 | Weblog

『独創的発想法』ー糸川英夫(1984年8月発行)   書感 金澤磐夫

ある会合で、独創と云うことに関しての講演を頼まれたので、参考にと思って、25年も前に発行された本ですが、先を見る糸川英夫先生の本を読みなおしてみた。正に今日の日本の状況を見通しているようで、読み出したら、一気に最後まで読むことになった。

第一章:日本人が独創力をつける方法

1.異なる文化のドッキングーーーーイスラエル人の独創性はどこから来たか?

イスラエル人は流浪の民だった。アインシュタインの独創性はどこから来たか?
ユダヤの文化とドイツ人の理屈ぽさのドッキング

2.海外一人旅のすすめ

日本人は群れたがる。集団にはよその人は声を掛けようとはしない。
たとえ難しくても外国人と何とか話をする努力をすれば必ず何か新しい事を発見する。

3.読書のすすめ

本を通じて、その本の著者と論争する。つまり、本の中身と自分の頭の中の考えがドッキングして、そこに新しいアイディアが生まれてくる。

第二章:消しゴムは独創力を妨げる

1.間違いは消さずに×をつける

糸川先生に板の振動の計算式―行列式の連続から算出する事を引き受けさせられたことがある。その時、消しゴムは絶対使うな!と云われました。研究の進め方に関しては、全く各自自由で、細かい手法にかんして指示することは全くなかった糸川先生が、この時ばかりは随分細かい事を指示するので不思議に思いました。

2.プロは常に反省の塊

音楽家におけるプロとアマチュアの違い。プロの音楽家は演奏が終わったあと、何時も厳しい顔をし、見ていて可哀そうになってしまうくらいである。
失敗を思い出すのは苦痛であるが、それを消しゴムで消さないで徹底的にその失敗原因を追求すれば、そこから新し独創のヒント得られる。

敗戦の教訓を忘れようとする日本人。消してしまうのが楽と思っているのだが、そこからは新しい考えは生まれてこない。

3.日本の過去を研究するユダヤ民族

明治革命で音楽教育はどうなったか?
天皇家の雅楽は意外と主流にはならなかった。西洋音楽が主流になった。『チョウチョ、チョウチョ』・『埴生の宿』、さらに『君が代』も。

トイレットペーパー騒動 ーーーー新聞紙を使えと云って抗議の電話を盛んに受けた糸川先生。
真珠湾攻撃でやられた失敗から、アメリカは何を考えるか?を想像しなかった日本軍。軍艦より航空機だったのだ。

第五章:点時代の新製品開発

1.マスク・ニードの発見
人間の好みの多様化、個性化の時代ではマクロ的なマーケット・リサーチでは本当のニードはつかめない。
2.商品弾性率の理論
フィンランドの経済学者・トルンクイストの商品弾性率と云う理論がある。所得や価格の変化率と需要の変化率の比で弾性率をはかる。つまり、所得増加率と購買慾求率の比を商品弾性率とし、商品をこの弾性率の順にグループ化するという考えである。

第一商品群:生活必需品=飲料,衣料、自転車
第二商品群:比較的贅沢な品=カラーテレビ、ステレオ、テープレコーダー
(感覚系に関連するもの)
第三商品群:マーガリン,紳士帽子、人絹糸
第四商品群:純贅沢な品=レジャー、ファッション(情緒に変化を与えるもの)
第五商品群:酒、マリファナ、宗教(情緒を安定化する)
第六商品群:生体加工業=整形、美容

3.ミッション・アナリシス
商品あるいはサービスが何を使命としているかと云う考え方。これが欠落していると
ただ単に新製品と店頭に並べても売り上げ増加にはつながらない。
たとえば机の使命は使う人によって違う。小学生、社会人、重役用では使う目的が違ってくる。

4.オールタネイティブ・コンセプト
5.アドホックチーム
6.プロフェッショナル・マネージャーの条件
7.N型とF型人間

異常天候というが--異常という方が異常だ!

2010年06月06日 | Weblog
異常天候というが--異常という方が異常だ!

おかしい?今年の春。日替わり天気はなぜ?

