書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

越境の古代史 書感 六甲颪 田中史生著 ちくま新書 767

2009年05月26日 | Weblog
「越境の古代史」 田中史生著 筑摩新書 767 2009年2月 書感 六甲颪
・ ・・倭と日本をめぐるアジアンネットワーク・・・

この本では日本の古代史をもっと広い中国朝鮮の歴史を参照しながら見直したもので、丁寧に読んでゆくと多くの点で納得できる内容になっていた。その主な点を時代別に
追ってゆくと
1 弥生時代に始めころから外国から稲作文化、金属器文化を受け入れてきたが5世紀ころから朝鮮半島南部の加耶地区からの移住民が増えこの地域の鉄を受け入れ、日本列島からは農業技術をこの地区に伝えた。
2 この民間ベースの交流のほかに東アジア地域には冊封体制というものがあり中国周辺の国の首長が中国から王とか候とかの爵位をうけ、臣の位になると公式の名称が与えられた。たとえば邪馬台国の卑弥呼は魏の国王から「親魏倭王」に任命されると直ちに漢字の導入が進み文化交流が盛んになった。朝鮮半島の諸国、高句麗、新羅、百済等も同様であった。
3 朝鮮半島では倭の国から各地域ベースで移住が起き、また半島から比較的簡単に倭の国に移住し友好的に物々交換をしていた。しかし朝鮮半島では上記3国の争いが絶えず起こり、西暦660年百済は唐と新羅連合軍に滅ぼされそうになったので百済と親密であった大和朝廷は援軍を送ったが白村江の戦いで惨敗した。また高句麗も唐に668年滅ぼされた。
4 この頃から唐を中心とする中華思想は形を整え始め律令が制定され中央集権的な体制となった。こうして王朝名「日本」王号「天皇」が正式採用され、新生中華王朝が誕生した。
5 この結果日本も律令の整備が行われ、仏教も飛鳥寺の建立から始まり大和地方に諸寺
が出来上がった。また7世紀には大和朝廷のもとで貨幣が作られ海外交易にも流通した。
これは中国についで2番目の歴史を誇っている。
以上から日本は弥生時代から海外への移住、帰化が行われ混血が進んでいたのでどの国とも比較的平和に文化交流し、国境の紛争もほとんどなかった。現在の竹島領有問題等は想像もできなかったであろう。
[2009/05/25]
 

変化の発想  書感:散歩道

2009年05月15日 | Weblog
著者:今井英人  マナ・アート及び今井建築代表 発行所:株式会社文芸社ビジュアルアート発行:2009年6月1日 37歳の時に勤めていた建築会社が廃業したので大手機械メーカーに転職し、その後実家の大工を継ぐ。一級建築士・一級建築施工管理技士

建築を通じて、人間の心に関しての深い洞察とアドバイスをまとめたのが、本書である。前書きには、自分自身がここ数年に酷い逆境に遭遇し、現在のような変化の時代に適応するには「自分自を少しずつ変化させればよい」と考え始めたら逆境は去り、以前とは打って変わった強くなった自分自身がいた。その経験をエッセイにしたのが、この本である。
著者自身の体験からの発想であるから、じっくり何度も読み返すと、ぐっと胸に迫るものがある。
つまみ食いで紹介するのは困難だが、ほんの数か所を紹介させて頂くとする。

○:本音で行動する。頭の良い人は常に本音で行動する。駆け引きや、焦らし、逃げはない。仕事は何の為にやっていますか?お金のため・お客さんのため? 本音の究極は好き嫌いです。
○:人生はタベストリー:一番辛い時期、頑張った時期が鮮やかな色彩と模様が出ている。嫌にになって織る手を離したらタベストリーは完成しない。
○:他人事と思わない。建築現場で他人が仕事を頼まれているのを見ると今井さんは自分が依頼されているように勘違いして、これはこうしたらいいとか、いろいろ考えてしまうとのこと。その事が、いつはか、何かがあった時に的確は判断が出来る基礎になっているとのこと。私{散歩道}も今、ビルを依頼して創りつつあるのだが、自分のことのように考える建築屋は、なかなかいないので、悩んでいるのだが。
しかし、今井さんのように人ごとも自分のことのように悩む気持ちがあると、結局は自分自身の進歩につながるのだと思う。取り敢えず、ほんの一部をご紹介しました。散歩道