これは、今朝、3月11日 のテレビの見出しである。最近の激しい気候の変化を
”異常気象”等と表現しているが、誰も、その言葉の奥に潜む ”人間の思い上がり”
に気がつかない。

気象の変化は、基本的には太陽から来るエネルギーによるものである。風力、水力
発電などと言っても、元をたどれば太陽エネルギーからきたものである。石油も
もちろん過去の太陽エネルギーでできたものだ。

人間が住んでいる所の身近な気候は、非常に複雑なプロセスを経て、その場所その場所の
気候が決まってくる。大きなコンピューターを使っても殆ど具体的な予測は難しい。

異常という言葉には、何か基準と離れて良くない、変なと言うニュアンスがある。
気候は太陽が決めてくれるので、”人間の力は及ばないのだ”、という謙虚な気持ちが
必要だと思う。異常などと言っていると、”バチ”があたる。散歩道

『間(ま)とは』落語の場合。

2010年06月06日 | Weblog
『間(ま)とは』落語の場合。

拍手を数百人の拍手を受けながら楽屋の控室からゆっくりと落語家・小三治が姿を現す。高座につくと、観客は静まりかえって、小三治の最初の言葉をじっと待つ。

やおら、傍らのお茶を静かに飲む小三治。観客は固唾を飲んで、面白い言葉を期待して待っている。“ーーーーえーー、そんなわけで”ーーー ここで、観客は一斉にどっと笑う。久しぶりに小三治の落語を聞きに行った時の最初の光景はざっとこんなものでした。

小三治の動作が、ほんのちょっと早すぎたり、お茶を飲む瞬間の動作がぎこちなかったりしたら興ざめして、観客は笑うどころか、静まりかえってしまうだろう。この芸は“間”で成り立っているのだと思う。

“間”という概念は外国語では表せない概念で、日本人が持っている独特のものようである。無理に “pause” 、とか ”interval“ などと訳してみても、時間経過を物理的に表現しただけだ、とても日本語の微妙な感じをあらわすことは出来ないようだ。剣道においても ”間合いを測る“ という事が言われる。 

最近の若い落語家の技術的レベルは非常に高く、凄いと思う若手が何人も現れてきた。しかし、それでも、うまいなと感じながらも何故か何となく笑わずにいられないという気持ちになれない場合がある。大抵は間の取り方がうまくないかららしい。そうかと云って無理やりに間をとってみても様にならないだろう。

未だに忘れられない落語家・古今亭志ん生が、高座に上がるなり “えーー”と云って前のめりになって寝てしまったが、客席からは、“寝かせてやれー!”と声が掛かり、みんなそれで満足していた、というのは有名な話だ。ここまで来ると、もう単なる芸でなはく、長年の演者と観客との長い間の心のつながりの上に成り立っている現象だと思う。

ほんのちょっとした行きがかりで、殺伐として事件が起こる世の中になってしまったが、お互いに、間をもって生きて行く世の中になってほしいと思う。散歩道

『間(ま)とは』落語の場合。

2010年06月06日 | Weblog
『間(ま)とは』落語の場合。

拍手を数百人の拍手を受けながら楽屋の控室からゆっくりと落語家・小三治が姿を現す。高座につくと、観客は静まりかえって、小三治の最初の言葉をじっと待つ。

やおら、傍らのお茶を静かに飲む小三治。観客は固唾を飲んで、面白い言葉を期待して待っている。“ーーーーえーー、そんなわけで”ーーー ここで、観客は一斉にどっと笑う。久しぶりに小三治の落語を聞きに行った時の最初の光景はざっとこんなものでした。

小三治の動作が、ほんのちょっと早すぎたり、お茶を飲む瞬間の動作がぎこちなかったりしたら興ざめして、観客は笑うどころか、静まりかえってしまうだろう。この芸は“間”で成り立っているのだと思う。

“間”という概念は外国語では表せない概念で、日本人が持っている独特のものようである。無理に “pause” 、とか ”interval“ などと訳してみても、時間経過を物理的に表現しただけだ、とても日本語の微妙な感じをあらわすことは出来ないようだ。剣道においても ”間合いを測る“ という事が言われる。 

最近の若い落語家の技術的レベルは非常に高く、凄いと思う若手が何人も現れてきた。しかし、それでも、うまいなと感じながらも何故か何となく笑わずにいられないという気持ちになれない場合がある。大抵は間の取り方がうまくないかららしい。そうかと云って無理やりに間をとってみても様にならないだろう。

未だに忘れられない落語家・古今亭志ん生が、高座に上がるなり “えーー”と云って前のめりになって寝てしまったが、客席からは、“寝かせてやれー!”と声が掛かり、みんなそれで満足していた、というのは有名な話だ。ここまで来ると、もう単なる芸でなはく、長年の演者と観客との長い間の心のつながりの上に成り立っている現象だと思う。

ほんのちょっとした行きがかりで、殺伐として事件が起こる世の中になってしまったが、お互いに、間をもって生きて行く世の中になってほしいと思う。散歩道

子供の情景

2010年06月06日 | Weblog
子供の情景

子供の情景・その1  可哀そうな子供

会社に行く朝のこと。西荻窪の駅まであと数十メートルのところで、私の前を歩く女の子の大きな声が聞こえてきた。 “お願いだから、私も連れてって” と先を行く母親に、叫けんでいた。母親は振り向きもせず、さっさと歩いてゆく。やがて子供は追いついて、母親の前に立ちふさがりながら、一層はっきりした声で、周りに助けを求めるように叫ぶ。4,5歳くらいの女の子だ。

やがて、改札口に近づいた。はらはらしながら見ていると、その母親は後ろも振りかえらずにさっさと改札口を通ってしまう。2,3人他の人がはいってから、その子は必死に改札を通った。短いエスカレーターをすでに降りた母親を後から必死に追いかける女の子の姿がみえた。相変わらず大きな声で泣き叫びながらーー。

事情があって子供を家に残して出かけなければならないのなら、立ち止まって、子供の姿勢にまでしゃがみ、何かを言い聞かせる筈だ。

この日はずっとこの女子の泣き声が耳に響いた。翌朝にはその時の情景が目に浮かんで目が覚めた。



子供の情景・その2 同じく泣いていても

「その1」で述べたような事があった翌日の会社から家路に着く時の事。寒い雨が降って風も強く、駅から暫くは高架線の下の道をあるき、途中から雨の中を傘をさして歩いてゆくと遠くからだが、“いやだー、厭だ”という女の子の大きな泣き声が聞こえてきた。やがて広い道にくると、傘を持ちながらやっと歩いている親子の姿が暗闇にぼんやりと見えてきた。

昨日の事があったので、一瞬、さてはまた、子供をいじめる親がいたのかと思った。しかし、泣き声の調子が、何か違う。甘えながら泣いているようにも聞こえた。

やがて、私は追いついたので、ちょっと後ろを振り返えると、子供は泣くのをやめて、こちらを向いている。傘をやっと持って、、、、 私が思わず “お嬢ちゃん、傘を持って、寒くて大変ね! でも頑張ってね!”と声をかけた。母親は愛おしそうに娘さんを見ている。余計な事と思いながらも、母親に、“大変だけれど、小さい子供のうちに我慢するのを教えるのはいいことですね”と云うと、母親 “そうなんです、それでこうして、、、”と子供を見ながらニコッとした顔で答えてきた。

ほのぼのとした気持ちで家路に就くことができた。



子供の情景・その3 ちょっとした母子の姿   (再掲ですが)

 我が家から駅までの途中のガード下がきれいに整備され,小さい商店群が並んだ。大規模なスーパーと違って、お店の”おばさん”と、お客との ”ちょっとほんわかした会話”が、そばで聞いていても楽しい。
母親に手を引かれながら、やっと歩けるくらいの小さな女の子が、やや大きな買い物袋を地面すれすれになりながら片手に持って歩いていた。とても可愛らしく感じたので、すれ違いながら思わず、

”一生懸命に重い袋を持って偉いですね!”と声をかけた。 母親 ”自分の好きなアイスクリームが入っているんです” と。 私が子供の顔を見ながら ”あ、それでね!”と言うと子供は、ニコットとこちらをみる。

通り過ぎて、ちょっと後ろを振り返ったら、子供が手を振ってバイバイをしていた。これだけの事だったが、きっと、あんなふうに育てられる子供は、いい大人になるのだろうなと、今でもその親子の姿を思い浮かべる。散歩道


子供の情景・その4 小石を動かす後ろ姿

家路につく途中の事。母親に後ろ手を引かれながら前を歩く小さな子供に気が付いた。子供が急に道端に寄りながら、左足で何かを動かそうとし始めた。時々倒れそうになると、母親が子供の手をしっかり持って子供が倒れないように注意しているのが分かる。

どうやら、小さな石を道端に寄せようとしているらしい。子供は歩くのがやっとの2歳ちょっと位の年齢だろうか。しかし母親は子供の手を旨く支えながらも決して止めさせようとはしない。

いい母親だな!と思いながら通り過ぎた。すると、その子供の可愛らしい声が聞こえたように思ったので後ろを振り返えると、そこには母親を見上げている子供の後ろ姿があった。道端まで石を旨く運んだ子供を母親が褒めたらしい。嬉しそうな子供の顔を想像した。