「億万年を探る-時間の始まりへの旅 」   書感:狸吉

2009年05月10日 | Weblog
ーチン・ゴースト著 松浦俊輔訳 青土社 2003年 2,730
17世紀アイルランドのジェームズ・アッシャー主教は、聖書や古文書の研究から「この世界は紀元前4004年10月22日午後6時に創造された」と結論付けた。この天地創造の時は、その後長らくキリスト教世界で信じられ聖書にも印刷された。しかし、この説に疑いを抱く人々は当初から存在した。たとえば、北京のイエズス会宣教師は中国の歴史書の研究から異論を唱えた。当時教会の権威に逆らうことは命がけであったが、地質学、天文学、化学、物理学などの勃興が新しいものの見方・考え方を広めた。
1779年フランス王立植物園長ビュフォンは「自然の諸法則」を出版し、物質の冷却速度の実験から、地球の年齢を74,832年(未発表の原稿では1000万年)と推定した。その後様々な地球の年齢測定法が考案され、地球の推定年齢は徐々に延びた。1904年ラザフォードは放射能による地球の年代測定法を発表し、他の人々による改良を経て、地球の年齢は約30億年(現在では46億年)と推定されるに至った。
時の始まりの探求に決定的な役割を果たしたのは天文学である。当初「地球の年齢=時の始まり」と考えたが、地球は大宇宙の中の微細な存在であることが明らかになると、当然天文学が時の始まりを探る主役になる。遠くの星々までの距離を正確に測る方法とビッグバン理論により、宇宙の年齢は137±16億年と推定された。すなわち、これが時間の始まりの瞬間である。しかし、人々が新しい考え方を受け入れるのには、如何に長い年月が掛かることか。アッシャー主教が定めた創造の時が聖書から削除されたのは20世紀初頭であった!
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徹底検証日本の五大新聞 書感:山崎義雄

2009年05月05日 | Weblog
奥村 宏 七つ森書館 1800円
本書は、日本の五大新聞として読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞、産経
新聞を取り上げ、その実態を検証し、新聞社のあり方に異議を唱える。
読売新聞は、1872年(明治7年)の創刊だが、1923年に正力松太郎が買収して以来、
正力家の支配が続き、務台光雄、小林与三治、渡辺恒雄と経営が引き継がれたが、依
然として正力家が大株主だ。しかし現在は、発行部数1,000万部を誇る同紙を渡辺恒
雄という独裁者が支配している。渡辺が1979年に編集委員長になって以降、同紙が右
傾化したという。日比谷通りの一等地に建つ同社屋の敷地は、1971年に当時政治部記
者だった渡辺が自民党幹事長だった田中角栄に働きかけて国有地を払い下げてもらっ
たもの。
朝日新聞は、1879年(明治12年)、村山龍平と上野理一が創刊し、以来今日まで村山
家と上野家が大株主で“社主”を務める同族会社だ。両家による社長交代が続いた
後、1964年に美上路昌一が社長となって一応、資本と経営の分離が進んだ。次いで広
岡友男、秋山耿太朗と社長交代したが、依然として秋山家の経営介入が取りざたされ
る。著者は、販売部数800万部を誇る朝日が、同族支配を許している株式持ち合いを
不合理だという。
日本経済新聞は300万部で、読売、朝日、毎日(380万部)に次ぐ第4位だが、上位3紙
が部数を減らしている中で一人部数を伸ばしている。しかし現役部長が社長の不正経
理や愛人問題を内部告発したり、社員による株式のインサイダー取引など、多くのス
キャンダル続発を挙げて、同紙はジャーナリズムではなく単なる情報提供会社だとす
る。
毎日新聞は、1970年代に経営危機に陥って以来、取り引きの銀行や製紙会社など外部
資本が大株主になっている。読売、朝日に読者を食われ、今また、読売、朝日、日経
の業務提携という強者連合によって弱い者いじめに遭っているという。
産経新聞は前田久吉による創刊だが、同氏の参院進出あたりから経営がおかしくな
り、水野成夫に乗っ取られ、鹿内信隆に横取りされ、系列のニッポン放送株をホリエ
モンに買い占められたり、鹿内家の内紛と反乱などがあり、経営不安がつきない。
総じて日本の大新聞は、テレビとおかしな関係になって放送会社が新聞社の大株主に
なっている。株式を公開しないおかしな株式会社だ。中立性報道を建前に大量販売を
競いすぎる。記者は各新聞社に帰属する会社員記者であり、職業としてのジャーナリ
ストではなく専門記者として育たないなど、多くの問題点を本書は指摘する。