あの子はきっと何時までも子供の好奇心を失わない幸せな大人になるのだろうなと、心わくわくしながら、家路についた。散歩道

知能+暴力:ゴルフ場で見た恐ろしい空中戦

2010年06月06日 | Weblog
知能+暴力:ゴルフ場で見た恐ろしい空中戦

ゴルフの合間にちょっと空をみた。トンビとカラスが一人、いや、一羽どうしで喧嘩していた。
やがて、トンビが勝ってカラスは逃げて飛び去った。

そんな事は忘れて2,3ホールゴルフのプレーを続けた。ひょっと空を見上げると、今後は
トンビを多数のカラスが周りから囲んで空中戦をやっているのがチラット見えた。

ゴルフのプレーと続けなければならず、それを見るのはあきらめていたが、次のホールで
恐れしい光景を見ることになった。ぐったりして、死んだらしいトンビを一羽のカラスが足に
ぶら下げ、数羽のカラスが周りを顔kんで飛び去ってゆくのが見えた。

カラスは知能程度が高いので、一羽どうしではトンビに負けたが、仲間を呼んで来て仕返しをしたらしい。人間も動物の中では知能が高いほうだから、これが暴力と綱がると、あっという間に凄い数の人間を殺す事が出来るので、カラスよりずっと怖い。散歩道


カラスと仲良く

2010年06月06日 | Weblog
カラスと仲良く

一昔前は、”夕焼けこ焼けで日が暮れてーーーカラス一緒に帰りましょ。という人間とカラスとの仲良い関係があった。
朝やや早くに家をでて、小道を歩くと、道端に置かれた捨てた食品に2,3羽のカラスが群がるのに出会うことがある。ときに、一羽が低空飛行でわが頭上をかすめる。邪魔するなというデモンストレーションだ。

九州在住のある人がカラスの鳴き声を録音・分析して20余りの言葉の種類を確認したという。あっちだ。集まれ、こっち来い、早くなどだ。

イルカは知能程度が高く、そうとう込み入った内容の話を超音波の言語でしゃべっている。これを分析して、人間の言葉を超音波のイルカ語に通訳するコンピューターと作れば、人間ともっと楽しい関係を作ることができる筈だ。

人間ももっと動物の立場を考えて、動物との広い意味での会話・communication を作れるようになれば動物と一緒の楽しい平和な社会が出来るとおもうのだが。散歩道

鰐は本当に獰猛か?

2010年06月06日 | Weblog
鰐は本当に獰猛か?


アリゲーターとかクロコダイルは見ただけで恐ろしいと感じる。しかし本当にそうだろうか?

ある番組で鰐を言葉で自由に動かす状況を見た。美味しそうな餌を棒の先に取りつけて
鰐の口先まで持って行き、”待て”と英語で言うと、鰐はじっと待っている。15センチ
位まで近づけてもじっと待っている。やがて ”よし!”と言うとパクッと食いつく。

今度はこの調教師が全く無防備で鰐の口先まで近づき ”下がれ!”と言うと鰐は
じりじりと後ずさりして、やがて池の中に体を沈める。

どうやら、鰐の知能指数は相当高く、その知能ゆえに今日まで地球上に生き残って来たらしい。
人間と言葉が交わせないので、出会えば食いつくしかなかったのだ。上手くコミュニケーションが
取れれば、向こうも、其れなりの行動をとるのだ。

つくづく人間は人間側からの解釈と都合で、地球上の生き物に接している勝手な動物だと思った次第。 散歩道

ゴミ捨て今昔物語

2010年06月06日 | Weblog
ゴミ捨て今昔物語    散歩道

戦後すべての人達が打ちひしがれた気持で食うや食わずの生活を余儀なくされた時代の事。ちょっとお金を入れると美味しい食べ物が出てくる今の時代では想像も出来ない事がたくさんあった。

進駐軍の兵士にギブミーチョコレートと云って手を出す子供。ナイロンの靴下を手に入れるために身を売る女性。進駐軍が使っている包み紙が、我々には貴重品で、手に入ると丁寧に伸ばして大切に使う。
こんな時代では、物を捨てるなんてことは想像もできない。そんな時にひと時でも悲惨さを忘れさせてくれたのが、新作落語の今輔師匠のゴミ捨て話だ。

「今にきっと、物が有り余って、ゴミを捨てるのに苦労する時代がきっと来ます。そうすると、そーっと物をすてると、後ろから
”もしもし、こら! そこに物を捨てたなー。持ち帰りなさい!”  ”スミマセン、つい出来ごころで” と云う落語のラジオ番組を聞いた。これだけの話なのだが、ここで、番組の現場視聴者はどっと笑のだ。ラジオを聴いている私も大いに笑った。物がなくて困っているのに、そんな時代は絶対来ないし、荒唐無稽の話だと思って笑い転げてしまうのだった散歩道。